『握手』とは?
『握手』は井上ひさしの短編小説です。
「握手」というジェスチャーやハンドサインを通して、ルロイ修道士から「わたし」へと継承されるものが描かれています。
ここでは、「握手」というタイトルの意味や、葉桜の季節が表現するものを、あらすじとともにまとめました。
『握手』のあらすじ
桜が散ったころ、久しぶりにルロイ修道士と西洋料理店で再会したわたしは、彼の握手に以前ほど力がないことに気づきます。
かつて、わたしが児童養護施設「光ヶ丘天使園」に迎え入れられた時は、腕が痛くなるほど強い握手だったことを覚えています。
天使園でのルロイ修道士は、話す代わりに手のサインをよく使いました。
親指を立てると「最高だ」、人差し指を立てると「よく聞きなさい」。
なかでも人差し指を交差させて打ち付けると危険信号で、ルロイ修道士が怒っている印でした。
そんな彼はこのたび故郷であるカナダに帰るらしく、帰る前に教え子のわたしたち一人一人に会っているのだと言います。
わたしは、ルロイ修道士が重い病を患っているのではないかと思いました。
運ばれてきたオムレツはほとんど食べないし、明らかに以前ほど元気そうではないからです。
帰り際、わたしはルロイ先生の手をとって、しっかりと握りました。
それでも足らずに腕を上下にはげしく振りました。
上野公園の葉桜が終わるころ、ルロイ修道士は仙台の修道院でなくなりました。
わたしたちに会ってまわっていたころのルロイ修道士は、身体中が悪い腫瘍の巣になっていたそうです。
葬式でそのことを聞いたとき、わたしは知らぬ間に、両手の人差し指を交差させ、せわしく打ちつけていました。
『握手』ー概要
物語の中心人物 | わたし |
物語の 仕掛け人 |
ルロイ修道士 |
主な舞台 | 西洋料理店→過去の光ヶ丘天使園 |
時代背景 | 20世紀後半 |
作者 | 井上ひさし |
『握手』ー解説(考察)
「握手」の意味とは?
井上ひさしの『握手』では、タイトルの通り「握手」がキーポイントになっています。
作中では、合計三回の握手が交わされます。
- 「わたし」が光ヶ丘天使園に入所したとき
- 「わたし」とルロイ修道士が西洋料理店で再会したとき
- 「わたし」とルロイ修道士が上野駅の中央改札口で別れたとき
出会いの握手、再会の握手、別れの握手の三種類になっていることが分かります。
「握手」という行為は同じですが、その意味はそれぞれ違っているわけです。
出会いの場面:万力よりも強いルロイ修道士の握手
ルロイ修道士の握手は、万力よりも強いと表現されています。
下記は出会った時の握手の場面です。
彼の握力は万力よりも強く、しかも腕を勢いよく上下させるものだから、こっちの肘が机の上に立ててあった聖人伝にぶつかって、腕がしびれた。
井上ひさし(1987)『握手』講談社,p222
万力というのは非常に強い力でものを挟むことができる器具です。
モノにもよりますが、数百kg以上の力で挟むことができます。
成人男性の平均的な握力は45kg前後なので、「万力よりも強い」というルロイ修道士の握力は誇張表現ですが、それほどの力強さを感じたということでしょう。
再会の場面:ルロイ先生のじつに穏やかな握手
しかし、このルロイ修道士の握手が、「再会」の場面の握手では弱くなっています。
だが、顔をしかめる必要はなかった。それはじつに穏やかな握手だった。ルロイ修道士は病人の手でも握るようにそっと握手をした。
井上ひさし(1987)『握手』講談社,p222
ここに、ルロイ修道士の「変化」を見てとることができます。
以前の握手は強かったのに、今は弱くなっている。
「わたし」はそこから、ルロイ修道士の衰弱を読み取ります。
そういえばさっきの握手もなんだか変だった。(中略)じつはルロイ修道士が病人なのではないか。もと園長はなにかの病いにかかりこの世の暇乞いにこうやってかつての園児を訪ねて歩いているのではないか。
井上ひさし(1987)『握手』講談社,p228
このルロイ先生の体調がすぐれないのではないか?という疑問は、ラストシーンの握手につながっていきます。
別れの場面:「わたし」の力強い握手
ラストシーンでは、ルロイ先生との別れを惜しんで、「わたし」は力強い握手をします。
それからルロイ修道士の手をとって、しっかりと握った。それでも足りずに腕を上下にはげしく振った。
「痛いですよ」
ルロイ修道士は顔をしかめてみせた。井上ひさし(1987)『握手』講談社,p230
出会いのときには、ルロイ修道士が「万力」のような強さで「腕を勢いよく上下させ」ました。
一方、別れの場面ではわたしが「腕を上下にはげしく」振っているわけです。
これはきれいな対比になっていて、ルロイ修道士と「わたし」の立場が逆転したことの表現として機能しています。
握手の種類と受け手の感情 | |||
出会い | 再会 | 別れ | |
ルロイ修道士 | 激しい握手 | 穏やかな握手 | 痛い+顔をしかめる |
わたし | 腕がしびれた | 顔をしかめる | 激しい握手 |
つまり「握手」という行動は、出会い、再会、別れを示しているだけでなく、ルロイ修道士から「わたし」への立場の移り変わりも意味しているわけです。
こうした移り変わりは「握手」だけでなく、ほかのハンドサインでも表れています。
『握手』で描かれるハンドサインと「継承」テーマ
『握手』で描かれるハンドサインは下記の4つです。
- 右の人さし指をぴんと立てる=「こら」「よく聞きなさい」
- 右の拇指をぴんと立てる=「わかった」「よし」「最高だ」
- 両手の人さし指をせわしく交差させ打ちつける=「おまえは悪い子だ」
- 右の人さし指に中指をからめて掲げる=「幸運を祈る」「しっかりおやり」
これらのハンドサインは、「わたし」や教え子に受け継がれています。
例えばバスの運転手になった上川くんは、ルロイ修道士をバスに乗せると、拇指をぴんと立てるサインをします。
そして「わたし」もラストシーンで、両手の人差し指を打ちつけている描写があります。
わたしは知らぬ間に、両手の人さし指を交差させ、せわしく打ちつけていた。
井上ひさし(1987)『握手』講談社,p231
この場面は、「わたしの知らぬ間に」という無意識の状態で行われているため、ルロイ修道士の癖が「わたし」に移り変わっていることを示します。
このように、「握手」というジェスチャーや、様々なハンドサインを通して、ルロイ修道士からわたしへの「継承」というテーマが浮かび上がっています。
『握手』は先ほどの場面で終わっているので、「ルロイ修道士→わたし」への継承をもって幕を閉じたことになります。
こうして継承されたものは、ルロイ修道士の教えであり、生き方であり、人となりでもあるわけです。
葉桜の季節とはいつか?〜生と死の間で〜
『握手』の季節設定は、「桜の花はもうとうに散っ」たあとに再会があり、「葉桜が終わるころ」にラストを迎えます。
つまり、4月下旬〜5月下旬までの間で、ふたりの再会とルロイ先生の死という出来事が起こるわけです
再会の場面
桜の花はもうとうに散って、葉桜にはまだ間があって、そのうえ動物園はお休みで、店の中は気の毒になるぐらい空いている。
井上ひさし(1987)『握手』講談社,p220
ラストの場面
上野公園の葉桜が終るころ、ルロイ修道士は仙台の修道院でなくなった。
井上ひさし(1987)『握手』講談社,p220
上野公園の桜は、3月末〜4月上旬にピークを迎えます。
「桜の花はもうとうに」散っているわけですから、4月下旬から5月上旬あたりでしょうか。
そして「葉桜が終るころ」は、桜の花が全て若葉に変わるころですから、5月下旬当たりです。
移り変わりの季節のなかで、ルロイ先生が亡くなり、「わたし」はルロイ先生から大切なものを受け継ぐ。
『握手』の「葉桜の季節」という設定は、季節の移り変わりを表すと同時に、ルロイ修道士が「生から死へと移り変わる」ことも暗示していることが分かります。
『握手』ー感想
ルロイ修道士の異文化理解
『握手』は「戦争」や「異文化理解」のテーマも孕んだ作品です。
ルロイ修道士はカナダから日本へやって来た人であり、名前やカトリックということから、おそらくフランス系カナダ人だと考えられます。
こんど故郷へ帰ることになりました。カナダの本部修道院で畑いじりでもしてのんびり暮らしましょう。
井上ひさし(1987)『握手』講談社,p220
さらに「彼の日本語には年季が入っている」ことから分かるように、日本へ来て長いことも分かります。
つまりルロイ修道士は、フランス、カナダ、日本といった国からアイデンティティが形成されている人物です。
そんな彼だからこそ、次のようなセリフが出てきます。
「日本人は先生に対して、ずいぶんひどいことをしましたね。交換船の中止にしても国際法無視ですし、木槌で指を叩き潰すにいたっては、もうなんて云っていいか。申し訳ありません。」
(中略)
「総理大臣のようなことを云ってはいけませんよ。だいたい日本人を代表してものを云ったりするのは傲慢です。それに日本人とかカナダ人とかアメリカ人とかいったようなものがあると信じてはなりません。一人一人の人間がいる、それだけのことですから」井上ひさし(1987)『握手』講談社,p224
周りを見れば同じ顔だらけのこの国は、自国民と他国民を人種によって分けがちです。
例えば、金髪で肌が白く青い目をした男性が都会を歩いていれば、ほとんどの人が「海外の人だ」と思うでしょう。
もしかすると彼は、日本で育った日本人かもしれません。もっと言えば、「彼」でもないかもしれません。
自と他を分けること、そして分類すること、ひいてはそれが国同士の争いにも発展すると、ルロイ修道士は警鐘を鳴らしているわけです。
「日本人とかカナダ人とかアメリカ人とかいったようなものがあると信じてはなりません。一人一人の人間がいる、それだけのことですから」
複数のルーツを持つ異文化理解に長けた人物の言葉として、物語の中でよく響く一文だと思います。
井上ひさしと「光ヶ丘天使園」
『握手』の「わたし」が育った仙台の光ヶ丘天使園は、実際に仙台にある児童養護施設です。
作者の井上ひさしも、中学三年生の頃に母親によって光ヶ丘天使園に預けられ、そこで青年時代を過ごしました。
光ヶ丘天使園は名称を変え、現在も「ラ・サール・ホーム」として存続しています。
戦後、日本の社会では「学校教育よりも、街を放浪する戦災孤児の養育が先」との修道士の認識と、宮城県より児童福祉施設開設協力の要請を受けたことから、1948年(昭和23年)、 仙台市東郊の「光ケ丘」とよばれた小高い丘の上に「ラ・サール・ホーム」(開所時の名称は「光ケ丘天使園」)を建設、現在に至っています。
児童養護施設ラ・サール・ホーム「ラ・サール・ホームについて」
井上ひさしのエッセイには施設時代の出来事がよく書かれており、『握手』に登場するルロイ修道士のように畑を耕す修道士も登場します。
また、彼の自伝的小説である『四十一番の少年』にも、児童養護施設での出来事が描かれています。
もちろんフィクションではありますが、井上ひさしという作家を知りたい人には必読の一冊だと言えるでしょう。
以上、『握手』のあらすじ&解説でした。