『坊っちゃん』とは?
言わずと知れた名作『坊っちゃん』。『吾輩は猫である』に次いで夏目漱石が書いた第二作目の小説です。
教科書に掲載されていますが、全部は読んだことが無いという人も多いはず。
ここでは全十一章をまとめた簡単なあらすじから、作品の押さえておきたいポイント・感想までをまとめました。それでは見ていきましょう。
あらすじ
主人公・坊っちゃんは親譲りの無鉄砲。
小学校の時分に学校の二階から飛び降りて腰を抜かすと、父親が「二階位から飛び降りて腰を抜かす奴があるか」と言ったので、「この次は抜かさずに飛んで見せます」と答えるほどです。
その無鉄砲さから両親・兄からは冷遇されますが、下女の清だけには愛された子ども時代を送ります。
とはいえ両親は早くに亡くなります。小学校のときに母が死に、中学を卒業するときに父が死にます。
中学卒業後の進学の際には持ち前の無鉄砲さから、たまたま通りかかった学校に入学します。
それからその学校を卒業しますが、就職のことなど全く考えていない坊っちゃんは卒業後校長に呼び出され、「四国辺のある中学校で数学の教師が入る(要る)」と言われたので、またまた無鉄砲にも「行きましょう」と即席で返事をします。
清を東京に残してひとり四国へと赴きますが、四国へ着くとそこには気にくわない教師、生徒、住民が数多くいて、坊っちゃんはとんだところへてしまったと思います。
そりの合わない人々や規則に縛られ辛労辛苦しながらも教師生活を送るなか、教師生活も少しずつ馴染んできます。
坊っちゃんが特に気に入らないのは教頭の赤シャツ、それに追従する画学の野だという人物です。
物語が進んでくると、どうやら赤シャツにはマドンナという女がいるらしいことが分かります。
一方で気に入ったのは男らしい数学の山嵐と、君子然とした英語教師うらなり君のふたりです。
ところが、物語が進むにつれてうらなり君が日向の延岡に転勤する事になります。
はじめは祝福していた坊っちゃんですが、マドンナがうらなり君の元婚約者であり、うらなり君の転勤はマドンナを奪った赤シャツの謀略であることを知ると憤慨します。
坊っちゃんは山嵐と手を組み赤シャツを成敗しようとしますが、赤シャツは先に手を回し山嵐を辞職へと追い込みます。
せめて一矢報いたい坊っちゃんと山嵐は赤シャツと野だの夜遊びを突き止め、現行犯で彼らを懲らしめます。そして坊っちゃんはそのまま辞表を出し、その日のうちに山嵐と共に四国を去るのです。
東京へ着き帰りを告げると清はたいそう喜びました。その後、街鉄の技手となり、玄関月の家ではありませんが、清と一緒に暮らします。
しかし、残念なことに清は肺炎で死にます。『死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんの御寺へ埋めて下さい。御墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますといった。だから清の墓は小日向の養源寺にある。』というところで物語は終わります。
・概要
主人公 | 坊っちゃん |
物語の仕掛け人 | 赤シャツ(教頭)・山嵐(数学教師)・清(下女) |
主な舞台 | 四国辺の中学校 |
時代背景 | 明治30年代 |
作者 | 夏目漱石 |
解説
・漱石自身も赴任した!舞台は四国の中学校
物語の舞台は四国辺りの中学校となっています。
漱石自身が四国は愛媛県松山市の中学校に教師として赴任していたことから、『坊っちゃん』は漱石の体験をもとに描かれた作品とも言われます。
松山市で有名な道後温泉は作中に出てくる温泉のモデルとされ、実際に漱石も足繁く通い道後温泉を絶賛していたようです。
『坊っちゃん』と道後温泉の関係をもっと知りたいという方は下の松山市公式ホームページが詳しいのでおすすめです。
・個性溢れる登場人物たち
『坊っちゃん』の面白さの一つは魅力的な登場人物たちです。
彼らの特徴や役割を知ることで物語をより楽しむことができるでしょう。ここでは主要なキャラクターを簡単に紹介していきます。
- 主人公......無鉄砲だがまっすぐな気性の江戸っ子。数学教師として四国へ赴任。
- 清........主人公の家に下女として仕え、家族の誰からも相手にされなかった主人公を唯一愛した。
- 山嵐.......同じ学校の先輩で同じく数学教師。男気があり、主人公の数少ない味方。
- 赤シャツ.....学校の教頭。上手く立ち回り自分を優位な立場にすることが得意。主人公は赤シャツを嫌っている。
- 野だ.......画学の教師。教頭である赤シャツのことは何でも肯定する太鼓持ち。
- うらなり君....物語中きっての好人物として描かれる。赤シャツによって職と女を奪われる。
- マドンナ.....作中一番の美女。うらなり君から赤シャツへと乗り換える。
以上が主な登場人物たちです。
ほかにも主人公の家族や学校の同僚、下宿先で出会う人々など面白い人がたくさん出てきます。ぜひチェックしてみてください。
・時代背景
小説の時代設定は明治28年頃とされており、事実、作中には戦争の祝勝会の場面もあります。
漱石の生きた明治期の雰囲気が『坊っちゃん』には色濃く反映されていると言ってよいでしょう。
西洋の文化がどっと流れ込んできた明治時代。それらは日本人の生活様式を変えるだけでなく、思想や人そのものにまでも影響していきます。
『坊っちゃん』にはそうした時代の移り変わりの中で生きる人々が描かれています。
・敗北者としての坊っちゃん
岩波文庫の『坊っちゃん』の見開きには解説者が書いた言葉があります。面白いので少々長いですが引用します。
無鉄砲でやたら喧嘩早い坊っちゃんが赤シャツ・狸の一党を相手にくり展げる痛快な物語は何度読んでも胸がすく。が、痛快だとばかりも言っていられない。坊っちゃんは、要するに敗退するのである。
夏目漱石『坊っちゃん』,見開き,岩波文庫,1929
汚い手を使う嫌な人間に対して、坊っちゃんがまっすぐ立ち向かう姿は読んでいて気持ちのよいものです。
しかし、解説者の言葉通り、坊っちゃんは敗退します。
己の正義感で教頭に手を出した結果、職を失い、東京に戻るも安い給料で働き、唯一心の拠り所だった下女の清も他界します。
一方で教頭の赤シャツは、殴られた頬こそ痛いものの、築き上げた地位は揺るがず、町一番の美女を妻に取り悠々と人生を送るのです。
懲らしめられた赤シャツは勝ち組で、懲らしめた方の坊っちゃんが負け組ということは一目瞭然です。
敗北者は何人いるか?
この作品で負けたのは坊っちゃんだけではありません。
男気のある数学教師の山嵐も退職処分。聖人君子のうらなり君も妻に迎える約束をしていた女を赤シャツに取られて延岡へ転勤させられ、昔気質で坊っちゃんの味方である下女の清も肺炎で死亡。
漱石は作品に登場する好人物全てを敗北者にしました。
勝者 | 敗者 | |
好人物 | なし | 山嵐、うらなり君。清 |
嫌な人物 | 赤シャツ、野だ | なし |
勝ち組として残ったのは計算高いやり方で人生を渡っていく嫌な登場人物たち。
物語を読んでいるうちは坊っちゃんの活躍に胸がすきますが、蓋を開けてみると好い人物はことごとくバッドエンドを迎えています。
正義や好い人間が勝つわけでは無い。そもそも何が正義なのか。何をもって好い人間とするのか。
漱石は『坊っちゃん』という作品で勝者と敗者という構図を上手く使うことによって、そうした問題提起を浮かび上げることに成功しています。
感想
みんな少しずつ嘘をつきながら生きています。本当のことというのは人を傷つけることが多いからです。
嘘をつくのは嫌だけど、本当のことも言えない。矛盾した感情の狭間でなんとか折り合いを付けています。
「世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考えてみろ。」主人公の坊っちゃんは正直で、まっすぐです。
彼は僕たちの代わりに正直な人生を実践してくれます。結果的に彼は敗北してしまいますが、果たして彼は敗者なのだろうか?と僕は思います。
社会的地位や所得という観点から見ると彼は負け組にカテゴライズされるのでしょう。
しかし、自分の価値観に正直でいる人間にそんな線引きは意味を持ちません。彼はいずれ死んで、おそらく清と一緒の小日向の養源寺に骨を埋めます。
これはただそれだけの物語です。ですが、ただそれだけだからこそよい物語なのだと思います。
・清は主人公の本当の母親なのか?
『坊っちゃん』という作品を語る上で、下女の清が主人公の本当の母親であるという説は有名です。
丸谷才一さんが出したもので、たしかに面白い読み方です。しかし僕は、主人公と清はあくまでも主人の子と下女という関係であると読みたい。
もしも清が本当の母親であるなら、その愛は妥当性のあるものとなってしまいます。母親ならば我が子を愛するのは当然のことですよね。
しかし、清が母親でないのなら、坊っちゃんという存在にとって清は唯一愛をくれた他人ということになります。
母親からも愛されなかった人間が、他人である下女の清に愛される。僕はこちらの考えの方が希望が持てるように思うのです。
血のつながりや立場など関係なく、その人の気性を気に入ったからその人を愛するというのは尊い愛情ではないでしょうか。
以上、『坊っちゃん』のあらすじと考察と感想でした。
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