中島敦『李陵』の詳しいあらすじ&解説・感想!李陵と蘇武の運命を分けた原因は?

2019年9月23日

『李陵』とは?

『李陵』は、中国・前漢の時代に活躍した武将、李陵を主人公にした物語です。

前半は匈奴という敵国との戦い、後半は敵に捕らえられた匈奴での生活を描いています。

中島敦の遺作であり、彼特有の漢文体で書かれた中国物の作品です。

歴史家の司馬遷や、武将の蘇武なども重要な人物として登場します。

ここではそんな『李陵』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

-あらすじ-

主人公・李陵は北の匈奴を倒すため、5千の歩兵で行軍します。

敵である匈奴軍の騎馬は3万を超えますが、李陵は好戦し、一時は撃退しました。

しかし、次々と来る匈奴の援軍に為すすべなく、矢も尽きたところで捕らえられてしまいます。

それから月日が経ち、漢の国では、李陵が裏切ったという報が武王に伝わっていました。

さらに、近頃漢軍が負けるのは、李陵が匈奴の策を練っているからだという噂までも広まります。

武王は怒り、その間違った噂を元に、李陵の家族を皆殺しにします。

ただ一人だけ、歴史家の司馬遷という者が李陵を擁護しましたが、これも王に刃向かったとして宮刑に処されます。

妻子を失ったことを知った李陵は嘆き悲しみます。

それどころか、漢以外の国となら匈奴のために戦い、将軍とも親しい間柄にさえなります。

そうしてしばらく匈奴に身を置いた李陵ですが、漢の武王が亡くなったことを期に、漢に戻らないかと誘われます。

しかし、一度は国を捨てた身でどうして帰ることができようかと思い、匈奴に残る選択をします。

一方、同じく匈奴に捕らわれていた蘇武という武人は、李陵とは違って匈奴に与せず貧しい暮らしをしていましたが、19年ぶりに漢に帰る機会を得えます。

蘇武と別れた後の李陵については、ほとんど記録が残っていません。

・『李陵』の概要

主人公 李陵
物語の
仕掛け人
司馬遷・蘇武
主な舞台 匈奴(中国北部)
時代背景 紀元前1世紀
作者 中島敦

-解説(考察)-

・李陵と蘇武の運命を分けた原因は何か?

中島敦は、李陵と蘇武の運命を決めた根源が、

  • 互いの性質の違い

であるとして物語を描いています。

彼らの性質の違いは、匈奴に捕らえられたときの行動の差で分かります。

李陵は捕らえられたとき、頭を使って、策略を企てます。

ら首ねてしめを免れるか、それとも今一応は敵に従っておいてそのうちに機を見て脱走する――敗軍の責をうに足る手柄を土産として――か、この二つのほかにはないのだが、李陵は、後者を選ぶことに心を決めたのである。

しかし、物語を読むと分かるように、李陵は機を見つけられず結局は匈奴に馴染み、策略は失敗したといえます。

一方、蘇武は降伏を勧められると、すぐさま自らの首をはねようとします

単于は彼らを殺そうとはしないで、死をもってかしてこれをらしめた。ただ蘇武一人は降服をがえんじないばかりか、しめを避けようとら剣を取ってが胸を貫いた。

ここに、二人の行動の差は出ています。

そして知っての通り、李陵は国を捨てることになり、蘇武は堂々と国へ帰ることができるのです。

中島敦の作品は、本能で動く行動の人と、理性で動く考える人という対比がよくみられます。

たとえば、『弟子』の子路と孔子。『悟浄歎異』の悟空と悟浄などです。

『李陵』でもその対比はみられ、

  • 蘇武は行動の人
  • 李陵は考える人

でしょう。

こうした彼らの性質の違いが、後の運命を左右している風に描かれています。

このことから、李陵は考える人という性質だったがために悲運を遂げ、蘇武は行動の人だったがために幸運を掴んだといえます。

・司馬遷・蘇武・李陵からみる中島敦の人間性の描き方

作中に出てくる司馬遷は、『史記』という歴史書を残した大歴史家です。

彼は李陵をかばって武王の怒りに触れ、宮刑(男性器を切り落とされる刑)に処された後、プライドも役職も失い、ただ『史記』を編纂するためにのみ生きます。

びも昂奮もない・ただ仕事の完成への意志だけに鞭打たれて、傷ついた脚を引摺りながら目的地へ向かう旅人のように、とぼとぼと稿を継いでいく。

李陵が考える人、蘇武が行動の人なら、司馬遷は観察の人だといえるでしょう。

さて、『李陵』の物語の面白いところは、主人公の李陵から離れた脇役であるほど、歴史的には名を残しているという点です。

  • 物語の主要度 = 李陵>蘇武>司馬遷
  • 後生の知名度 = 司馬遷>蘇武>李陵

たしかに司馬遷の没個性的でひたむきな作業や、蘇武の尋常ではない忍耐などは、後生にまで伝えられるような偉大な精神的活動です。

しかし、中島敦は李陵という(才能はあったものの)凡庸な精神力の人物を主人公にします。

読者は、李陵の人間の弱さを情けなく思いつつも、どこか馬鹿にはできない。

このような、心の強い人間と弱い人間を対立させる人間性の描き方に、中島敦作品の魅力があるのではないでしょうか。

-感想-

・大きな歴史の中の小さな人間と「天運」

中島敦の作品は、歴史という大きな時間の積み重ねの中で、その小さな隙間に生きる人間の運命を描いているように思います。

『李陵』は特にその感じの強い物語でした。

中島敦作品に出てくる主人公で、僕が最も好きなのがこの李陵です。

『山月記』の李徴も面白いし、『弟子』の子路はかっこいい。『光と風と夢』のスティーヴンソンは立派だし、『文字禍』のナブ・アヘ・エリバ博士は・・・?。

みんな好きですが、僕にとって李陵ほど丁度いいダメさ加減の人物はいません。

才能はあるんだけど、中身がない。あるいは中身が伴っていない。

李陵は頭では最も立派な振る舞いを知っているけれど、いざとなればその選択ができません。

なぜなら頭の中の理想像に自分をはめこもうとしているからで、結局は本心ではないからです。

その原因はおそらく、偉大な武人だった祖父・李広の影響にあると思います。

彼は悲運の将軍で、数々の武功を挙げたにもかかわらず、認めてもらえなかったために自刎(じふん)します。

彼自身、このことを「天命」だと言っています。

李広の血を継ぐ李陵の性質もいわば天命であり、匈奴に居着くことになったのもその性質がもたらした運命だといえます。

『李陵』はそうした抗いがたい人生の不幸が、李陵という人間を通して描かれた作品だと思います。

僕はそうした李陵が好きですが、反対に蘇武のように硬骨な人物が好きだという方は、中島敦の『弟子』がおすすめです。

気になった方はチェックしてみて下さい。

以上、『李陵』のあらすじと考察と感想でした。

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