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『象の旅』あらすじ&感想!映画「ジョゼとピエール」で描かれたサラマーゴ晩年の作品!

2021年10月7日

『象の旅』のあらすじ・内容

1551年、象のソロモンと、象使いのスブッロが、ウィーンを目指して旅立ちます。

象は、ポルトガル国王から、オーストリアのマクシミリアン大公への贈り物。

30人ほどの隊列をつくって、長い旅路を急ぎます。

ポルトガルから、フランス、イタリア、オーストリアと、未舗装の砂地を行き、海を渡り、険しい雪の山を越えます。

季節は夏から秋、秋から冬へと移り変わりながら、さまざまな人々が象と象使いに出会います。

史実をもとにした、ジョゼ・サラマーゴ最晩年の冒険譚。

ジョゼ・サラマーゴ (著)/木下眞穂 (訳)

・『象の旅』の概要

物語の中心人物 象のソロモン(スレイマン)
物語の
仕掛け人
スブッロ(フリッツ)
主な舞台 ポルトガル→フランス→イタリア→オーストリア
時代背景 16世紀
作者 ジョゼ・サラマーゴ

『象の旅』の感想

象がひたすら歩く物語

もしあなたが物語の起伏に面白さを求めているのなら、その欲求は満たされずに終わるかもしれません。

主人公は象のソロモン。彼がひたすら歩く、それもポルトガルからオーストリアまで、ずんずんとずんずんと歩いていくだけの物語です。

  • 砂地
  • 雪山

彼が行く険しい道のりは、まるで人生の比喩のように描かれていきます。

象使いのスブッロ

ソロモンはインド象で、象使いのスブッロと一緒に、インドからポルトガルへやって来ました。

ポルトガルからオーストリアへ贈られるときもスブッロと一緒で、この『象の旅』の物語は、

象のソロモン&象使いのスブッロ

の二人の旅だといえるでしょう。

この二人の信頼関係は厚く、人と象の間に通う独特な愛の形が、物語のなかでも面白みを放っています。

宗教というテーマ

ジョゼ・サラマーゴ(1947~2010)の晩年の作品は、宗教をテーマにした作品が多く、『象の旅』も例にもれません。

  • 『だれも死なない日』(2005)
  • 『象の旅』(2008)
  • 『カイン』(2009)

ジョゼ・サラマーゴは2010年6月に亡くなりました。

この三作品は、いずれもキリスト教が物語に組み込まれています。

『象の旅』の舞台は16世紀なので、ルターの宗教改革や、カトリック側の異端審問などが取り上げられていて、教義をめぐる対立が俯瞰的に描かれています。

当時のカトリック教会への風刺

物語の途中では、象のソロモンが教会でひざまずくという「奇跡」を起こします。

もちろんスブッロが教えた芸なのですが、これを見た人々は「動物の世界にも福音がもたらされている!」と信心をいっそう強くするのです。

ソロモンは一躍有名になり、それに便乗したスブッロが、ソロモンの毛を「御利益がありますよ~」と言って売り出すんですね。

お金が無かったからなのですが、これが思わぬ大もうけになります。

人々の信じる心を利用して儲けるなんて最低だ!と思うかもしれませんね。

しかし、当時のカトリック教会も、

「教会にお金を寄付したら救われるよ~。罪も赦されるよ~。善行だよ~。」

と言って、人々の信心を金に変えていました。

そのため、スブッロが象の毛を売る場面は、当時のカトリック教会に対する風刺とも取れるでしょう。

  • ここで面白いのは、二人の主人公はインドからやって来たので、オブザーバーとして西洋の宗教をみているということ

彼らはむしろヒンドゥー教に造形が深く、やや引いた立場から、西洋の宗教を俯瞰的に見ています。

どちらかといえば、多くの日本人に近い宗教観なので、そのあたりは主人公目線で読みやすい部分です。

主人公の名前が途中で変わる

色々な小説を読んできましたが、主人公の名前が途中で変わる作品と出会ったのは、これが初めてだと思います。

ソロモンとスブッロは、ポルトガルで2年過ごしたあと、オーストリアのマクシミリアン大公に譲られます。

マクシミリアンは象使いの名前を聞くと、「言いにくいから変える」と言うんですね。

お前の名は発音がややこしい。よく言われます、殿下。ウィーンでその名を理解する者はおらぬだろう。悪いのはわたくしです、殿下。だが、よい方法がある、お前の名はこれからフリッツだ。フリッツですが、痛々しい声でスブッロは繰り返した。そうだ、覚えるのもたやすいし、オーストリアには山のごとき数のフリッツがいる、お前はその一人となるのだ

ジョゼ・サラマーゴ『象の旅』書肆侃々房

理不尽ですが、力を持つ人には逆らえないのが世の中というもの。

スブッロはフリッツに、象のソロモンはスレイマンと名前を変えられてしまいました。

政治に利用され、皆に忘れられ、無理な旅をさせられ、名前まで奪われる。

そうした理不尽さが淡々と描かれていきます。

ポン。

  • 物語設定の奇抜さ
  • カギ括弧なし&句点微量の独特な文体
  • 婉曲表現・比喩・ことわざ・アフォリズムの多用による語り

このあたりがジョゼ・サラマーゴの特徴であり、彼の作品の面白さでもあるでしょう。

しかし、『象の旅』にはあまり今までにはなかった、不思議な場面があります。

象の声を聞いたと言い張る男は急にしおしおと萎びてきて、縮んで丸みを帯び、シャボン玉のように透明になった、十六世紀当時の質の悪い石鹸で、どこかの天才が発明した水晶玉のような美しい玉が作れたならばの仮定ではあるが、とにかく男は突然視界から消え失せた。ポン、と消えてなくなったのだ。オノマトペというものは、ときに大変有用である。この男の消滅の過程を委細に語ろうとすれば、十ページは必要だったろう。ポン。

ジョゼ・サラマーゴ『象の旅』書肆侃々房

シュルレアリスム、あるいは幻想文学めいたこの場面は、少なくとも和訳されているジョゼ・サラマーゴの作品にしては珍しく、あまり見たことがありません。

実は、この『象の旅』の執筆途中で、ジョゼ・サラマーゴは重い病にかかります。

白血病。体力が消耗し、執筆を続けられなくなるほどで、生死をさまよう手術もしたため、執筆は一時中断されました。

そのせいかは分かりませんが、『象の旅』には幻想的な場面がいくつかあり、この作品の特徴となっています。

人生の過酷さや虚しさが、象の旅を通して描きだされる物語。

しかし時折、誰かと本当に心を通わせられる瞬間があり、そこには愛が一瞬だけきらめく。

ジョゼ・サラマーゴらしい人生観が出ていた良作だと思います。

この記事で紹介した本
ジョゼ・サラマーゴ (著)/木下眞穂 (訳)