川上未映子『夏物語」の感想!『乳と卵』をさらに掘り進めた作品

2019年11月5日

『夏物語』のあらすじ・紹介


川上未映子が芥川賞を受賞した『乳と卵』から11年。『夏物語』は作者の渾身作だと思う。

作品は二部構成。第一部は『乳と卵』に手を加えてボリュームアップしたものが、第二部ではそれから八年後の新たな物語が描かれる。

今作で大きく変わったところは、主人公・夏子がクローズアップされている点だ。

『乳と卵』では、主人公の姪・緑子が感じる「月経」への嫌悪感と違和感、さらにその母・巻子が悩む「豊胸手術」に焦点が当てられていた。

しかし『夏物語』では、夏子という主人公で「AID(非配偶者間人工授精)」というテーマにのぞむ。

社会や男性が求める女性への「役割」や「常識」や「美の基準」に、彼女たちは抗い、苦悩し、答えを探していく。

『夏物語』は『乳と卵』で扱ったテーマをさらに深く掘り下げ、同じ登場人物が新たに紡いでいく物語だと言えるだろう。

ここではそんな『夏物語』の見どころ・感想をまとめた。

-内容・見どころ-

・大阪弁が混じる文体

川上未映子さんの特徴の一つは、大阪弁の話し言葉を軽妙に織り交ぜていく言語センスだ。

僕自身も大阪出身だから思うのかもしれないけれど、大阪人というのは言葉の接続順序が少し独特だったりする。

たとえば、作中に出てくる巻子の言葉なんかはそれをよく表している。

「っていうか、めっさあるやんここメニュー」

川上未映子『夏物語』文藝春秋,p76

さすがに「めっさ」はもうあまり聞かないけれど、こういう話し方をする人は案外多い。リズム的に体言止めを好むのだろうか。

主人公の姪である緑子の日記にもそうした大阪弁は溢れていて、そのリズムが面白く、声を出して笑ってしまったことは二度や三度ではない。

ただ、大阪弁の話し言葉をそのまま文章にしているわけではなく、書き言葉として、つまり読んで心地の良い文章にしているのは、ひとえに作者のセンスなのだ。

第一部では主に大阪の巻子や緑子が登場するので、そうした大阪弁の面白い文体が魅力的になっている。

そしてもう一つの見どころは、主に第二部で描かれていくAID(非配偶者間人工授精)というテーマだ。

・性、生、聖、正。生殖倫理というテーマ

子どもは男女が愛し合った末に授かるものだという認識が世界の常識であり、したがって片親というのは子どもにとって不幸な状態であるという価値観が、今の世の中にはある。

しかし、性の多様化によって家族の価値観は大きく変わりつつあるし、それに伴って「子どもを持つ」ということも変化していくだろう。女性の社会進出が進むにつれて、片親というのも珍しいことでもなくなってきている。

AID(非配偶者間人工授精)とは、そんな現代の世の中から必然的に要求されるようになった生殖方法の一つだ。

世界的には、男性不妊の夫婦やレズビアンのカップルなどが、AIDで——つまり第三者の精子で子どもを妊娠・出産している。

AIDの主な問題は、生まれてきた子どもが父親を認知できないことだとされていて、そのほかにも大小様々な問題があり、議論は絶えない。

だが、そうした問題や法律をすべて取っ払って誤解を恐れずに言うと、AIDとは女性の意思と授精できる身体さえあれば、妊娠・出産の可能性を獲得できる方法だということになる。

主人公の夏子は38歳で、歳を経るごとに自分の子どもに「会ってみたい」という感情が起きはじめる。

しかし彼女は男性との行為に対して生理的で深刻な抵抗感を持っており、通常の方法で妊娠することは難しいと思っている。

そんな時に出会ったのがAIDという方法だった。

AIDは彼女の望みを叶えてくれるシステムではあるが、やはり拭えない心理的な「きもち悪さ」と、一方的に子どもを産むというエゴとの葛藤がある(芥川の『河童』の世界では、生まれてくる子どもに「お前はこの世界へ生れて来たいか?」と聞き、子河童は「生まれたくない」と答えると生まれてこなくて良いが、人間はそうはいかない)。

『夏物語』の第二部ではそうしたAIDという方法と倫理的な葛藤を通して、女性の生殖の新たな選択肢がテーマとして描かれていくところが大きな見どころだと言えるだろう。

『夏物語』の感想

2019年の今年、読んできた作品の中で一番力のある小説だった。

村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』が『ねじまき鳥と火曜日の女たち』という短編から生まれた長編であるように、川上未映子の『夏物語』は元にあった作品『乳と卵』をさらに掘り進めた内容になっている。

だが、『夏物語』の前半部分は『乳と卵』と全く同じというわけではなく、夏子がより主人公として動き出せるような構成と仕掛けになるよう加筆修正されている。

したがって、『夏物語』と『乳と卵』という作品に貫かれているテーマは同じだけれども、厳密には全く違った物語として機能している。

前半部分はとにかく笑った。文体が面白くて仕方がなかった。だけど僕はまだ、後半部分を笑い飛ばせるような境地には達していないようだ。

100年後の人類なら、この物語を笑っているような気がする。

川上未映子:(文藝春秋)単行本 – 2019/7/11

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