『平凡』とは?
『平凡』は、ある平凡に人生を歩む39才の主人公が、自分の半生を綴っていく物語です。
二葉亭四迷の長編小説としては最後の作品になります。
ここではそんな『平凡』のあらすじ・解説・感想をまとめています。
『平凡』のあらすじ
わしはもう39才。まだ死ぬ年齢ではないが、心はすでに老人のように老け込んでしまっている。
こうなるともう、昔のことばかり思い出す。
そのことでも小説に書こう。
幼少期に過ごした田舎の実家、可愛かったポチ。
上京して文学にかぶれた青年時代。
女にかまけて自堕落な生活を送った作家時代。
そんな生活から眼を覚ましたのは親の死だ。
それから心機一転、普通の生活を心懸け、妻子を持って今に至る。
思い返してみれば一瞬のようで、昔は馬鹿にしていた平凡な人生というものを、気づけば自分も送っている。
以上が私の人生だった。
このことを小説にそのまま書いたとてしても、現実そのままを写し出せたわけではない。
少しは空想が入るのだから当たり前だ。
このような空想にばかり浸っているから、小説家はだらしない人間になってしまうのだ。
ましてやだらしのない人間が、だらしのない物を書いているのが今の文壇の、、、、、、、。
・『平凡』の概要
主人公 | 作 |
物語の 仕掛け人 |
両親 |
主な舞台 | 地方→東京 |
時代背景 | 明治後期 |
作者 | 二葉亭四迷 |
-解説(考察)-
・自然主義を達観する物語の構造
『平凡』の物語は39才の男性主人公が、
- 自分の半生を小説にする
という形で物語が始まります。
幼少期から大人の現在までをざっと書き、最後に小説の形式について少し述べて、物語が終わります。
つまり『平凡』は、「小説の中の主人公が小説を書いている」という額縁構造になっています。
では、なぜ二葉亭四迷はこのような構造で『平凡』を書いたのでしょうか?
その理由は、物語の内容だけでなく「小説の書き方」自体にも焦点を当てたかったからだと考えられます。
実際、作中でも主人公が小説の書き方について言及しています。
近ごろは自然主義とか言って、何でも作者の経験した愚にも付かぬ事を、聊かも技巧を加えず、有の儘に、だらだらと、牛の涎のように書くのが流行るそうだ、好い事が流行る。私も矢張り其で行く。
二葉亭四迷『平凡』
日本における自然主義文学とは、日常の私的なことを、そのまま写し出そうとする試みの小説です。
有名な作品では、田山花袋の『蒲団』などが代表例として挙げられます。
この『平凡』の主人公も、自然主義文学の影響を受けて小説を書いているようです。
しかし、彼は自然主義という形式を信奉していたわけではなく、半ばアイロニカルに用いている様子が見られます。
これらをまとめると、『平凡』は額縁構造という間接的な語りの方法を用いており、さらにその主人公には自然主義に対してアイロニカルな視点を持たせています。
そうすることで、小説が自然主義的な雰囲気に染まりきることがなく、少し身を引いた余裕のある作品になっているのです。
こうした独特な立ち位置に、『平凡』という作品の特徴が見られます。
・三つの死
この物語には三つの死があります。
すなわち、
- 祖母の死
- ポチの死
- 父の死
の三つです。
どの「死」も主人公の内面を浮かび上がらせる重要な役割を担っています。
祖母の死は、死をよく理解していない主人公の幼い心が描かれる場面です。
後にある父の死と対比的な構図になっています。
またポチの死は、祖母の死を体験したからこそ主人公が悲しみに打ちひしがれる場面です。
世の中の不条理を強く訴えるような感情的なシーンになっています。
最後に父の死は、主人公が自堕落な生き方から眼を覚ますきっかけとなる場面です。
大人になってからの「死」を描くことで、主人公の成長や物語内時間の幅を感じさせる仕掛けになっています。
こうした三つの死が、『平凡』を物語的に面白くさせています。
・二人の女性
主人公はあまり色恋沙汰のない人物。
ですが、そんな彼の人生にも、二人の女性が影を落としています。
それは、
- 雪江さん
- お糸さん
という二人です。
雪江さんは上京した主人公が住ませてもらっていた家の女性。
彼女への想いが募るものの、女性を知らない主人公は手が出せません。
そうした悶々とした姿が、思春期特有の恋愛を思わせる描写になっています。
一方で、お糸さんは主人公が大人になってから出会った大人の女性。
主人公は実家に金を送らなければいけないのにも関わらず、彼女を手に入れるために、無いお金をほとんど貢いでしまいます。
そして、遂に彼女を手に入れるとなったとき、物語は一つの山場を迎えます。
その一節は江戸っ子らしいこざっぱりとした叙情で描かれており、あの夏目漱石も感嘆したほどの名場面です。
そんな二人の女性との関係も面白いポイントです。
-感想-
・犬の場面が好き
『平凡』の中で個人的に好きなのは、幼少期のポチの話です。
犬への愛が豊かに描かれていて、主人公の人間味を増している描写になっています。
ポチは犬殺しに殺されるのですが、その時の主人公の悲しみは計りきれません。
まさに絶望といった感じです。
ちなみに犬殺しとは、野良犬を殺して狂犬病などの病気を防ごうとする明治政府の試みです。
決して快楽目的の悪者に殺されたいうわけではありませんが、その時の主人公の悲壮感はひしひしと伝わってきます。
二葉亭四迷は『平凡』の中で、ポチの場面を三回も書き直しているらしく、念を入れて書かれたことが分かります。
・小説と主人公
『平凡』の主人公は、学生時代に小説と出会い、その魅力に取り憑かれます。
章でいえば「四十三章」あたりですね。
始めは日本の大衆小説を読み、次に文豪の作品を読み、ついには西洋へ手を出します。
そして、西洋の小説を高尚な物だと思い、日本の通俗小説を少し馬鹿にするのです。
小説好きなら、もしかすると同じような経験をした人もいるかもしれません。
お恥ずかしい話ですが、僕も一時期そのようなことを思っていたことがありました。
今となっては赤面ものです。
主人公と恥ずかしさを共感できるので、この一節は好きなところです。
ところで、二葉亭四迷といえば『浮雲』です。
ここでは『浮雲』の解説・感想も書いているので、『浮雲』のことも知りたいという人は読んでみて下さい。
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以上、『平凡』のあらすじと考察と感想でした。
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