『砂男』とは?
『砂男』は、精神的な恐怖に取り憑かれた主人公の物語です。
目玉と砂という二つの不気味なキーワードをもつこの作品の狂気的な内容は、時代を超えて高い支持を得ています。
ここではそんな『砂男』のあらすじ・解説・感想をまとめています。
『砂男』のあらすじ
主人公のナターナエルは、恋人のクララに手紙を送る。
内容は、ナターナエルが幼い頃から恐れてきたコッペリウスという人物についてだ。
コッペリウスは眼に砂をかけて目玉を取る恐ろしい人物で、いつも気味悪く笑っており、ナターナエルはそんな彼が怖くてたまらない。
クララはその手紙を受け取ると、それはあなたの内面で怖ろしさを増長させているだけだと言った。
そんなコッペリウスが、大人になったナターナエルに望遠鏡を売りに来た。
いや、正確に言えばコッポラという商人で、別人だったが、彼にはコッポラがコッペリウスであるように思えた。
ナターナエルはその望遠鏡を試しに覗き、ふと家の向かい教授の娘であるオリンピアという女性を見てみると、何かに取り憑かれたようになってしまう。
クララのことなどすっかり忘れて、家の向かいのオリンピアに心を奪われてしまったのだ。
しかし、その後オリンピアが木で作られた自動人形であることが分かると、ナターナエルは発狂してしまう。
ナターナエルが故郷のベットで眼を覚ますと、クララがそばに立っていて、自分はどうかしていたと、彼はそのとき初めて気がつく。
ちょうどその頃、母は叔父から幾らかの遺産を受け継いでいて、今よりも大きい家に、クララとナターナエルとクララの兄と一緒に暮らすことになった。
引っ越しの日、皆が家に向かう途中、クララは塔の上にのぼって山を見ましょうと言った。
母は先に家に向かい、クララの兄は下で待っていることにしたので、クララとナターナエルの二人だけが塔にのぼった。
そこで、クララが「ほら、あの茂みを見て」と言ったので、ナターナエルは望遠鏡を取り出して見ると、そこにはクララがいた。
すると、ナターナエルはまたもや発狂しだし、クララを塔の上から落とそうとした。
異変を感じたクララの兄は急いで階段を駆け上り、ナターナエルから妹を取り返すことに成功し、妹を担いで塔を降りた。
塔の上ではまだナターナエルが発狂していて、遠くからコッペリウスが来るのが見えると、何かを叫びながら塔の上から飛び降りた。
ナターナエルが頭を砕いて歩道に横たわったとき、コッペリウスの姿はもう人混みの中に消えていた。
クララはその後、元気な子どもを二人産み、ナターナエルでは叶えられそうもなかった幸せな家庭を築いた。
・『砂男』の概要
主人公 | ナターナエル |
物語の 仕掛け人 |
コッペリウス(コッポラ) |
時代背景 | 19世紀前半 |
作者 | ホフマン |
-解説(考察)-
・砂男とは何者か?
砂男は本作で最も不気味な登場人物であり、また底知れない怖ろしさがある存在です。
主人公のナターナエルは始め、砂男を抽象的な怪物と思っていましたが、実際は家によく来る弁護士のコッペリウスであることが分かります。
コッペリウスはとても嫌なやつで、ナターナエルの目に砂をかけて、目玉を取ろうとしてきます。
主人公はその時の恐怖が忘れられず、大人になってからもそのトラウマを拭い去ることはできません。
また、物語の中盤以降、主人公の部屋に晴雨計(気圧計)や望遠鏡を売りつけてくるコッポラも、コッペリウスと同一人物のように描かれます。
コッポラは砂を眼にかけてくることはなく、直接的な砂の描写もないので、「砂男」という感じはしません。
しかし、コッポラは「ガラス」という素材が特徴的な人物です。
そして、ガラスの原料は「砂」なので、ここにガラス売りのコッポラと砂男の関連性を見ることができます。
つまり、ガラス売りのコッポラもまた「砂」にまつまる人物であり、砂男であると言えるのです。
このようにして、砂男という不気味な存在は、「砂≒ガラス」という素材を媒介に、絶えず主人公の人生に介入してきます。
こうした砂男の特性と特徴を押さえたところで、今度は主人公ナターナエルをみていきましょう。
彼はラストシーンでなぜ錯乱したのか、その謎に迫ります。
・精神が分裂するナターナエル
主人公のナターナエルは、普通の幸せも望む一方、自己の暗闇も見つめてしまう複雑な自己をもつ人物です。
性格的な特徴としては、
- エゴイスト
- ロマンチスト
- ナルシスト
などが挙げられます。
彼は物語の不安を煽る役割を担っており、作中では実際に3回も錯乱します。
一回目は子どもの頃で、父親の部屋陰に隠れて砂男を見たときです。
砂男=コッペリウスはナターナエルを見つけると、目玉を奪おうと砂を眼に入れようとします。
父親がそれを阻むも、コッペリウスはナターナエルの手足をねじ回して、外したりくっつけたりするので、ナターナエルは意識を失います。
二回目は自動人形のオリンピアがコッポラに連れ去れれたときです。
割れたガラスの破片が散らばっている中にオリンピアの目玉があり、それを教授がナターナエルに投げた途端、彼は獣のように叫びながら錯乱します。
三回目は物語のラスト、塔の上にクララとのぼったときです。
ナターナエルが望遠鏡を覗くと、そこにはクララがいて、その瞬間に彼は錯乱し始めます。
最後には自分から身を投げて、頭を割って死んでしまいます。
この三度の錯乱は、いずれも「砂≒ガラス」が関係しています。
- コッペリウスの砂
- 割れたガラスの破片
- 望遠鏡のレンズ
それから、
- 取られそうになるナターナエルの目
- オリンピアの血まみれの目
- 望遠鏡で覗いたクララの目
という三つの「目」も、それぞれの場面に関係があります。
以上をまとめると、ナターナエルは子どもの頃の「目」と「砂」にまつわる恐怖体験がトラウマとなっており、以後も「砂」に関係する「ガラス」や「目」などをきっかけに、精神が錯乱していることが分かります。
・ナターナエルの「目」
次は『砂男』という作品の「目」について、もう少し掘り下げていきます。
特に注目したいのが、ナターナエルが望遠鏡を通してオリンピアを見たとき、彼の眼がオリンピアにすげ替えられるかのように描写されている場面です。
ただ目ばかりは、奇妙にすわったまま死んだように動かない。それでもレンズごしに目を凝らして眺めているうちに、オリンピアの目からしっとりと月の光がかがやきでてくるように思えてきた。まるでいまはじめて視力に灯がともったかのようだ。
ホフマン『砂男』光文社
この後のオリンピアが連れ去られる場面で、スパランツァーニ教授が「お前から盗んだ目だ」と言っているように、オリンピアの眼は実際にナターナエルの眼でもあります。
これは、眼球そのものが嵌められたというわけではなく、ナターナエルの瞳がオリンピアの瞳にコピーされたイメージです。
そう考えられる理由としては、
- ナターナエルが熱い視線を送るとオリンピアの目に感情が灯る
- ナターナエルが熱心に話せば話すほどオリンピアの目が輝く
というように、オリンピアの目はナターナエルの感情を写し出す鏡のように描かれているからです。
このように「目=鏡」だと考えると、物語のラストでクララを見たナターナエルが錯乱した理由にも説明がつきます。
望遠鏡でクララを見たナターナエルは、クララの目の中に写った自分を見て、「死神」になっていることに気づきます。
そして彼は錯乱し、塔の上から落ちて死んでしまうのです。
この「死神」というのは、物語の中盤でナターナエルが作った詩の中に出てくるものです。
ちなみにこの詩は『砂男』の要約ともいえる内容で、物語はこの詩の通りに進んでいきます。
最後の場面でナターナエルが叫ぶ「火の輪よ、まわれ、火の輪よ、まわれ」という言葉も、この詩の中からのイメージです。
こうしてみると、やはりクララの言うとおり、全てはナターナエルの想像や妄想だということも出来るかもしれません。
しかし、そうした説明だけでは覆いきれない魅力が、『砂男』という作品にはみなぎっています。
-感想-
・ナターナエルと二人の女性
『砂男』で忘れてはいけないのが、
- クララ
- オリンピア
という二人の女性の存在でしょう。
クララは主人公にとって幼馴染みの婚約者であり、優しく聡明な人物として描かれます。
一方のオリンピアはスパランツァーニ教授の娘で、ナターナエルがのぼせた自動人形です。
どちらも主人公のナターナエルが愛する女性で、彼はどちらとも相思相愛になります。
この二人の女性の共通項は、「身体の均整がとれている」という点です。
これはクララとオリンピアの見た目が変わらないということを表しています。
彼女たちの相違点は、それぞれの精神的な側面にあります。
クララは優しく聡明な女性ですが、それゆえにナターナエルにとっては良き理解者となってくれない場合があります。
一方のオリンピアは、ナターナエルにとって、良き理解者となってくれるのです。
具体的には、彼女たちの「話を聞く態度」が、この二人を差別化している大きな点です。
ナターナエルが話をしているとき、クララは熱心な態度で聞いてくれません。
あなたが講義をしている間、ずっとあなたの眼を見つめていたりなんかしたら、コーヒーが吹きこぼれてしまうわ。
ホフマン『砂男』
しかしオリンピアは、ナターナエルの話をじっと聞いてくれます。
(オリンピアは)何時間でも恋人の目にじっと見入ったまま身じろぎひとつせず、そのまなざしはますます熱く、ますます生きいきとしてくるのだ。
ホフマン『砂男』光文社
このように、クララの話の聞き方と、オリンピアの話の聞き方は対照的です。
二人の女性の見た目を同じにすることで、こうした彼女たちの精神的な違いが強調されてます。
不安に苛まれ精神的に孤独だったナターナエルは、理性的に問題を解決するクララよりも、話をいつまででも聞いてくれるオリンピアの方がありがたい存在でした。
たとえオリンピアが自動人形だったとしても、ナターナエルにとってはかけがえのない人物だったと考えられます。
こうした自動人形との恋愛は、現代でもよく扱われる「人間とロボットの恋愛」というテーマとも重なります。
『砂男』が今から200年以上も前に書かれた作品であることを考えると、この作品の射程範囲の広さが分かります。
ホフマンは『くるみ割り人形』の作者としても有名ですので、自動人形のテーマを追いかけたい人は彼の作品を読んでいくと良いかもしれません。
以上、『砂男』のあらすじと考察と感想でした。
この記事で紹介した本