近代日本文学史とは?写実主義からポストモダンまで概要を簡単に紹介!

近代日本文学史の始まりは、坪内逍遙の『当世書生気質』です。

そこから、

「自然主義文学」→「私小説」

へとつながり、おおきな近代日本文学の主流をつくりあげていきます。

ここでは近代日本文学史が、どのような変遷を経て現代に至っているのかについて解説します。

近代日本文学史の流れ

近代日本文学史は、以下のような流れで現代まで続きます。

○○主義などはとくに覚えなくても良いでしょう。一連の大きな流れとしてお話ししていきます。


  • 写実主義(1886年~)

    坪内逍遥『小説神髄』/二葉亭四迷『浮雲』


  • 擬古典主義(1889年~)

    山田美妙『武蔵野』/幸田露伴『五重塔』


  • ロマン主義(1900年代~)

    森鴎外『舞姫』/樋口一葉『たけくらべ』/泉鏡花『高野聖』


  • 自然主義(1900年代~)

    島崎藤村『破壊』/田山花袋『布団』


  • 反自然主義(1910年代~)

    森鴎外『雁』/夏目漱石『吾輩は猫である』/谷崎潤一郎『細雪』/志賀直哉『城之崎にて』


  • 新思潮派(1915年~)

    芥川龍之介『羅生門』/菊池寛『恩讐の彼方に』


  • 新感覚派(1920年代~)

    横光利一『蠅』/川端康成『伊豆の踊子』


  • プロレタリア文学(1926年~)

    葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』/小林多喜二『蟹工船』/徳川直『太陽のない街』


  • 転向文学(1930年代~)

    中野重治『村の家』/高見順『故旧忘れ得べき』


  • 戦中文学(1940年代~)

    太宰治『御伽草子』/中島敦『山月記』


  • 戦後派(1945年~)

    野間宏『真空地帯』/大岡昇平『俘虜記』/三島由紀夫『金閣寺』


  • 第三の新人(1950年代~)

    安岡章太郎『海辺の光景』/小島信夫『アメリカン・スクール』/遠藤周作『沈黙』


  • 戦後の世代(1960年代~)

    大江健三郎『万延元年のフットボール』/開高健『裸の王様』


  • 内向の世代(1965年~)

    古井由吉『杳子』/後藤明生『挟み撃ち』


  • ポストモダン(1980年代~)

    村上春樹『1973年のピンボール』/中上健次『日輪の翼』


  • 現代の小説(1990年頃~)

    山田詠美『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』/小川洋子『ミーナの行進』


近代日本文学の始まり「写実主義」&「ロマン主義」&「擬古典主義」

近代日本文学の初期には3つの文学的立場があります。

  • 写実主義(ありのままを書こう!)
  • ロマン主義(自分の感受性で自由に書こう!)
  • 擬古典主義(欧米化してる今こそ日本的なものを書こう!)

の3つです。

このうち、ロマン主義と擬古典主義の2つは衰退し、写実主義だけが残ります。

まずは、この3つの文学的立場を簡単にお話しします。

ありのままを書こうぜ!の「写実主義」

日本の昔話や説話などは、基本的に「勧善懲悪」の物語です。

それが近代になって、

古典的な物語はもう嫌だ!

ということで、古典的な物語に対する物語批判として、

社会の様子や人間心理をありのままに書こう!

という立場が生まれます。それが写実主義です。

この写実主義が、近代日本文学の始まりとなります。

代表的作家には、坪内逍遙や二葉亭四迷などがいます。

坪内逍遙は、『小説神髄』で「模写論」を唱え、日本で最初の小説である『当世書生気質』を発表しました。

次いで二葉亭四迷が『浮雲』を発表し、これらの作品が近代日本文学の嚆矢となります。

こうした作品は「言文一致体」で書かれたため、当時の文壇や日本語に大きな影響を与えます。

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個々の理想を尊重します!の「ロマン主義」

「ありのままを書こう!」という写実主義がある一方で、

自分たちの感受性で、恋愛とか理想とかを自由に書こうよ!これまでの因習とか倫理にはとらわれないでさ!

という立場がありました。これがロマン主義です。

各自の内面にあるものを尊重する立場なので、作品に共通の傾向がないことも、ロマン主義の特徴でしょう。

悲恋を書いた森鴎外の『舞姫』から、幻想的な泉鏡花の『高野聖』までさまざまです。
代表的作家には、初期の森鴎外や国木田独歩、北村透谷などがいます。

しかし、ロマン主義は時代とともに衰退していき、島崎藤村や国木田独歩は自然主義派に、森鴎外は反自然主義派へと移行していきます。

日本的なもの最高!の「擬古典主義」

明治時代になると、文明開化、脱亜入欧で急速に西洋化が進んでいきます。

そうした西洋化に対する反動として、

日本的なものを尊重しよう!

という日本復古的な思想が表れます。それが「擬古典主義」です。

幸田露伴の『五重塔』や、尾崎紅葉『金色夜叉』、樋口一葉の『たけくらべ』などが擬古典主義の作品です。

作品を読んだことがある方なら、「なんとなく世界観が似ているな」と思われるかもしれません。

  • 写実主義
  • ロマン主義
  • 擬古典主義

以上の3つが、近代日本文学史最初の潮流です。

しかし、先ほども話したとおり、ロマン主義と擬古典主義は衰退していき、写実主義だけが残ることになります。

写実主義を引き継いだ「自然主義」と「私小説」:対する「反自然主義」

自然の事実を的確に書く「自然主義」

「ありのままを書こう!」という写実主義の流れを汲むかたちで、

自然科学的な事実を的確に観察し、脚色や虚構を一切排したものを書こう!

という「自然主義」文学がフランス(エミール・ゾラが提唱)で生まれ、日本にも輸入されます。


この自然主義が盛り上がったため、幻想や理想といった虚構を描くロマン主義や、倫理や美しさを脚色的に描く擬古典主義は衰退していくというわけです。

日本の自然主義で代表的な作品は、

島崎藤村の『破壊』、田山花袋の『蒲団』

などです。

これらの作品は、日本の自然主義文学として受け入れられていくことになります。

ただし、彼らの作品は、個人の苦悩や日常的な身辺談に留まることが多く、ゾラの唱える自然主義文学の域には達しませんでした。

「反自然主義」の作家たち

自然主義文学は文壇の主流でしたが、

自然主義っていたずらに陰鬱で面白くないよね。もっと美しいものや、人道的なもの、創造性のあるものを書こうよ。

といった「反自然主義」の作家が現れます。

彼らは、

  • 高踏派・余裕派:森鴎外・夏目漱石
  • 耽美派:永井荷風・谷崎潤一郎
  • 白樺派:志賀直哉・有島武郎・武者小路実篤

に分類され、いずれも自然主義に批判的、あるいは距離を置いた創作活動を行います。

現在の近代日本文学史的には、この反自然主義の立場を取った作家が、文豪としてよく知られています。

日本近代文学の主流「私小説」

『破壊』や『蒲団』といった日本の自然主義文学を受けて、

人間の気持ちや感情、出来事をありのままに書いたらいいんだ!

という潮流が生まれます。

勘違いのように生まれたこの潮流が「私小説」です。

代表的作家には、葛西善蔵や、初期の太宰治などがいます。

ちなみに日本の自然主義文学は、エミール・ゾラが提唱した自然主義文学の域には到達しないまま、私小説へと傾倒していった経緯があります。

この「私小説」が近代日本文学の主流となって、現代まで続いていきます。

ではこれで日本近代文学史はおしまいなのかというと、そうではありません。

新思潮派からポストモダンまで

近代日本文学の主流は、あくまでも「私小説」です。

ここからは、「私小説」を批判するかたちで、さまざまな立場の作家が生まれていきます。

テクニックを駆使する「新思潮派」

反自然主義で余裕派の夏目漱石のもとには、谷崎潤一郎や芥川龍之介などが集います。

初期の芥川龍之介は『今昔物語』から題材を取った小説が多く、技巧を駆使して古典の枠組みに現代問題を取り入れ、再構築する手法を取っていました。

菊池寛の『恩讐の彼方に』も、実際にいた僧侶の話を、再構築して小説に仕立て上げたものです。

こうした初期の芥川龍之介や菊池寛は、「新思潮派」とまとめられます。

とはいえ、一人の作家がずっと同じ派閥というわけではなく、時を経るにつれて、作品ごとに主義や派閥が変わっていくことが普通です。

たとえば、中期の芥川龍之介は芸術至上主義に、島崎藤村はロマン主義から自然主義に移行しました。

美しいものに囲まれたい「耽美派」と芸術のためなら犠牲を惜しまない「芸術至上主義」

谷崎潤一郎の『刺青』や永井荷風の『すみだ川』などは、「耽美派」に分類されます。

耽美派とは、

美しいものに囲まれてずっと生きていたい!

というような立場の作家です。

芥川龍之介の芸術至上主義と同じように扱われることもあるのですが、実は少し違います。

芸術至上主義は、

芸術こそ至高であり、芸術のためには何だって犠牲にできる!

という精神です。

耽美派は自己陶酔ですが、芸術至上主義は理想を求めるので、必ずしも自身の幸福には繋がりません。

芥川龍之介の『地獄変』は、そうした芸術至上主義が分かりやすい作品です。

唯美しい火焔の色と、その中に苦しむ女人の姿とが、限りなく心を悦ばせる――さう云ふ景色に見えました。

芥川龍之介『地獄変』

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言語で現実を決定する「新感覚派」

自然主義文学は、自然を「ありのまま」に表現します。

しかし、

現実を言語で表現するのではない、言語が現実を表現するんだ!

という作風の作家が現れます。

川端康成や横光利一といった作家たちです。

芝生の上では、日光浴をしている白い新鮮な患者たちが坂に成った果実のように累々として横たわっていた

横光利一『花園の思想』

患者たちを「果実のように累々と横たわっていた」と独特な表現をしています。

彼らはこのような独自の感覚的表現で現実を創造し、現実をありのままに描写する自然主義とは反対の姿勢をみせました。

貧富の差が生み出した「プロレタリア文学」

第一次世界大戦を経験した後、世界的に貧富の差が広がっていきます。

日本も明治維新以後は資本主義社会なので、資本家と労働者の間には富の隔たりができていました。

こうした隔たりをなくそうとしたのが、当時の「マルクス主義(富はみんなで平等に分配して生きようね~)」です。

しかし、思想では社会を変えることができないので、解決方法としては武力革命になります。


革命を企てるマルクス主義者(労働者階級)VSそれを弾圧する政府側(資本家階級が後ろ盾)

との間で、闘争が起こるというわけです。

この労働者階級に視点を当てたのが、「プロレタリア文学」です。

文学の主流としてあった「私小説」の欠点は、


個人的な問題を取り上げることが多いので、社会的な問題が欠如してしまう

というところ。

プロレタリア文学は、そうした私小説の問題点を克服できるという点でも、文学的に価値がありました。

代表的な作家は、小林多喜二や葉山嘉樹、徳川直などがいます。

しかし、マルクス主義運動が政府によって弾圧されたことで、プロレタリア文学は壊滅します。

最後まで闘争の意志を見せていた作家は、ことごとく逮捕され、尋問の末に殺されていきました。

小林多喜二が1933年に警察組織によって虐殺されたことは、あまりにも有名です。

警察が怖いからマルクス主義やめます・・・の「転向文学」

マルクス主義を標榜していた作家も、警察組織の弾圧が激しくなってくると、

俺ちょっとマルクス主義やめるわ・・・

という人が増えてきます。

やめるというか、警察の取り調べや尋問によって、関与していないと言わざるを得ない状況になっていくわけです。

キリスト教の「踏み絵」みたいなものですね。

体制によって、自分の主義を変えざるを得なくなってしまった。

そうした人たちが、

マルクス主義から足を洗ったよ~

ということを示すような作品を生み出していきます。

それが「転向文学」です。

代表的作家には、中野重治や高見順などがいます。

太宰治なども、左翼活動を協力していましたが、のちに転向しています。

そのときの様子に近いものが、『人間失格』では描かれています。

戦時中の軍人象を描く「戦後派」

そうこうしているうちに、世界は第二次世界大戦へと突入します。

日本は敗北し、

やっぱり戦争なんてしちゃダメだったね・・・

と反省の雰囲気が世の中を包みます。

戦争中はヒーローだった軍人ですが、終わってみると、組織単位の暴力や腐敗が蔓延していたことが明らかになっていきました。

そこで、

  • 戦争の責任
  • 組織と個人
  • 人間性の回復

などを主なテーマとして小説を書いていたのが、戦後派の人々です。

代表的作家には、野間宏や大岡昇平、三島由紀夫や安部公房などがいます。

ただし、野間宏は戦後民主主義を肯定する立場を取っており、三島由紀夫はそれを否定する立場を取っているという違いがあります。

二・二六事件を再現しようとした三島はクーデター失敗に終わり、その場で自害しました。

落ちこぼれのための小説を書く「第三の新人」

戦争の日々が遠くなり始めると、日本は「高度経済成長期」に差し掛かります。

1960年に内閣から「国民所得倍増計画」が発表され、

10年のうちに国民総生産を26兆円にする

という目標を、たった6年で達成してしまいます。

それくらい勢いのある経済成長率だったわけですね。

しかし、良いことばかりではありません。

そのころから日本は「競争社会」となり、優秀な人材が出る一方で、落ちこぼれや劣等生も出てきます。

このような、

落ちこぼれ・劣等生

に焦点を当てて、彼らをすくい上げるようなかたちで小説を書いた作家たちが、「第三の新人」です。

代表的作家には、小島信夫や安岡章太郎、吉行淳之介らがいます。

彼らは、日常の生活における不安や不安定さを描き出し、普通の市民(ちょっと頼りない方の人々)に視線を向けました。

政治参加の「戦後の世代」

高度経済成長の最中だった日本ですが、世界では「西側諸国VSソ連」の冷戦が始まります。

このままだと、第三次世界大戦が始まってしまうかもしれない。

こうした不安が世界中を覆います。

「同じ過ちを繰り返さないためには、みんなの政治参加が必要だ!」

ということで、積極的に政治に関わる「政治参加(アンガージュマン)」の時代がやってきて、「戦後派」を受け継ぐ若手作家が現れます。

それが「戦後の世代」です。

  • 戦争反対
  • 政治参加
  • 戦後民主主義の尊重

彼らはこうしたテーマを取り入れながら、小説を書いていきます。

代表的作家には、大江健三郎や石原慎太郎、開高健がいます。

特に大江健三郎は、戦後派の野間宏を引き継いでいますが、彼のように人間をリアルに描くのではなく、幻想性や創造性を駆使して、政治性を小説へと落とし込み、詩的なイメージの作風を作りあげました。

この時代の人々は政治参加に積極的で、現在でも政治的な立場を常に明確にし、発信を続けています。

私たちシラケています。の「内向の世代」

政治参加の火は学生にも広まり、安保闘争や全共闘へと繋がっていきます。

しかし、当時の内閣によって学生運動は沈静化され、デモに参加していた一部の人々は、

政治に参加しても、結局世の中は変えられないんだ・・・

と強い挫折感を味わいます。

彼らは次第に政治熱が冷めていき、政治や世の中に無関心になっていくのです。

彼らは「しらけ世代」と呼ばれ、この世代を代表する作家たちが「内向の世代」です。

代表的作家には、古井由吉や後藤明生などがいます。

作風は私小説的なものが多く、「非政治的」なところが特徴で、私小説批判というよりは、私小説回帰の系譜です。

しばしば、個人の不安や人間関係といったテーマに焦点が当てられています。

新しいかたちの物語批判を模索します!の「ポストモダン」

1980年代。

日本の欧米化もなじみ、戦争は終わり、政治の熱も冷め、高度経済成長期も終わりました。

何も新しいものが生まれず、毎日同じことの繰り返しが続く。

  • 夢は叶う
  • お金持ちになれる
  • 愛する人と出会える

輝きのない日常を送っていくなかで、人々は次第に夢物語を信じられなくなっていきます。

そんななか、今までとは違ったところに視点を当て始めたのが、「ポストモダン」の作家です。

代表的な作家には村上春樹などがいます。

脈絡のない断片的な作品や、突拍子もないことが不意に起こるストーリーはポストモダン的で、日本よりも、海外の作家に多くみられます。

代表的な作家として、トマス・ピンチョンを挙げておきます。特に『V.』はポストモダンの特徴が分かりやすい作品です。

現代小説の特徴

現代小説では、物語批判はもちろん、ポストモダンを引き継ぐかたちで、新しい小説も模索しています。

一方、女性作家の活躍や、物語の再生といったことも、現代日本文学の特徴です。

  • 物語批判のための物語を書く小川洋子
  • 肉体と意識の問題を描く山田詠美
  • 女性問題に取り組む川上未映子

このように、現代日本を代表する女性作家は多いです。

また、2020年のコロナウイルス(COVID-19)発生を境に、人々の生活やコミュニケーションのありようは一変しました。

現代小説を定義づけるのは難しいですが、コロナ以後の社会を前提にした作品が増えてくると、「ポストコロナ文学」というかたちでまとめられるかもしれません。

近代日本文学史まとめ!

明治の写実主義から平成のポストモダンまで、近代日本文学史の流れをみてきました。

簡単にいうと、

  • 小説はずっと物語批判を続けてきた
  • 近代日本文学の主流は、写実主義の流れを汲む「私小説」
  • そんな「私小説」を批判し乗り越えようとするかたちで、様々な派閥が生まれてきた

 

とまとめられます。

坪内逍遙・二葉亭四迷から現代の川上未映子まで、作家は断片的に登場するわけではありません。

その時代や社会に問題があり、その問題に応じて作家たちは登場を要請され、さまざまな態度で小説を創りあげてきました。

文学史を知れば、作品を時代背景の観点からも読めるようになるので、深い読みをしたい方は知っておくとよいと思います。

以上、写実主義からポストモダンまでの概要まとめでした。