『少年の日の思い出』あらすじ&解説!エーミールとぼくのサナギ的な人物像

『少年の日の思い出』とは?

『少年の日の思い出』は、ヘルマン・ヘッセの短編小説です。

ほとんどの教科書に載っており、日本でもっとも読まれている翻訳文学とも言われます。

ここでは、そんな『少年の日の思い出』のあらすじ・解説・感想をまとめました。

『少年の日の思い出』のあらすじ

夕方、私がランプの明かりで客に蝶のコレクションを見せていると、彼は少し不機嫌になった。

彼は、

「悪く思わないでくれ」

と言い、次のように語り出した。

「ぼくは少年の頃、多くの子どもたちと同じように、蝶をコレクションしていた。

あるとき、珍しい蝶を捕まえたので、隣に住む模範少年のエーミールに見せに行った。

彼はその蝶が珍しいことを認めてくれたが、次の瞬間には、触覚の長さが違うだとか、足が二本欠けているだとか、欠点を指摘しはじめた。

ぼくは、二度とエーミールには蝶を見せてやらない、と思った。

それから二年が経ったころ、エーミールが非常に珍しい蝶をマユから羽化させた、という噂が広まった。

それは、僕が一番欲しいと思っていた蝶だった。

僕はいてもたってもいられず、蝶を見ようとエーミールの家に行ったが、彼はいなかった。

ぼくは机の上にあった蝶に見とれ、これを自分のものにしたいという衝動にかられて、ポケットに入れた。

家へ帰る途中、やはり思いとどまって、蝶をかえそうとエーミールの部屋に戻った。

そこでポケットから蝶を出すと、僕は絶望した。蝶がボロボロになっていたのだ。

しばらくして、エーミールに会って謝ると、

「そうかそうか、つまり君はそんなやつだったんだな」

と言って、声も荒げず、冷静に、ただぼくを軽蔑のまなざしでみていた。

その瞬間、起きてしまったことはもう元には戻せないのだと悟った。

ぼくは家に帰り、自分の大切にしていたコレクションを、ひとつひとつ、手でつぶしてしまった。」

『少年の日の思い出』ー概要

物語の中心人物 ぼく(客)
物語の
仕掛け人
エーミール
主な舞台 「わたし」の家(現在)、エーミールの家(過去)
時代背景 近代ドイツ
作者 ヘルマン・ヘッセ

『少年の日の思い出』ー解説(考察)

『少年の日の思い出』は、

子ども時代の罪を引きずって成長しきれない大人の「ぼく」という人物像

が、エーミールという模範少年を通して描かれる物語です。

この物語で面白いのは、

  • シチュエーション(夕方&窓辺)
  • 構成(半額縁構成)
  • ストーリー(盗みと贖罪)

この全ての仕掛けが総動員して、「ぼく」の人物像を表現しているというところにあります。

ここではこの3つを、順番に解説していきます。

夕方&窓辺というシチュエーション

成長しきれない「ぼく」

の人物像は、物語のシチュエーションから見て取ることができます。

『少年の日の思い出』の冒頭は、次のように始まります。

私の客は、夕方の散歩から帰ってきて、まだ昼間の最後の明るさが残っている書斎で私のそばに腰かけていた。

ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』岡田朝雄訳,草思社

物語の時間は「夕方」。

つまり、昼から夜へと移り変わる時間帯が選ばれています。

さらに、「ぼく」が過去の話をするのは部屋の「窓辺」です。

彼は開け放たれた出窓のところに腰をおろした。(中略)私の友は次のように語った。

ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』岡田朝雄訳,草思社

図解すると分かりやすいですね▽

つまり、「ぼく」の位置は、外と中の間にある「出窓」のところ。

このように、

  • 昼と夜の間にある「夕方」
  • 外と中の間にある「出窓」

といったシチュエーションは、

「ぼく」が移り変わりの部分にいる

ということを示します。

この「移り変わり」というのは、『少年の日の思い出』では超重要ポイントで、後のストーリーの部分とも関連してくるので覚えておいて下さい。

大人の「ぼく」が語るという「半額縁構成」

次に構成をみていきます。

この作品は、「ぼく」と「エーミール」の間に起こった出来事を、

大人になった「ぼく(客人)」が「わたし」に語る

というややこしい構成をとっています。

図にするとこんな感じです▽

物語のなかで物語が語られる。

こうした構成を「額縁構成」といいます。

額縁構成の小説はよくあるのですが、『少年の日の思い出』の特徴は、

結末部が「ぼく」の物語で終わっている

ということ。

普通なら「ぼく」の過去が話された後、「わたし」によって物語に対する反応があります。


  • わたしが客人に蝶のコレクションを見せる

    わたしたちは子どものことや、子ども時代のことを話し合った。


  • 客人は少年時代の出来事を話し出す

    客人「ぼくは昔、友人の蝶を盗んだことがある。それ以来蝶のコレクションはやめたんだ」


  • わたしの反応(←ここがない)

    わたし「君の気持ちは分かるよ」or「君はずいぶんクズだったんだね」


つまり、きれいな額縁構造ではなく、半額縁構造になっているというわけです。

この作品を読むと、ラストが急に終わるので、違和感を持つ人も多いです。

その理由は、この額縁構造が不完全になっているからなんですね。

シチュエーションの「移り変わり」と同じく、物語が途中で終わることで、

「ぼく」がいまだに過去から抜け出せていない

ということを「構成」で表しているのではないかと思います。

大人になった「ぼく」が、友人の蝶コレクションを見て、

「もう結構!」

とやや不機嫌になっていることからも、昔の過ちをきれいに清算できず、成長しきれないまま大人になったことが読み取れます。

なぜ「ぼく」はエーミールの蝶を盗んだのか?盗みと贖罪のストーリー

最後はストーリーの部分を見ていきます。

『少年の日の思い出』では、

エーミールが大人びた模範少年

であることが強調されています。

この少年は、どこから見ても完璧ないやな奴で、子供たちのあいだでも人一倍薄気味悪がられていた。(中略)ともかく彼はあらゆる点で模範少年だった。そのため、ぼくはねたみと感嘆の思いで彼を憎んでいた。

ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』岡田朝雄訳,草思社

主人公の「ぼく」は、エーミールの大人っぽい部分を「大人っぽくてすごいな」と思いながらも、同時に「子どものくせに大人ぶりやがって!」と憎んでもいるわけです。

「ぼく」がエーミールの「大人らしさ」を憎んでいるというところは、盗みの動機にも繋がってきます。

蝶という「大人」のメタファー

物語で「ぼく」の盗んだ蝶が、

エーミールが繭から育てた蝶である

というところは注目すべきポイントです。

エーミールはクジャクヤママユを虫取り網で捕まえたのではなく、繭から育てて蝶にしたわけです。

蝶や蛾は、三段階で成長します。

  1. 幼虫(いもむし)
  2. サナギ(まゆ)
  3. 成虫(ちょうちょ・が)

シチュエーションで描かれていた「移り変わり」という伏線が、ここで効いてきます。

エーミールや「ぼく」はこのとき12歳。

子どもから大人へと変化する「さなぎ」の段階でもあります。

そうしてみると、物語中で「さなぎ」から「成虫」へと成長した蝶は、

子どもから大人に成長したエーミールのメタファー

とも読み取れるのです。

少年の「ぼく」・大人のエーミール

そうした蝶を「ぼく」が盗むということは、

同世代の「ぼく」を置いて、どんどん大人になっていくエーミールに対しての否定

だと考えることができます。

しかしエーミールは、クジャクヤママユをつぶされても、

「そうかそうか、つまり君はそんなやつだったんだな」

と言うだけで、子どもらしくない冷静さを見せます。

ここにきて、

  • いっときの感情で盗みをはたらいた子ども的な「ぼく」
  • つねに冷静で正義をふりかざす大人のエーミール

という「子どもVS大人」の対比が、くっきりと表れます。

つまり『少年の日の思い出』のストーリーは、

「ぼく」の子どもっぽい人物像が、大人らしいエーミールを通して浮かび上がっている

というかたちになっているわけです。

盗みを犯した「ぼく」は、自分の罪を償うために、持っていたコレクションをひとつずつ手で潰していきます。

しかし、その行為で彼の罪が消えることはなく、いつまでも忘れられない思い出として、むしろ脳裏に焼き付いています。

その証拠に、大人になった「ぼく」が友人の家で蝶のコレクションを見て、子ども時代の恥ずかしい過去を語る。

  • シチュエーション(夕方&窓辺)
  • 構成(半額縁構成)
  • ストーリー(盗みと贖罪)

で何度も「移り変わり」が描かれ、

成長しきれない「さなぎ」としての「ぼく」

という人物像が浮かび上がる。

そうした視点から『少年の日の思い出』を読むこともできるのではないでしょうか。

『少年の日の思い出』ー感想

不可解なエーミールのセリフ

「ぼく」がエーミールの蝶をつぶしてしまい謝りに行ったとき、彼は不可解なセリフを言っています。

少し長いですが、謝罪の場面から引用します。

 ぼくは彼にぼくのおもちゃを全部あげると言った。が、彼はいぜんとして冷ややかな態度を続け、あいかわらずぼくを軽蔑的に見つめていたので、ぼくは、ぼくのコレクションを全部あげると言った。けれど、彼はこう言った。
「どうもありがとう。きみのコレクションならもう知っているよ。それにきみが蝶や蛾をどんなふうに扱うか今日またよく見せてもらったしね」

ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』岡田朝雄訳,草思社

エーミールが言った、「きみのコレクションならもう知っている」というのはあり得ない話です。

なぜなら、二年前に「ぼく」がエーミールに珍しいコムラサキを見せたとき、色々な欠点を言われて、もう二度と見せないと誓ったからです。

このあら探し屋のために、ぼくの採集品に対するよろこびはかなり傷つけられてしまった。それからぼくはもう、彼には二度とぼくの獲物を見せなくなってしまった。

ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』岡田朝雄訳,草思社

そもそも「ぼく」は、コレクションに使っているボール箱のケースがみすぼらしいため、友達の誰にも自分のコレクションを見せていません。

見せるのはせいぜい妹たちだけで、コムラサキをエーミールに見せたのも異例のことだったのです。

重要な、あっと言わせるようなものを見つけたり捕ったりしても、仲間には言わず、それをぼくの妹たちにだけ見せるようになってしまった。

ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』岡田朝雄訳,草思社

こうした背景があり、さらにはコムラサキを見せてから二年も経っているのに、エーミールは「きみのコレクションならもう知っている」と言うのです。

これってかなり変ですよね。

考えられる可能性は2つです。

  • きみが捕まえられる蝶なんてたかが知れている、という意味で言った
  • 「ぼく」の妹たちからエーミールが聞いた

文脈的には前者かなとも思いますが、「ぼく」の妹たちとエーミールが会っていたという後者の可能性も捨てきれません。

というのも、エーミールのセリフがあったあと、「ぼく」が非常に怒っているんですね。

この瞬間、ぼくはもう少しで彼の喉もと目がけて飛びかかりそうになった。

ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』岡田朝雄訳,草思社

そんなに怒るかなぁ?という場面ですが、もし「君の妹から聞いているよ」というニュアンスが込められていたとしたら。

そして、その関係を「ぼく」が快く思っていなかったとしたら、怒りがこみ上げるポイントだったのかもしれません。

僕は、エーミールがクジャクヤママユを羽化させたという出来事を、彼が大人になったというメタファーとして読んでいます。

とすると、『少年の日の思い出』という物語は、

エーミールと「ぼく」の妹が関係を持ち、それを憎んでいた「ぼく」の心境が、クジャクヤママユの事件に繋がった

というストーリーなのかもしれないと、想像をたくましくしてしまいます。

以上、『少年の日の思い出』のあらすじ・解説・感想まとめでした。

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