島崎藤村

島崎藤村『破戒』のあらすじ・解説&感想!身分差別が主題の物語!

2020年4月9日

『破戒』とは?

『破戒』は島崎藤村による小説。

主人公は穢多(えた)という身分の生まれで、同和問題(部落差別)が主題になっています。

決して誰にも打ち明けることの出来ない秘密を持ちながら生きていく主人公の内面が緻密に描かれる内容です。

ここではそんな『破戒』のあらすじ・感想・解説を見ていきます。

『破戒』のあらすじ

主人公は長野県の山奥で教師をしている瀬川丑松。

若い彼には、たったひとつの秘密があった。

それは、彼が「穢多(えた)」という身分の生まれであること。

時は明治後期、身分による差別は日本中にあり、ほとんどの穢多が蔑まれながら生きていた。

もし丑松が穢多であることを知られたら、町の皆は「汚らわしい」と言って彼を追い出してしまうし、教員の資格も失ってしまう。

無論、父からも固く「隠せ」という戒めを受けて育った。

しかし彼は、ある人物にだけは自分の素性を打ち明けてしまおうかと考えている。

それは猪子蓮太郎という思想家で、彼もまた穢多なのだが、それを公言して強く生きている人物なのであった。

丑松は心を決めて、受け持ちクラスの生徒に向けて、自分が穢多であることを告白する。

もうこの村にはいられない。

だが、捨てる神あれば拾う神ありで、アメリカ・テキサスでの事業の話を持ちかけられる。

丑松は新天地での活躍も視野に入れて、ひとまずは東京へと旅立つのであった。

・『破戒』の概要

主人公 瀬川丑松
物語の
仕掛け人
土屋銀之介
主な舞台 長野県飯山
時代背景 明治後期
作者 島崎藤村

-解説(考察)-

・主人公の設定 ~穢多(えた)とは何か?~

『破戒』は「穢多」という被差別部落を主題にとった作品です。

穢多とは、士農工で形成されていた当時の一般社会に属さない、別の社会の集団として差別されていた人々です。

明治後期には身分制度が廃止され、士・農・工・穢多など関係なく小学校などに行くことが出来ましたが、依然として意識的な差別はありました。

そんな穢多の起源は、平安時代にまでさかのぼると言われています。

日本では古来、日常から「けがれ」を遠ざけたいとする意識があり、「血」は穢らわしいものとされてました。

生き物を屠殺したり皮を剥いだりする職業は、日常的に「けがれ」と向き合うことになります。

「けがれ」を遠ざけたい人々は、そうした職業を自分たちの社会には属さない人々に任せることで、自分たちの「日常」を守ってきました。

そんな職業を生業とする人々がのちに穢多と呼ばれるようになり、そうした差別意識は『破戒』が書かれた明治時代にも引き継がれていたわけです。

この100年ほどで人権に対するリテラシーは向上してきましたが、明治後期の田舎では、まだ日本は開化しきっていませんでした。

そのような、被差別部落出身者に対する認識が移り変わっていく時代の最中に描かれたのが『破戒』という作品です。

・ラストの解釈。丑松はテキサスへ行ったのか?

新潮社文庫の『破戒』の背表紙には、このようなことが書いてあります。

偽善にみちた社会は丑松を追放し、彼はテキサスをさして旅立つ。

新潮社背表紙

読み切る前にこの一文を見てしまったので、僕は丑松がいつテキサスに行くのかと思いながら読んだのですが、結局彼はテキサスには行きませんでした。

あとから調べてみると『破戒』のラストは、

  • 丑松が穢多であることを懺悔し、テキサスへ逃げる

と解釈されることが多いようです。

その解釈が正しいかはさておき、丑松がテキサスへ行ったわけではないことは強調しておくべきでしょう。

たしかに物語のラストでテキサス行きの話は持ちかけられますが、丑松はひとまず東京へと旅立つのです。

物語はそこで終わっているので、テキサスへ行くか行かないかも含めて、東京で一度身の振り方を考えるのだと思います。

ですので正しくは、

彼は新天地テキサスへの話を持ちかけられつつ、ひとまず東京をさして旅立つ。

というラストになるでしょう。

・『破戒』の恋愛描写について

全体的に重たいテーマで描かれている『破戒』ですが、二つの光によって明るさを保っています。

ひとつは、友人である土屋銀之介との友情。

もうひとつは、ヒロインである風間志保との恋愛です。

『破戒』で見られる恋愛の心情描写は、ピュアで純真なものとして描かれている印象です。

追憶の林檎畠――(中略)昔、昔、少年の丑松があの幼馴染のお妻と一緒に遊んだのはここだ。互に人目を羞じらって、輝く若葉の蔭に隠れたのはここだ。互に初恋の私語を取交わしたのはここだ。互に無邪気な情の為に燃えながら、唯もう夢中で彷徨ったのはここだ。

島崎藤村『破戒』新潮社,p168

このようなことを考えながら、丑松は幼馴染みのお妻やお志保の面影を追っています。

『破戒』の恋愛描写で特徴的なのは、相手が目の前にいる時ではなく、いないときにしか恋愛感情が描かれていないことです。

ここに、日本らしい感情の床しさを見ることが出来るでしょう。

また、

  • 島崎藤村と林檎

といえば、文学に造詣のある人ならピンとくるものがあると思います。

それは、島崎藤村の『若菜集』に収められた「初恋」という詩。

「まだあげ初めし前髪の~」から始まる有名な作品です。

『破戒』で描かれた林檎畠とリンクするものが多くあることが分かります。

僕はこの詩の中心人物を15才くらいだと考えていました。

ですが『破戒』の描写をふまえると、もう少し若い頃かもしれないな、などと思ったりもします。

ともかく、同じような「初恋」の描き方をしていることから、島崎藤村は特有の恋愛感情を捉えていて、それを大事にしていることが伺い知れます。

「初恋」の美しさ、あのあどけない感情の描写という点において、島崎藤村という作家の特質を見ることができるのかもしれません。

-感想-

・丑松と男達

『破戒』に出てくる男達は、この物語を面白くしています。

具体的な男性登場人物と丑松の関係は以下の通りです。

  • 土屋銀之介→朋友。厚い友情。
  • 風間敬之進→先輩。境遇が好対照。
  • 猪子蓮太郎→師。精神的な繋がり。
  • 丑松の父→親。戒めを守らせる番人。
  • 高柳利三郎→邪魔者。丑松の素性を噂した張本人。
  • 校長・郡視学→上司。丑松を排斥しようとする古狸。
  • 勝野文平→同僚。丑松の主任教諭の座を狙っている。

彼らは様々なかたちで丑松と関わり合い、物語を創りあげていきます。

また、彼らの役割がキレイに分けられているのも特徴的です。

良い人間は良い人間、悪い人間は悪い人間と分かりやすく仕分けられています。

個人的には、銀之介との友情や蓮太郎との思想的な絆に魅力を感じました。

このように、多くの登場人物が織りなす感情のドラマが面白い作品となっています。

・『坊っちゃん』に似ている

物語序盤から感じていたのは、夏目漱石『坊っちゃん』との類似点です。

  • 田舎の学校教師
  • 主人公の若さ
  • 校長や教頭の企み
  • 主人公が教職を辞めて旅立つ

といったところが共通点として挙げられます。

当時としては、田舎の学校あるあるだったのでしょうか。

ただ決定的に違うのは、「坊っちゃん」はあくまでも独りですが、丑松には仲間がいることです。

丑松と銀之介の友情は身分といった壁を乗り越え、深く結びついています。

また、お志保の愛情は丑松という存在全てを包み込んでいて安心感があります。

一方「坊っちゃん」は山嵐と別れたきりで、熱く思いを寄せる人などはいません。

こうしたことから、『破戒』はテーマ自体が重たいものの、人情味を多分に含ませてある物語だといえそうです。

僕は『坊っちゃん』も好きですが、『破戒』にみられるこのような「人情味」にも強い魅力を感じます。

以上、『破戒』のあらすじと考察と感想でした。

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