「文学」って何?
文学ってなんなんだろう、そう思ったことはありませんか?
僕はあります。
きっかけは「純文学」と「大衆文学」の違いって何だろう?と思ったことで、それから疑問は「そもそも文学ってなんなんだ?」という方向に向かいました。
僕の中で「純文学」と「大衆文学」がなんとなく違うのは間違いないし、「文学」的な何かが文学作品の中に存在することはありありと感じます。
けれども、それをはっきりと説明するのはどこか難しかったのです。
善は急げ。
当時大学生だった僕は図書館に行き、「文学理論」や「文章読本」のような本を探し出し、「文学とは?」について書かれているところを抽出し、熱心に読んでいきました。
ここではそんな僕が調べた「文学とは何か」ということをまとめてみました。
具体的には「文学とは何か」について僕が調べた経緯から、「文学とは何か」の定義まで分かりやすく解説していきます。
「文学とは何か」について調べた経緯。
・ネット
僕はまずネットを使って、「文学とは何か」を調べました。
すると、やはり同じことを考えている人はいるようで、ヤフー知恵袋や人力検索はてなで同じような質問をしている人がちらほらいます。
しかし、そこの回答欄をみても満足の得られる回答はみつかりません。質問者さんもどことなく不満げな様子です。
やはり書物に頼るしかない。そう考えた僕は大学の図書館で資料探しをはじめました。
・書籍
僕がまず最初に目を通した資料はT.イーグルトンの『文学とは何か』でした(OPACで「文学とは何か」を検索すると一番初めに出てきた)。
この本に絶対答えが載ってある!そう確信した僕はすぐさまこの本を読みました。
彼は序論で以下のように語ります。
絶対不変の価値を保証された作品の集合体という意味の文学、ある内在的特性によって認知される文学というのは、存在しないのだ。本書の中で、「文学的」とか「文学」という言葉を私が用いるときには、その言葉の上に目に見えない×印を書きつけていることになる。その言葉がとりあえずのものでしかないこと、さしあたってこれにかわるよい言葉がみつからないことを示すために。
T.イーグルトン『文学とは何か ――現代批評理論への招待』,p17,岩波書店,1997
これは要するに、「文学」や「文学的」という言葉を定義することはできないということを言っています。
このイーグルトンの『文学とは何か』という本は文学理論入門の良書としてよく知られているようでしたので、ここに答えがあると期待していた僕は落ち込みました。
僕はめげずに参考文献としてあげられていたほかの文学理論書も読んでいきましたが、「文学とはこうである」と定義したものを見つけることはついに叶いませんでした。(一方で「文学というのはこれこれの理由で定義できない」という定義できない理由は数多く目にしました。)
つまり僕が知ったのは、「文学とは何か」は定義することができないということでした。
文学とは何か
結局、文学とはなんなのでしょう。僕が読んだ書物の中に「文学とは何か」という定義はありませんでした。
しかし、それらの書物は僕に「文学」をどう読むか、「文学」はどう書かれているかということを考える指針を与えてくれました。
僕はその指針を拠り所に、「文学とは何か」を僕なりに考えることができました。
・僕なりの「文学」定義
「僕なりの」とは便利な言葉です。この言葉を使えばたとえどんな突拍子のない意見でも主張することができます。
そうした責任逃れの前置きをしつつ誤解を恐れずに結論をまず言います。
僕は「文学」とは体験であると思います。
かっこよくするならこんな感じ。
文学とは体験である。
小助「あらら本店」,2019
最も正確に言うなら、
- 文学という言葉の意味を支える一つの側面には、作者が紡ぐ言葉の連なりを認識する過程で起こる強烈な体験がある
となるかもしれません。
でもこういうと少しくどいから、僕は思い切って「文学とは体験だ」と言いたい(「芸術は爆発だ」みたいでかっこいいから)。
定義、それから。
ここまではもとより答えのないものに無理矢理答えを出す形で話を進めてきました。
ですが正直に言うと、僕は「文学とは何か」について調べているうちに、だんだんと「文学とは何か」なんてどうでもいいのではないかと思うようになりました。
文学は体験だ。それも一つの見方ではあるでしょう。
しかし最も大事なのは、文学による体験がなぜ起こるのかを考えることだと思います。
もっといえば、言語にどのような形式が用いられ、どんな仕掛けがはたらいて、どのような効果によって読者に体験という影響を及ぼすのか。それを考えなければいけません。
「文学」それ自体を暴くのではなく、文学作品をどう読むかを考えることによってさまざまな方向から「文学」に光を差し、その照らし出されたものに目を向けることが大事なのかもしれません。
そうしたことを、
- テリー・イーグルトンの『文学とはなにか』
- ジョナサン・カラーの『文学理論』
などは教えてくれます。
これらを読む前と読んだ後では、確実に僕の「文学」への接し方は変化しました。
ジョナサン・カラーはこう言います。
勉強したからと言って、理論のマスターにはなれないが、逆に前と同じ位置にとどまっていることもできなくなる。ただ、読みについて新しい角度から考えられるようになるだけである。少なくとも、以前とは違った問いを立てることができるようにはなるだろうし、読む本にぶつける問いの含蓄がずっと分かるようにもなるだろう。
ジョナサン・カラー『文学理論』p24
これらの本は、文学に接する上で必須であるとは言いませんが、一つの指針にはなるでしょう。
「文学とは何か?」という問いを考えたことのある人にはおすすめしたい本です。
今日のポイント・要点
- 「文学とは何か」の答えはどこを探してもないが、それの指針となることならある。
- むりやり答えを出すとすれば、「文学とは体験である」。
以上が僕の「文学とは何か?」という疑問に対する試行錯誤でした。
ほかにも、ピーターバリーの『文学理論講義』や、廣野由美子の『批評理論入門』などは読みやすいのでおすすめです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。参考になったら幸いです。
・参考文献
T.イーグルトン『文学とは何か ――現代批評理論への招待』 岩波書店,1997
ジョナサン・カラー『文学理論』岩波書店,2003
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