「一日じゅう、きみみたいにくり返していた。『大事なことで忙しい!私は有能な人間だから!』そうしてふんぞり返ってた。でもそんなのは人間じゃない。キノコだ!」
サン=テグジュペリ,河野万里子訳,『星の王子さま』新潮文庫,2006,p38
『星の王子さま』とは?
『星の王子さま』は、サン=テグジュペリによるフランス文学です。第二次世界大戦中の1943年に出版されました。
挿絵付きで子どもでも読める優しい文章ですが、内容は大人にこそ突き刺さるものとしてよく知られています。
ちなみに挿絵のイラストはサン=テグジュペリ本人が書いたもので、絵も作品の重要なテクストとして楽しむことができます。
ここではイラストを中心に、『星の王子さま』の考察をすすめていきます。まずはあらすじからみていきましょう。
-あらすじ-
主人公の「ぼく」はパイロットですが、機体の故障でサハラ砂漠に不時着します。そこで「ぼく」は麦色の髪をした王子さまと出会うのです。
王子さまは「ぼく」に向かってこれまでの旅の出来事を話しはじめます。これまで行ったへんてこな人たちのいる星々の話、自分が住んでいた星の話、そこで一緒に居たバラの話、地球で出会ったヘビの話、大勢のバラの話、キツネの話、、、。
王子さまは「ぼく」に全てを話し終えると、バラのもとへいくのだと言います。
「ぼく」は王子さまが行かなくてはならないことを知り悲しみますが、そんな「ぼく」に王子さまは「夜になったら星をみてね」と言い残します。
それからというもの、「ぼく」は星を見るたびに王子さまを思います。そして夜空は「ぼく」の気持ち次第で、悲しい顔にも笑った顔にもなるのです。
-概要-
主人公 | ぼく(飛行機のパイロット) |
物語の仕掛け人 | 星の王子さま、バラ、星の人々、キツネ、ヘビ |
舞台 | 星々と地球(サハラ砂漠) |
時代背景 | 1940年代 |
作者 | サン=テグジュペリ |
『星の王子さま』-解説
イラストに込められた様々な意味とは
『星の王子さま』の魅力のひとつが可愛らしく優しいタッチで描かれたイラストにあることは間違いないでしょう。
冒頭でも触れましたが、このイラストは全て作者であるサン=テグジュペリによるものです。
作中でも王子さまに批判されているように、残念ながら大人というものは何につけても説明が必要で、想像力に乏しい人が多いのかもしれません(間違いなく僕もそのうちの一人でしょう)。
そうした想像力を補い、作品を味わいやすくするひとつの要素としてもイラストは効果的にはたらいています。
バオバブのイラストが持つ意味
たとえばこのバオバブの木のイラストを見てみましょう。
作中でバオバブは悪い木として描かれていて、種を少しでも放っておくと星を覆い尽くしてしまいます。
だから、王子さまはこのバオバブが生えてこないか常に心配していなければならないのです(ちなみにこのイラストはなまけ者の星で、芽を摘まなかったためにバオバブに覆い尽くされてしまった)。
このバオバブの木を見て、何か分かることはありますか?
実はこのバオバブをよく見ると、根が絡まり合っていることが分かります。
通常、バオバブは根を絡ませて育つ植物ではないので、作者が意図的に絡ませたということになります。
ではなぜ作者のサン=テグジュペリはこのようなイラストを書いたのでしょうか?
これは、悪い木が三本絡まり合いながら一つの星を壊すという構造から、当時の第二次世界大戦と重ね合わせて、ドイツ・日本・イタリアが世界を壊してしまうことを表しているという説が一般的です。
一方で、バオバブの種は人間の悪徳を象徴していて、環境破壊に代表されるように、人間の悪い部分が大きくなると地球を破壊してしまうことにつながるということを表しているとする説もあります。
どちらもうなずける読み方です。
いずれにしてもそれらの説をこのイラストが支えていることは間違いないでしょう。このように、イラストは作品を深く読み解く手がかりとしてのはたらきも担っていることがわかります。
ほかにもイラストは多くあり、作品を読むためのヒントを与えてくれます。
- バラの四本のトゲ
- 大蛇ボアに飲まれたゾウ
- 王子さまの星にある二つの活火山と一つの死火山
これらについて独自の解釈を考えることは楽しい作業です。そしてそれは自由であっていいと思います。
このイラストはこんな意味だろうか?これはなんでこう書かれているんだろう?そういう疑問を持ってあなたなりの読みを深めてみてはいかがでしょうか?
というわけで、僕も僕なりの読み方をひとつ、イラストから考えてみました。
例えばマフラーは何を意味するのか
マフラーが持つ意味 ~イラストから読む『星の王子さま』~
星の王子さまというキャラクターは世界中で愛されています(世界中の発行部数は2億冊を超えるといいます。すごい)。
彼の外見的な特徴は、麦色の髪と草色の服と長いマフラーです。
イラストから分かるように、このマフラーは基本的にはピンと上を向いて描かれています。これはほとんどの場面でそうだと言えます。
一方で、そうでないのは下に載せた地球に降りたった場面です。王子さまの心境を表すかのようにしょぼんと下を向いているようにも見えます。
ただし、例外的にマフラーが描かれない場面もいくつか存在します。
- 惑星に一人でいる場面
- 草の上で泣く場面
- 彼が倒れる(死ぬ)場面
などです。ちなみに下の3つがそれぞれの場面です。
上の3つの場面のうち、ラストシーンでもある一番右の王子さまが倒れる場面は特に興味深いです。
なぜなら、同じ場面である一つ前のイラストではマフラーを巻いていたのにも関わらず、次の場面ではマフラーがなくなっているからです。
これは一体何を表しているのでしょうか。
その答えとして、マフラーを王子さまの「魂」だとする説があります。王子さまの魂がなくなったから、マフラーも同時に消失したのだという論理です。
たしかになるほどと思うのですが、その説では惑星や草の上にいる王子さまのイラストで、マフラーをつけていない理由が説明しづらいかもしれません。
そこで、僕はあえて各イラストの整合性が取れるように物語を読んでみようと思います。
結論から言えば、マフラーは、
精神的に王子様を守るもの
を視覚的に表しているだと思います。
もちろんそれだけではありません。それを今から少し詳しく説明していきたいと思います。
もう一度マフラーを着けていないイラストをみてみましょう。
上に載せたイラストへ左から順番に「孤独」・「喪失」・「死」というタイトルを付けることは的外れではないでしょう。
左の「孤独」のイラストはひとりぼっちの王子さまで、中央の「喪失」のイラストは、バラが王子さまの星以外にもたくさんあることを知ったときの一コマです。
右の「死」のイラストは、王子さまが倒れる場面で、このあと王子さまはいなくなってしまいます。
「孤独」「喪失」「死」、なんだか暗いイメージですね。これらのイラストに共通するのは、一般的にみて人生の悲しみだといえます。
人生を生きていく上ではそうした悲しみから逃れることはできません。
そしてそれは、本質的には一人で立ち向かい乗り越えなければならない性質のものです。
だから、身を守る役割であるマフラーは描かれない。その証拠にマフラーを着けていない王子さまは無防備で、表情はどこか弱々しく見えます。
では、王子さまはそれらの悲しみをどうやって乗り越えているのでしょうか?それを少しみていきましょう。
王子さまはどうやって人生の悲しみを乗り越えたか
悲しみは「きずな」で乗り越える
一人で旅をしてきた王子様は、旅の途中でキツネと出会います。
そしてそのキツネは王子さまに「きずな」のことを教えてくれるのです。王子さまが「孤独」から解放されていく中で、キツネは言います。
「おいらにしてみりゃ、きみはほかのおとこの子10まんにんと、なんのかわりもない。きみがいなきゃダメだってこともない。(中略)でも、きみがおいらをなつけたら、おいらたちはおたがい、あいてにいてほしい、っておもうようになる。きみは、おいらにとって、せかいにひとりだけになる。おいらも、きみにとって、せかいで1ぴきだけになる……」
王子さまはこれを聞いて、一時は数ある中の一つだと思ったバラをこの世で一本のバラであると再認識します。
これは、王子さまが「喪失」していたバラを「再獲得」することで、喪失を乗り越えている表現になっています。
物語の最後には、王子さまの肉体は死を迎えます。しかし、こうした「きずな」の考え方によれば、王子さまは「ぼく」や私たちの中で生き続けているといえます。
つまり、王子さまは「孤独」や「喪失」や「死」といった悲しみを乗り越える存在として描かれているのです。
たしかに『星の王子さま』は切ない物語です。ですが、同時に僕たちは暖かさも受け取ることができます。
なぜなら、作品全体に悲しみがちりばめられつつも、王子さまが成長し、それらの悲しみを精神的に乗り越えていく様子が、寓話と柔らかいイラストをもって描かれているからです。
まるで人生を煮詰めてジャムにしたような作品だと思います。
~感想~
子どもの頃の感情を覚えているでしょうか?忘れたくないと思っていた感情も、僕はいつしか忘れてしまっています。
かろうじで覚えているのは、正月やクリスマスなどの行事にともなって沸き起こる浮き浮きとした感情の残滓くらいで、そのわずかな感慨でさえも、もはや記憶にすがってつくり出した別の何かなのかもしれないと最近は思うのです。
王子さまは、人間の弱さの象徴として描かれる6つの惑星の人々を風刺します。
僕が子どもの頃に読んだとき、この場面は爽快だったように思います。けれど、大人になった今もう一度読んでみると、相変わらず王子さまの批判にうなずく一方で、6つの惑星にいる大人たちも少なくない同情・共感を覚えてしまいます。
もっといえば、僕がその大人たちの全部とはいわないまでも、一部になっているという実感すらあるのです。
これはおそらく悲しいことなのでしょう。ですがもっと悲しいのは、僕がこの問題について解決する術を知らないということです。
しかし悲しいだけではありません。この物語は最後にはなぜか暖かくなる、魔法のようなお話だと思います。
『星の王子さま』の原題について
最後になりましたが、『星の王子さま』というタイトルの訳は抜群に良いと思います。
原題は、『Le Petit Prince(小さな王子さま)』。
日本語の訳を考えたのはフランス文学者で評論家の内藤濯(ないとうあろう)氏です。
このタイトルが良いと思う理由は、本作を読むにしたがって『星の王子さま』という題が持つ意味を変えていくという点にあります。
はじめは「星(を所有しているひととして)の王子さま」からはじまり、つぎには「星(にいる存在として)の王子さま」になり、最後には「星になった王子さま」へと移り変わります。
- 星(を所有しているひととして)の王子さま
- 星(にいる存在として)の王子さま
- 星(になった存在として)の王子さま
すなわち、ただの格助詞「の」が様々な意味を内包しているのです。
内藤濯氏はこのタイトルにそうした魔法をかけました。そしてその魔法には多くの日本人が魅了されているのです。
以上、『星の王子さま』のあらすじと考察と感想でした。
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