『やし酒飲み』あらすじ&解説!ヨルバ的なグロテスク&ユーモアの作品

『やし酒飲み』のあらすじ・内容

わたしは10歳になった頃からヤシ酒飲みでした。

裕福な父は、わたしがヤシ酒を飲むことしかできない人間だと気が付くと、56万本ものヤシの木をくれ、専属のヤシ酒造りの名人も雇ってくれました。

わたしは毎日225樽ものヤシ酒を飲み、数多くの友人と日々を過ごしていましたが、15年すると父が死に、その6ヶ月後に名人が死にました。

そういえば古老が、「この世で死んだ人は、みんなすぐに天国には行かないで、この世のどこかに済んでいるものだ」と言っていたのを思い出したので、わたしは死んだヤシ酒造りを探す旅に出ることにしました。

この物語は、その長い旅で故郷に戻ってくるまでの、私に起こった出来事のお話しです。

・『やし酒飲み』の概要

物語の中心人物 わたし(歳)
物語の
仕掛け人
ヤシ酒造り、妻(性)
主な舞台 アフリカ大陸のどこか
時代背景 近代
作者 エイモス・チュツオーラ

『やし酒飲み』の解説(考察)

物語の大きな流れ

変な物語として有名な『やし酒飲み』。

はじめはその突拍子のなさに驚かされますが、読み進めていくうちに、大きなストーリーのあることが掴めてきます。

物語はだいたい、以下のように進んでいきます。

  1. やし酒造りの名人を探しに行く
  2. 町で妻をもらう
  3. 妻と死者の国へ向かう
  4. 幽霊島・天の町・白い木の中などを旅する
  5. 死者の町へ着く
  6. 故郷の町へ戻る

変だ変だと言われるものの、こうしてみれば、まるでRPGのような定番のストーリーだということが分かります。

主人公の変身と非合理性

ではどこが変なのかといえば、やはり主人公が説明もなく変身したり、変な生物が登場したりするといった点でしょう。

やし酒が好きな「わたし」は、さまざまな物に姿を変えます。

  • 大きな鳥
  • 空気
  • とかげ

など

彼はおそらく、あらゆるものに変身することができます。

でも、変身できることを普段は忘れているようなふうで、絶体絶命のピンチでさえも、変身しなかったりもします。

こうした非合理性が、ふわふわとした変な雰囲気を出しているのでしょう。

グロテスクな生物たち

旅の道中では、グロテスクな生物たちに出会います。

たとえば市場にいる「完全な紳士」。

その男は、美しく、”完全な”紳士だった。彼は、この世でもっともすばらしく、もっとも高価な服を身にまとい、背丈が高く、すらっとして、しかも屈強で、身体のどこをとってみても、完璧だった。

エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』河出書房新社

ある娘はこの男に見とれて、思わず跡をつけていくんですね。

市場では完全な紳士だった、そして娘が跡をつけてきたこの男は、借り賃を払いながら、自分の身体の借りた部分を所有主に返しはじめた。左足を借りた所へやってきた時、彼は左足を引っこ抜いて、所有主に渡し、借り賃を払い、彼らはまた、旅を続けた。(中略)両うでを借りた所へやってきた時、彼は両うでを引っこ抜いて所有主に返し、(中略)とうとう頭だけになったこの完全な紳士は、頭と外皮と肉を借りた所にやってきて、それらを所有主に返し、代金を払ったので、市場では完全であった紳士は、ついに「頭ガイ骨」だけになってしまった。

エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』河出書房新社

主人公はこの頭ガイ骨とバトルを繰り広げることになるのですが、それもまたおかしくて、でも彼は必死で。

このような奇妙な生物が、この物語にはたくさん登場します。

死神・完全な紳士(頭蓋骨)・ズルジル・白い一つ目の生き物・原野の生き物・笑いの神・象の化物・幽霊島の王様・えじきの精霊・醜悪な見た目のまぼろし・後ろ向きで歩く男・白い木(誠実な両手)・赤い婦人・赤ん坊の死者たち・大男・etc...

「完全な紳士(頭蓋骨)」なんて表現、この本を知らなかったら意味不明ですよね。笑

「白い木(誠実な両手)」なんかも同じですが、『やし酒飲み』ではこのような生物が登場することで、物語にカオスを生み出しています。

こうした「生物」はチュツオーラの特徴で、他の作品にもたくさん登場します。

主人公を襲う無理難題

基本的にこの物語の出来事は、主人公に無理難題がふっかけられ、それをなぜか解決する、という形で進んでいきます。

  • ある町の老人(神)「死神をこの網でくるんで、死神の家から連れてこい」
  • 有名な大きな市場の町長「もしあなたが、町の市場で奇妙な生物に誘拐されたわたしの娘を探し出して連れ戻してくれれば、お礼にヤシ酒造りの居場所を教えよう」

「ある町の老人(神)」も書いているだけで笑えてきますが、とにかく主人公は、どんな困難にも屈せず、でもいつもガクガク震えているというところが、親しみやすいキャラクターになっています。

彼の解決方法は、常に想像のはるか上(というか斜め上)をいく形なので、凝りかたまっていた思考や枠組みをほぐしてくれるというのも、この物語の良い点ですね。

『やし酒飲み』の感想

笑ってしまうおかしさ

奇想天外という意味でも面白い作品ですが、単純なユーモアにも笑えるところがたくさんあります。

少し長いですが、たとえばこんなところ。主人公が、「ある裁判を裁くように」と言われた事件を説明する場面です。

 事件のあらましは大体次のようだった――ここに二人の友人がいて、その一人は借金専門の男で、金を借りる以外に正業がなく、借金した金で命をつないでいた。ところがある日、その男は、友人から一ポンドの金を借り、一年後に、金を貸した友人が、貸した一ポンドを返済するよう、その男に要求した。ところが金を借りた方の男は、自分は金を借りるようになって以来、また生れてこのかた、一度だって借金を返したことはないのだから、この一ポンドも返済するわけにはいかぬと言い出した。一ポンド貸した友人は、借りた男の言い分をきいた時、ひとことも言わずに、その場は穏やかに家に引き退がった。ある日、この金を貸した男は、どんな事件でも、どんな人間からでも、きっと借金を取り立ててくるという、肝っ玉の太い、債務取立人がいるという情報をつかんだ。そこで早速その債務取立人の所へ行き、一ポンド金を貸した男が、一年になるのに金を返してくれないのだという話をした。その話をこの債務取立人にしてから、二人で揃って、借りた男の家へ行き、取立人にその家を見せてから、貸した男の方は、一人で自分の家に帰った。
債務取立人が、債務者(借り主)に、一年前から友人に借りていた一ポンドの金を返すように言ったところ、債務者は、自分は、生れてこのかた、びた一文たりとも債務を返したおぼえはないのだから、返すわけにはいかないと答えた。すると債務取立人の方は、自分はこの仕事をはじめて以来、債務を取立てることができなかった債務者は一人もいないのだ、とやり返し、さらに言葉をつけたして、債務を取立てるのが自分の職業で、自分はそれで生計を立てているのだ、とまくしたてた。これを聞いていた債務者の方も、負けじとばかりに「私の職業は、金を借りることだ。わたしは借金をたよりに生活しているのだ」と言い張り、結局最後には、二人の争いになった。しかしそのけんかは、猛烈をきわめ、その時たまたまその道を通りかかったある男は、二人を見て近寄ってきて、この種のけんかが大好きだったので、彼らの後ろに立ったまま見物し、仲に割って入る気は全然なかった。ところで、小一時間ほど猛烈に二人で争ったあげくの果てに、一ポンド借りた債務者の方が、やにわにポケットからジャック・ナイフを取り出し、自分の腹部を突き刺し、どっと倒れて、その場で息を引きとってしまった。これを見て、今度は相手の方債務取立人が、すっかり泡をくってしまい、自分が、仕事をはじめて以来、この世の中で債務を取立てられなかった債務者は一人もいないという誇り高き人間であることを思い出し、もしこの世で彼(債務者)から一ポンド取立てることができないのならば、天国まで言っても絶対に取立ててみせると言って、これまたポケットから、ジャック・ナイフを取り出し、自分を突き刺し、どっと倒れて、その場で息を引きとってしまった。
ところが今度は傍に立っていた男までが、そのけんかに非常な興味を覚えてしまい、是が非でもその結末を見届けたいものだと言って、天国で争いの終末に立ち会おうと天に向かって飛びあがり、その同じ場所にぶっ倒れたかと思うとそのまま息を引きとった、というのが事件の大筋だった。

エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』河出書房新社

誰が悪いのかを決められなかった主人公が、このあとに取る行動も面白いんですよね。

ところどろにこのような挿話があって、読者を愉快な気持ちにさせてくれます。

『夢十夜「第三夜」』との類似

笑いがある一方で、恐ろしさもあるのがアフリカ文学の特徴です。

『やし酒飲み』では、子どもの凶暴性が誇張的に描かれていて、それが少しホラーチックです。

時には、わたしたちに、夜まで絶食しろと命じたり、時には真夜中に、わたしたちを家から追い出したり、また、彼の前で二時間以上も平伏しているように、命令することもあったからだ。この子供は町で一番強かったので、町中をわがもの顔でのさばり歩きまわり、町のおえらがたの家を焼き打ちにしはじめた

エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』河出書房新社

彼の名はズルジルといって、生まれてすぐにやし酒を3タルも飲み、目に付いた食べ物はみんなのみ込んでしまうほど。

母親の親指から生まれて、地面に落ちるまでにはすでに1mほどの身長になっており、10歳くらいの言葉で話せます。

町で一番の暴れ者になり、逆らう者は誰であろうと容赦せず、凶暴の度が過ぎていて、ほとんど狂気の沙汰です。

一方でどこかホラー味も帯びていて、ある森での場面などは『夢十夜』の「第三夜」を思わせるところもあって、バイオレンス&ホラーで恐ろしい雰囲気になっています。

漱石の『夢十夜』はもっと純粋な寒気がするホラーですが、底に眠るテーマは共通のものがあるように感じます。

現代においてチュツオーラは「アフリカ文学の先駆者」と言われたりしますが、個人的には「ヨルバ文学の父」という表現が妥当だと思います。

というのも、アフリカ大陸は一括りにするのが難しいほど多様性に溢れていて、ナイジェリアひとつ取っても、ヨルバ族とイボ族では相当な民族性の違いがあります。

ヨルバは呪術的な系譜を持ち、チュツオーラの小説にもその傾向はよく表れています。

とはいえ、チュツオーラ自身も、自分の物語が「あまりにも真剣に受け止められすぎていた」と語っており、純粋な物語として楽しむのが一番なのは言うまでもないでしょう。

以上、ヨルバ的なユーモア&グロテスクの物語を楽しめる作品『やし酒飲み』のあらすじ・解説・感想まとめでした。

この記事で紹介した本
エイモス・チュツオーラ(著)/土屋哲(訳)