『トーニオ・クレーガー』とは?
『トーニオ・クレーガー』は、憂鬱で芸術家気質を持ったトーニオを主人公に、彼の半生が描かれていく物語です。
作者であるトーマス・マンも、「自分の感情に最も近い作品」だと認めているように、文化人らしい複雑な内面が特徴的な作品でもあります。
ここではそんな『トーニオ・クレーガー』のあらすじ・解説・感想をまとめました。
なお本作は『トニオ・クレーゲル』と表されることもありますが、どちらも同じ作品です。
『トーニオ・クレーガー』のあらすじ
主人公のトーニオ・クレーガーは、地元でも有名な豪商の息子。
読書が好きで内向的なトーニオは、同じく豪商の息子であり、自分とは正反対の素質を持つハンスを愛していた。
しかし、ハンスはトーニオに対して優しく接するだけで、彼と同じようには愛してはいなかった。
トーニオは16歳になり、インゲボルグという少女に初めて恋をする。
だが、それはしょせん叶わぬ恋で、それどころかダンスレッスンで失敗して、彼女に笑われてしまう。
人生の哀しさを味わったトーニオは、そこから文学に傾倒していく。
大人になったトーニオは、ミュンヘンでいっぱしの作家になっていた。
しかし、彼は芸術家としての主義の方向性に迷っており、そのことを女友達のリザベータに告白する。
そして、今一度自分を見つめ直すため、デンマークへと旅行に出かけた。
道中、故郷に立ち寄ったことや、またデンマークでかつてのハンスやインゲボルグと同じようなカップルに出会うことで、自分の立脚点を確認することができたのだった。
・『トーニオ・クレーガー』の概要
主人公 | トーニオ・クレーガー |
物語の 仕掛け人 |
リザヴェータ・イヴァーノヴナ |
主な舞台 | 北ドイツ→ミュンヘン→デンマーク |
時代背景 | 近現代ドイツ |
作者 | トーマス・マン |
-解説(考察)-
・誰にも愛されない王様
トーニオが少年の頃、大好きな友人のハンスにこんな話をします。
『ドンカルロス』という小説がすごいんだ。たとえば王様が泣くところさ。王様はいつでも全然ひとりぼちで、誰にも愛されない。そこへやっと一人の人間を見つけたと思ったら、その人に裏切られるのだからね・・・
トーニオは、『ドンカルロス』に出てくる王様の孤独と、友人が少ない自分の孤独を重ね合わせているのです。
また、トーニオが愛した人たちも、いずれは自分を裏切ってしまうだろうという不安も同時に表しています。
実際、作中でトーニオが送る日々は、決して仲間に恵まれた幸福な生活とはいえません。
こうしたトーニオの孤独・疎外感は、『トーニオ・クレーガー』の根底に流れている物語的な特徴です。
この孤独感は、物語の終盤にも伏線として繋がっていきます。
・芸術と人間生活の間
そんなトーニオは、大人になって立派な芸術家(小説家)として活躍します。
彼の言う芸術家とは、「どんなことでも観察し、解剖し、形式化する」人であり、口に出されたことは全て「片付けて」しまう人間です。
作中では、
- 芸術家=「死んでいる人間」
- 一般人=「生きている人間」
と表されたりもします。
これは、芸術家が「人間らしい」生活をすると、芸術家的な認識や観察ができなくなるという考えで、芸術家は「死んでいる」と表しているのです。
そんなトーニオは、実のところ、自分の「芸術家」としての立場に疑問を持っています。
彼は世の中から厭世的な作家だと思われており、彼自身もまたそのように振る舞っているのですが、彼の心は「人間らしさ」を求めているのです。
物語の中盤、トーニオは女友達のリザヴェータにある告白をします。
それは、
- 自分はこの人生を愛する
という告白です。
これは、彼が「芸術家」としての自分を見つめ直すことを意味します。
しかし、トーニオは自身の芸術家的な気質を簡単に捨てきることも出来ません。
こうしたどっちつかずな人間である理由を、トーニオは、実直な父と奔放な母の混合児だからだと考えています。
このような、
- 芸術家と人間生活の間
で揺れ動くトーニオの生き方も、『トーニオ・クレーガー』の見どころです。
・トーニオが自分の心に正直に生きる話
そんな『トーニオ・クレーガー』をまとめると、
- 主人公のトーニオが自分の心に正直に生きる話
だといえます。
物語の始め、トーニオが少年の頃、語り手は彼を「生きていた」と言っています。
作中の文脈から考えると、少年の頃のトーニオは「死んでいる芸術家」ではなく、「生きている人間だった」という意味です。
具体的には、このような言葉で語られます。
そのころ、彼の心臓は生きていた。そこには憧れと、憂鬱な羨望と、それから少しばかりの軽蔑と、清らかに豊かな幸福感とがあった。
トーマス・マン『トニオ・グレーゲル』新潮社,p23
この言葉は、物語のラストにリザヴェータへと送られた手紙にも書かれています。
この手紙は、芸術家としての自分を見つめ直し、これからどのように生きていくかを綴った手紙です。
つまり、大人になったトーニオは、子どもの頃に感じていた心の暖かさを、もう一度大事にしながら生きていくことを決意したことが読み取れます。
彼にとって真に大切にしたいものは、芸術ではなく、友情や愛情など、人間としての暖かさだったのです。
トーニオは長い旅でそのことを再確認し、またリザヴェータに自身の考えを告白して、物語は終わります。
このように『トーニオ・クレーガー』は、大人になったトーニオが、自分の心に正直に生きることを決意する話だといえます。
しかし、だからといって彼の人生が幸せになるわけではありません。
次には、トーニオの孤独について詳しく掘り下げていきます。
-感想-
・トーニオの孤独
『トーニオ・クレーガー』は人間愛に溢れた作品ですが、その分、トーニオの孤独が強調されてもいます。
彼は生き方として人間愛を肯定する方を選びましたが、だからといって彼が愛情に恵まれるかといえば、決してそうではないからです。
たとえば、トーニオは芸術家として名を挙げますが、それを祝福してくれるハンスやインゲはいません。
これは、トーニオにとって、友情や愛情が実際的に叶わないものだということを表しています。
彼はそうした自分の孤独も認めながら、厭世的な考えに陥ることなく、人間愛を大事にしてゆく道を選ぶのです。
それは、ただ厭世的になるよりも厳しく悲しい道のりだと思います。
トーニオが明るいところを見つめれば見つめるほど、彼のいる日影が強調されるのです。
それを象徴的に表しているのが、物語の終盤にある舞踏会の場面でしょう。
彼は暗いベランダの物陰から、明るい部屋で踊りを楽しむ人々を眺めます。
この彼の状況は、そっくりそのまま彼の人生でもあるのです。
そうして、彼を明るみに連れ出す人はいません。
もちろんトーニオは、誰かが自分を連れ出してほしいと願っているのですが、世の中にそうしたことは起こらないと知っています。
個人的には、こうしたトーニオの孤独が作品をより面白くし、僕たち読者を惹きつけているのではないかと思います。
・トーニオはバイセクシュアルか
最後に、トーニオの最愛の友人・ハンスについて触れておきましょう。
作中でトーニオは、ハンスという男友達を愛しています。
これはおそらく、友達としての感情ではなく、それ以上の感情です。
しかし、トーニオは青年になったとき、インゲボルグという女性にも恋をしています。
つまりトーニオは、男性も女性も愛したということです。
これをLGBT的にいえば、
- バイセクシュアル
と呼ばれる性的嗜好に当てはまるでしょう。
実際、作者のトーマス・マンは、『トーニオ・クレーガー』執筆当時に、ある青年と恋愛に近い友情関係を結んでいました。
また、トーマス・マンの有名作である『ヴェニスに死す』も、青年に想いを寄せる芸術家の物語です。
こうしたことから、『トーニオ・クレーガー』には「同性愛」というテーマも内在していると考えられます。
とはいえ、主人公のトーニオが作中で表すような「愛情」は、性愛とは異なった性質を帯びているように思います。
とちらかといえば、男女の性別を超えた普遍的な愛といった印象です。
なので、「同性愛」というよりは、性別を超えた「全性愛」、すなわち、
- パンセクシュアル
と考える方が妥当かもしれません。
ちなみに、先ほども少し出ましたが、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』は同性愛が主題の作品です。
そこのテーマを掘り下げたい人は、ぜひ読んでみて下さい。
以上、『トーニオ・クレーガー』のあらすじと考察と感想でした。
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