文学雑記

「文学」とは何かという問いに答えは出るのか?

投稿日:2019年3月13日 更新日:



「文学」って何?

文学ってなんなんだろう、そう思ったことはありませんか?

僕はあります。

きっかけは「純文学」と「大衆文学」の違いって何だろう?と思ったことで、それから疑問は「そもそも文学ってなんなんだ?」という方向に向かいました。

僕の中で「純文学」と「大衆文学」がなんとなく違うのは間違いないし、「文学」的な何かが文学作品の中に存在することはありありと感じます。

けれども、それをはっきりと説明するのはどこか難しかったのです。

善は急げ。当時大学生だった僕は図書館に行き、「文学理論」や「文章読本」のような本を探し出し、「文学とは?」について書かれているところを抽出し、熱心に読んでいきました。

ところが文学理論ともなると資料は膨大です。各理論を読んで理解し自分のものにし、思ったような答えが得られたのはそれから約30年後

今では黒かった髪も白くまばらになり、歳はすでに初老の域に達しました。

50歳も半ばにしてようやく文学理論を我が物にしたのです。

というのはですが、そうならないとも限らない深い学問の穴がそこにはありました。

実際の僕はその底の見えない穴をみて怖くなったので、そっと上からのぞき込むだけにして、「あれとあれとあれが重要そうだな。よし、退散!」と足早に逃げました。

とはいえ、それでも多くの時間を「文学とは何か?」という疑問に捧げたことはたしかです。

ここではそんな僕が調べた「文学とは何か」ということをまとめてみました。

具体的には「文学とは何か」について僕が調べた経緯から、「文学とは何か」の定義まで分かりやすく解説していきます。

 

読みかけの本とコーヒー


「文学とは何か」について調べた経緯。

ネット

僕はまずネットを使って、「文学とは何か」を調べました。

すると、やはり同じことを考えている人はいるようで、ヤフー知恵袋や人力検索はてなで同じような質問をしている人がちらほらいます

しかし、そこの回答欄をみても満足の得られる回答はみつかりません。質問者さんもどことなく不満げな様子です。

やはり書物に頼るしかない。そう考えた僕は大学の図書館で資料探しをはじめました。

 

書籍

僕がまず最初に目を通した資料はT.イーグルトンの『文学とは何か』でした(OPACで「文学とは何か」を検索すると一番初めに出てきた)。

この本に絶対答えが載ってある!そう確信した僕はすぐさまこの本を読みました。

彼は序論で以下のように語ります。

絶対不変の価値を保証された作品の集合体という意味の文学、ある内在的特性によって認知される文学というのは、存在しないのだ。本書の中で、「文学的」とか「文学」という言葉を私が用いるときには、その言葉の上に目に見えない×印を書きつけていることになる。その言葉がとりあえずのものでしかないこと、さしあたってこれにかわるよい言葉がみつからないことを示すために。

T.イーグルトン『文学とは何か ――現代批評理論への招待』,p17,岩波書店,1997

 

前の文章がないので分かりにくいですが、要するに「文学」や「文学的」という言葉を定義することはできないということを言っています。

このイーグルトンの『文学とは何か』という本は文学理論入門の良書としてよく知られているようでしたので、ここに答えがあると期待していた僕は落ち込みました。

ですが、僕はめげずに参考文献としてあげられていたほかの文学理論書も読んでいきます(大学にない資料は地域の図書館で探したり取り寄せてもらったりもしたので、ざっと目を通すだけで1年ほどかかりました)。

しかし、「文学とはこうである」と定義したものを見つけることはついに叶いませんでした。(一方で「文学というのはこれこれの理由で定義できない」という定義できない理由は数多く目にしました。)

つまり僕が知ったのは、「文学とは何か」は定義することができないということでした。

 

男性 ふきだし


文学とは何か

結局、文学とはなんなのでしょう。僕が読んだ書物の中に「文学とは何か」という定義はありませんでした。

しかし、それらの書物は僕に「文学」をどう読むか、「文学」はどう書かれているかということを考える指針を与えてくれました。

僕はその指針を拠り所に、「文学とは何か」を僕なりに考えることができました。あの一年間は無駄ではなかったのです。

僕なりの「文学」定義

「僕なりの」とは便利な言葉です。この言葉を使えばたとえどんな突拍子のない意見でも主張することができます。

そうした責任逃れの前置きをしつつ誤解を恐れずに結論をまず言います。

僕は「文学」とは体験であると思います。

かっこよくするならこんな感じ。

文学とは体験である。

小助「あらら本店」,2019

 

でも、文学が体験ならジェットコースターだって文学になってしまう。それはよろしくない。

では文学とジェットコースター違いは何か。それは言語を用いるか用いないかでしょう。

だから、正確に言うなら「文学とは言葉の連なりによって起こる体験である」となる。

しかし、言葉の連なりによって起こる体験なら新聞や広告だって文学になってしまうのではないか?それはよろしくない。

文学と新聞の違いは何か。それは創作物として作者がつくったか否かでしょう。それに、読んだときの「体験」の性質も違う。

よって、「文学とは作者が紡ぐ言葉の連なりによって起こる強烈な体験である」くらいになるかもしれない。

さらに言えば、言葉の連なりはそこにあるだけでは機能しません。読む主体がいて初めて動き出すものです。

そのことを加えると、「文学とは作者が紡ぐ言葉の連なりを認識する過程で起こる強烈な体験である」となります。

最も正確に言うなら、「文学という言葉の意味を支える一つの側面には、作者が紡ぐ言葉の連なりを認識する過程で起こる強烈な体験がある」となるかもしれません。

でもこういうと少しくどいから、僕は思い切って文学とは体験だ」と言いたい(「芸術は爆発だ」みたいでかっこいいから)。

本

 

定義、それから。

ここまではもとより答えのないものに無理矢理答えを出す形で話を進めてきました。

ですが正直に言うと、僕は「文学とは何か」について調べているうちに、だんだんと「文学とは何か」なんてどうでもいいのではないかと思うようになりました。

文学は体験だ。それも一つの見方ではあるでしょう。

しかし最も大事なのは、文学による体験がなぜ起こるのかを考えることだと思います。

もっといえば、言語にどのような形式が用いられ、どんな仕掛けがはたらいて、どのような効果によって読者に体験という影響を及ぼすのか。それを考えなければいけません。

「文学」それ自体を暴くのではなく、文学作品をどう読むかを考えることによってさまざまな方向から「文学」にを差し、その照らし出されたものに目を向けることが大事なのかもしれません。

 

チェックポイント黒板

 

今日のポイント・要点

  • 「文学とは何か」の答えはどこを探してもない。
  • 僕なりの主張では「文学とは体験である」。

 

以上が僕の「文学とは何か?」という疑問に対する試行錯誤でした。他に紹介したい参考文献もあるのでこの記事は随時更新していく予定です。もし何か思うところがありましたらTwitterでコメントをいただけるとお返事させていただきます!些細なことでも構いませんので、お気軽にお声かけください^^

参考文献

T.イーグルトン『文学とは何か ――現代批評理論への招待』 岩波書店,1997

あらら本店ロゴ

 

-文学雑記

Copyright© 小説ならあらら本店 , 2019 All Rights Reserved.