現代日本文学

井上ひさし『ナイン』あらすじ&ラストシーンの意味を徹底解説!

『ナイン』とは?

『ナイン』は1984年に発表された、井上ひさしの短編小説です。

新道野球少年団の過去と現在を通して、資本主義がもたらす時代の変化が描かれています。

ここでは、そんな『ナイン』のあらすじ&作者が伝えたかったことまでを解説します。

『ナイン』のあらすじ

私はかつて、東京四ツ谷駅前のしんみち通りにある、畳屋の2階に家を借りていました。

当時は町人同士で活気のある通りでしたが、ビルがたくさん建ってからというもの、通りの店は外から来る客を迎えるだけの、なんだか素っ気ない通りになってしまいました。

ある日、私は久しぶりにその畳屋に寄ってみると、畳屋の主人である中山さんと、新道野球少年団の昔話に花が咲きます。

新道野球少年団は、中山さんの息子の英夫くんがピッチャーで、洗濯屋の正太郎くんがキャッチャー、豆腐屋の常雄くんがレフトで。

とにかく地元の子たちで結成されている、当時は新宿区の少年野球大会で準優勝をするほど強い野球団でした。

今では30歳手前になっている彼らですが、中山さんによると、今では正太郎くんは詐欺師のようなことをして、英夫くんは85万円分の畳を騙し取られ、常雄くんは400万と奥さんを盗まれたそうです。

しかし英夫くんに言わせると、僕は正太郎に騙されてから仕事を本気でやるようになったし、常雄くんの奥さんもかつては高慢だったが、帰ってきてからは慎ましい女性になったとのこと。

だから、正太郎はいつまでも僕たちのキャプテンだ、といって正太郎くんをかばうのでした。

「あの決勝戦の日、僕が完投できたのは正ちゃんのおかげです。木陰のないグラウンドで、僕の前に立って西陽を遮ってくれて、ナインがみんなそれにならって影を作ってくれた。あのとき、ナインにできないことなんて何もないような気がした。だから、、、」

私は畳屋を出て、当時野球の試合が行われていたグラウンドに行きました。

そこは大会社のビルの影になっていて、もう西陽はささなくなってしまっていたのでした。

『ナイン』ー概要

物語の中心人物 私(歳)
物語の
仕掛け人
英夫くん、正太郎くん、中村さん
主な舞台 新宿区しんみち通り中村畳店
時代背景 1984年
作者 井上ひさし

『ナイン』ー解説(考察)

資本主義によって変えられてしまう人間

『ナイン』は、新道野球少年団を通して、金(資本主義)によって変えられてしまう人間を描いた小説です。

ここでは、下記の2点について解説していきます。

  1. 資本によって仲を引き裂かれるナイン
  2. 資本によって人が変わってしまった正太郎

それでは見ていきましょう。

1.資本によって仲を引き裂かれるナイン

舞台は1984年の東京四ツ谷駅前「しんみち通り」。

ここは開発がすすみ、「大会社のビルがいくつも」建ちはじめたため、地元の人は土地を売って、みんなバラバラになってしまいました。

みんな新道から出ていってしまったねえ。ここの地価は高い。三、四十坪の狭い土地でも、処分すれば郊外に家を建てたうえ、びっくりするほどのお釣りがかえってくる。だから親たち競争で土地を処分してしまった。お釣りは老後の資金というわけだね。

井上ひさし(1987)『ナイン』講談社,p14

物語の登場する新道少年野球団のメンバーは、みんな「しんみち通り」で商売をしていた息子たちです。

名前 ポジション 家の商い 現在
正太郎 捕手 洗濯屋 詐欺師
英夫 投手 畳屋 畳屋
明彦 一塁 洋品屋 丸の内の会社
洋一 二塁 お惣菜屋 ホテルのコック
忠 三塁 ガラス店 コンピューター技師
光二 ショート 文房具店 中学校教師
常雄 レフト 豆腐屋 自動車学校経営者
誠 ライト 魚屋 小料理屋

現在も同じ場所に住んでいるのは畳屋の英夫だけで、ほかのみんなは「しんみち通り」からいなくなっています。

つまり、彼らは巨大な資本によって仲を裂かれ、バラバラにされたという構図になっているわけです。

もし近所に巨大な商業施設が立たなければ、彼らは家業を継いで、彼らのコミュニティは守られたでしょう。

ここに『ナイン』のテーマがあります。

2.資本によって人が変わってしまった正太郎

次は個人を見ていきましょう。

正太郎は新道少年野球団のキャプテンでしたが、現在は友達をも騙して金を得る詐欺師になっています。

あいつの名前を聞いただけでめしがまずくなる。英夫のやつ、あの正太郎のために畳を八十五万円分も騙し取られてね

井上ひさし(1987)『ナイン』講談社,p15

夏、正太郎くんは事務室の金庫から四百万余りの現金を持ち出し、姿を消した。常雄くんの奥さんも同時に家を出てしまった。正太郎くんはいつの間にか常雄くんの奥さんとねんごろになっていたらしい。

井上ひさし(1987)『ナイン』講談社,p17

友人から85万+400万+奥さんを盗むという、悪の権化となっている正太郎。

彼のなかでは、「友情<金」となってしまっていることが分かります。

詳しい事情は語られませんが、正太郎にはとにかくお金が必要なのでしょう。

つまりここでも、金によって人は変わってしまうことが描かれているのです。

変わらない人間としての英夫

変わってしまった正太郎の対比的な存在として、畳屋の英夫は変わらない人間として描かれます。

彼は昔から住んでいた畳屋に住み、家業の畳屋を継ぐ予定です。

また、騙された本人であるにも関わらず、正太郎のことを責めず、むしろありがたいとすら思っています。

正ちゃんに八十五万円、騙し取られてからですよ、本気で仕事をするようになったのは。なんていうのかな、正ちゃんのつくった穴を一日でも早く埋めなくてはと思い、それで仕事に精を出すようになったというところかな。(中略)正ちゃんは一見、悪のように見えるけど、やはりぼくらのキャプテンなんですよ。結局は、ぼくらのためになることをしてあるいているんだ。

井上ひさし(1987)『ナイン』講談社,p19

正太郎の行動を全てポジティブに捉え、自分の人生を前進させようとする英夫。

彼がここまで正太郎を信じる理由は、当時は日陰のないグラウンドに、正太郎が影をつくってくれたからです。

「••••••決勝戦の六回ごろだったと思いますが、ベンチに戻ってぐったりしていると、さっと涼しくなりました。見ると、正ちゃんがぼくの前に立って日陰をつくってくれているんです。正ちゃんにならってナインが僕の前に立ちはじめました。これが十二回までつづいたんです。ぼくが完投できたのは西日をさえぎってくれたあの日陰のおかげです。(中略)自分たちは日陰なぞあり得ないところに、ちゃんと日陰をつくったんだぞ。このナインにはできないことはなにもないんだ。そんな気持ちでいっぱいでした。その気持ちはいまでもどこかに残っていると思います。だから••••••」

井上ひさし(1987)『ナイン』講談社,p19

「できないことは何もない」この思いが、まだしんみち通りでも畳屋をやっていけるという、英夫の考え方の源泉にもなっているのでしょう。

しかし『ナイン』という作品は、英夫のこうした思いとは裏腹に、暗雲立ち込めるラストになっています。

しんみち通りの変化とラストシーン

しんみち通りは、かつては地元の人たちで活気づいていた通りでした。

当時の新道には生活があった。豆腐屋があり、ガラス店が、お惣菜屋が、ビリヤード屋が、そして主人が会社勤めの普通の家があった。(中略)そのころの新道は自足していたのである。たいていの日用品は新道のなかにある店屋で充分に間に合っており、それらの店屋はまた新道に住む人たちだけを相手にして、とにかく暮らしが立っていた。新道は、ささやかにではあるが、しっかりと自給自足しており、そこで小路全体に自身のようなものがみなぎっていた。

井上ひさし(1987)『ナイン』講談社,p12

しかし、先に述べたように、この町並みは資本によってバラバラにされ、それに伴ってナインもバラバラになりました。

そしてその象徴として、当時の決勝戦が行われた野球場には、今では大会社の巨きなビルが影を作っています。

次の引用は物語のラストシーンです。

金網越しに野球場を見ると、木枯らしに吹き上げられた砂煙がグラウンドを走り回っている。振り返って西を見ると、大会社の巨きなビルが野球場に覆いかぶさるように立っていた。この十何年かのうちに、ここには西日がささなくなってしまったようである。

井上ひさし(1987)『ナイン』講談社,p21

巨大なビルの影に覆われているグラウンド。

これは資本主義の影に覆われている「ナイン」を暗示しています。

当時はナインを守っていた正太郎ですが、金によって変わってしまった今の正太郎は、ナインに暗い影を落とす存在です。

そして巨大なビルは簡単に動きそうにありません。

グラウンドはこの先も長い間、暗い影に覆われ続けることが予想されるような描写で、『ナイン』は幕を閉じます。

『ナイン』ー感想

『ナイン』の時代は1984年

『ナイン』の時代背景は1984年で、そのことが分かるのは下記の描写からです。

  • 東京で五輪大会が開かれた年の暮から三年間、「わたし」は畳屋に間借りしていた=1964年末〜1967年末
  • ナインが決勝戦を戦ったのは「わたし」が来て二度目の夏=1966年夏
  • ナインは当時12歳で、現在30歳

つまり、作中の現在は、1966年から18年経過しているということになります。

「1966年+18年=1984年」なので、作中の現在は1984年となります。

資本主義が変えたものを写真で見る

『ナイン』は1983年に、講談社『IN・POCKET』12月号で掲載されました。

面白いことに、河出書房新社から『東京タイムスリップ 1984⇔2021』という写真集が出ており、ちょうど『ナイン』で描かれた東京を写真で見ることができます。

表紙を見てもらえると分かりますが、同じ位置、同じ角度から撮った写真を見比べるもので、この40年にどれだけ町並みが変わったのか分かります。

古ぼけた町並みが近代的な建築物に変わったことは、一見すると進歩のようです。

しかし、本当に大事なのは街並みではなく、小さく写っている人間であり、その裏にある彼らの生活です。

この写真集を見ると、見違えた風景にも驚きますが、背景にいる人々にも思いを馳せてしまいます。

『ナイン』で描かれた「資本主義は人間をどのように変えるか」というテーマにどれだけ先見性があったか、写真を見ながら思い知らされます。

また昭和の一コマを知るためにはもちろん、『ナイン』の副読本としてもおすすめの一冊です。

以上、『ナイン』のあらすじ・解説でした。

この記事で紹介した本