芥川龍之介

芥川龍之介『あばばばば』の意味は?あらすじから解説・感想まで!

2019年9月5日

『あばばばば』とは?

『あばばばば』は芥川龍之介の私小説風の物語です。

”保吉もの”と呼ばれる作品群のひとつで、保吉という人物が主人公になっています。

『あばばばば』ではそんな保吉と、出勤の道中にあるタバコ屋での物語が描かれます。

芥川作品の中でもひときわ奇妙なタイトルですが、いったいどういう意味なのでしょうか?

ここではそんな疑問や、あらすじ・考察・感想をまとめました。

それではみていきましょう。

-あらすじ-

主人公は、職場の往来にある小売店によく入って、いつもマッチなどを買っています。

その店には無愛想な主人と、十九歳ほどの細君がいて、店を切り盛りしています。

細君は昔ながらの女性であり、目をじっと見つめるだけで頬が赤くなってしまうほどです。

主人公は、そんな分かりやすい反応をする細君に好感を持っています

しかしあるとき、その細君は、ぱたりと店に顔を出さなくなります。

それから二ヶ月ほどが経ったあと、主人公が店の前を通りかかると「あばばばばばば」と言って赤子をあやしている女性がみえます。

それはその店の細君で、顔を上げた瞬間に、主人公とぱっと目が合います。

主人公は「また顔を赤らめるだろう」と想像しますが、細君は意外に澄ました表情です。

それどころか再び赤子に顔を向けて、周りの目を恥ずかしがりもせず、また「あばばばばば」と言いだします。

主人公はそれを見ると、にやにやと笑いながら、帰りの歩をすすめました。

・-概要-

主人公 海軍学校教官の保吉
物語の
仕掛け人
十九の女性
主な舞台 通勤途中にある店
時代背景 大正初期
作者 芥川龍之介

-解説(考察)-

・妻→母に変化する物語

『あばばばば』は、店の「細君」が重要な登場人物として描かれています。

客に対する態度は不相変妙にういういしい。応対はつかえる。品物は間違える。おまけに時々は赤い顔をする。――全然お上さんらしい面影は見えない。

このように、その女性は仕事を間違えると頬を赤らめ、目が合うと頬を赤らめ、不安になると汗を吹き出します。

主人公はその人慣れない女性に、懐かしみのある好感を覚えます。

しかし、物語の終盤でその女性が子どもを産んでから、女性の様子は変化します。

女は澄ましている。目も静かに頬笑んでいれば、顔も嬌羞などは浮べていない。のみならず意外な一瞬間の後、揺り上げた赤子へ目を落すと、人前も羞じずに繰り返した。
「あばばばばばば、ばあ!」

母親になったとたん、以前までのいじらしさは消え去り、「母」特有の図々しさを持ち合わせるようになっています。

このように『あばばばば』の物語は、

前半ではまだ娘らしさの残る若い女性像を描き、後半でその女性像をくつがえす構造

になっていることが分かります。

したがってこの作品は、主人公の視点を通して、

女性の「妻」→「母」への変化

を描いた物語だといえるでしょう。

こうした女性の変化の捉え方が面白い作品です。

・海軍学校教官に勤めた芥川と、作中の保吉

芥川龍之介は、大正五年の十二月から約2年ほどの間、海軍学校の英語教官として働いていたことがあります。

保吉はずっと以前からこの店の主人を見知っている。ずっと以前から、――或はあの海軍の学校へ赴任した当日だったかも知れない。

『あばばばば』はこのような冒頭で始まることから分かるように、芥川が海軍学校に教官として赴任していた様子が背景になっています。

そのため、読者はこの物語の主人公と、作者である芥川龍之介を重ねて読んでしまうという仕掛けがはたらいています。

この物語の主人公は、

・保吉(やすきち)

と呼ばれる人物ですが、芥川の作品にはこの「保吉」を主人公とした作品がいくつかあります。

  • 『お辞儀』
  • 『寒さ』
  • 『少年』
  • 『十円札』

etc......

これらの作品群は「保吉もの」とまとめられることが多く、芥川の私小説的な傾向が見られる内容になっています。

『あばばばば』も例にもれず、芥川の私小説的な物語だといえるでしょう。

芥川の感受性や当時の雰囲気などが感じられる作品です。

ほかの保吉ものも面白い作品が多いので、『あばばばば』が気に入った人は、ぜひ読んでみてください。

-感想-

・物語にでてくる店の雰囲気が好き。

この作品で僕が好きなのは、物語の中心舞台である店の雰囲気です。

少し長いですが、店の描写を引用します。

天井の梁からぶら下ったのは鎌倉のハムに違いない。欄間の色硝子は漆喰塗りの壁へ緑色の日の光を映している。板張りの床に散らかったのはコンデンスド・ミルクの広告であろう。正面の柱には時計の下に大きい日暦がかかっている。その外飾り窓の中の軍艦三笠も、金線サイダアのポスタアも、椅子も、電話も、自転車も、スコツトランドのウイスキイも、アメリカの乾葡萄も、マニラの葉巻も、エヂプトの紙巻も、燻製の鰊も、牛肉の大和煮も、殆ど見覚えのないものはない。

この雰囲気、大正や昭和のレトロな感じが好きな僕にとってはたまらないです。

またこの文章について言えば、視点の動かせ方も絶妙です。

「天井」→「壁」→「床」と上から下へときて、それから「柱」→「窓」と全体の構成を把握させます。

そして、ポスター、椅子、電話、自転車、ウイスキー、と点在するアイテムをランダムに描写することで、読者の中に店の雰囲気を作りあげていきます。

僕はとにかくこのお店が好きです。

コンデンスミルクの広告は、きっと文字が反対になってクルミスンデンコとなっているでしょうし、サイダーやウイスキーの瓶は店の隅で陽の光を受けてあやしくきらめいているのでしょう。

そのうえ、そこではいじらしく初初しい女性が店番をしています。

調和の取れた、素敵な空間だといえます。

しかし、物語の最後で女性が「母」となったことで、以前の店の調和は崩れてしまいます。

女はもう「あの女」ではない。度胸の好いい母の一人である。(中略)この変化は勿論女の為にはあらゆる祝福を与えても好い。しかし娘じみた細君の代りに図々しい母を見出したのは、……保吉は歩みつづけたまま、茫然と家々の空を見上げた。

主人公の感情からは無責任な失望が読み取れますが、僕は分からないでもありません。

『あばばばば』というタイトルはとても奇妙です。

しかしこのように見てみると、調和を崩す不快な言葉の象徴として機能しているように思います。

濁音の多さから、僕は少しの恐ろしさすら感じてしまうタイトルです。

そうしたこともふまえて、この作品はとても面白いと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました!ほかにも芥川作品の考察・感想を書いています。

興味のある作品があれば、ぜひ読んでみてください。

以上、『あばばばば』のあらすじと考察と感想でした。

この記事で紹介した作品(ちくま文庫『芥川龍之介全集〈5〉に収録)