現代日本文学

『白いぼうし』あらすじ紹介!女の子はモンシロチョウか?ラストシーンの意味を解説!

『白いぼうし』とは?

『白いぼうし』はあまんきみこのファンタジー作品です。

1986年に書かれた『車の色は空の色』に収録されている一篇で、『ちいちゃんのかげおくり』と同様に、小学校の教科書にも採用されています。

ここではそんな『白いぼうし』のあらすじ・解説をまとめました。

『白いぼうし』のあらすじ

タクシー運転手の松井さんは、母親が送ってくれた夏みかんを後部座席に忍ばせながら仕事をしていました。

途中で道端に白い帽子を見つけ、車に轢かれたらかわいそうだと思ったので、車から降ります。

その白い帽子を手に取ると、中からモンシロチョウが出てきて、帽子の裏には男の子の名前が縫い付けてあります。

「これは男の子のエモノだったんだな。悪いことをしたなあ」

そう思った松井さんは、代わりに夏みかんを帽子の中に入れて、風で飛ばされないように石で押さえておきました。

車に戻ると女の子が乗っていて、なの花よこ町までと言います。

松井さんが車を動かし、チョウチョがみかんに変わっていたら男の子は驚くだろうなあと考えていると、後ろの女の子がいなくなっています。

おかしいな、と考えながら窓の外の野原を見ると、そこには二十も三十も白いチョウがとんでいました。

松井さんがチョウをぼんやりみているうち、「よかったね」「よかったよ」と、小さな小さな声が聞こえてきました。

車の中には、まだかすかに夏みかんの匂いが残っています。

『白いぼうし』ー概要

物語の中心人物 松井さん
物語の
仕掛け人
男の子、女の子
主な舞台 タクシーの中、柳の木の下、野原
時代背景 現代
作者 あまんきみこ

『白いぼうし』ー解説(考察)

『白いぼうし』は、後部座席に座っていた少女が消えたり、どこかから話し声が聞こえてきたりする不思議なファンタジー小説です。

ここでは、下記の3点について解説します。

  • 「夏みかん」の役割
  • 消えた少女の正体
  • 謎の話し声である「よかったね」「よかったよ」が誰のセリフなのか

まずは「夏みかん」についてみていきましょう。

「夏みかん」は松井さんと母親を繋ぐ特別なアイテム

夏みかんは冒頭に登場するキーアイテムです。

冒頭で、主人公である松井さんの母親からの送りものであることが書かれています。

「これは、レモンのにおいですか?」
(中略)
「いいえ、夏みかんですよ。」
(中略)
「ほう、夏みかんてのは、こんなににおうものですか?」
「もぎたてなのです。きのう、いなかのおふくろが、"速達"でおくってくれました。においまでわたしにとどけたかったのでしょう。」

あまんきみこ『車のいろは空のいろ「白いぼうし」』ポプラ社

ここでの松井さんはニコニコしていて、とても嬉しそうな様子が描かれます。

夏みかんは母親からの気持ちがこもっている品であり、それを松井さんも喜んでいるわけです。

ただし、他人にはレモンと夏みかんの違いが分からない様子なので、「夏みかん」は松井さんにとって思い入れのある品なのでしょう。

この夏みかんは物語の中盤でモンシロチョウの代わりに、少年の帽子の中に入れられることになります。

「夏みかん」と「白い帽子」の共通点

松井さんがタクシーを運転していると、道端に「白い帽子」が落ちていることに気づきます。

その帽子の中にはモンシロチョウがいて、帽子の裏には「たけ山ようちえん たけのたけお」と刺繍がされていたのでした。

つまり、この「白い帽子」は少年のものであり、母親からの気持ちがこもっている品であることが分かります。

だとすると、この「白い帽子」と「夏みかん」は、母親からの思いがこもっている品という点で一致します。

この二つのアイテムの意味が重なることで、物語には「母親の愛」「親子の絆」というテーマが浮かび上がってきます。

個人的には、この母親・親子というテーマが、女の子の正体や、「よかったね」の声に繋がっていくのではないかと考えています。

女の子はモンシロチョウ!原作の流れから考える

『白いぼうし』の最大の謎は、後部座席で消えた少女の正体は何か?ということでしょう。

考えられるケースは下記の3つです。

  1. 女の子はモンシロチョウだった
  2. 女の子は人間で、松井さんが知らない間に降りた
  3. 女の子は松井さんの幻覚だった

色々な読みがあって良いと思いますが、個人的には1番だと考えます。

2番は考えにくいですし、3番を肯定してしまうと、白いぼうしや男の子までも幻覚だった可能性が出てくるので物語が破綻します。

『千と千尋の神隠し』のように、トンネルをくぐるなどのきっかけがあれば別ですが、『白いぼうし』にはそれがありません。

何より、『白いぼうし』が収録されている『車のいろは空のいろ』という本は、主人公の松井さんが色々な人(実はキツネだったりクマだったりする)をタクシーに乗せ、不思議なことが起こる物語です。

「白いぼうし」はその中の一つのお話しなので、少女がモンシロチョウだったとしてもおかしくはなく、むしろそう読むのが普通です。

教科書では『白いぼうし』だけが切り抜かれているので不思議さが際立ちますが、原作ではそのようなことはないんですね。

よって、個人的には1番の「女の子はモンシロチョウだった」という読みの立場を取ります。

モンシロチョウであれれば、後部座席の人がいなくなったことに気を取られて、変身していても気づきにくいでしょう。

「よかったね」の声はモンシロチョウの母親

物語のラストで、「よかったね」「よかったよ」というリフレインがあります。

その上を、おどるようにとんでいるチョウをぼんやりと見ているうち、松井さんには、こんな声がきこえてきました。
「よかったね」
「よかったよ」
「よかったね」
「よかったよ」
それは、シャボン玉のはじけるような、小さな小さな声でした。

あまんきみこ『車のいろは空のいろ「白いぼうし」』ポプラ社

少女がモンシロチョウであるという読みに立つと、この声はモンシロチョウであると考えるのがベターです。

モンシロチョウが少女に変身していたことから、おそらくモンシロチョウはまだ子ども。

「よかったよ」と言っているのが少女でしょう。

では、「よかったね」と言っているのは誰でしょうか?

ここで、この物語のテーマが「親子の絆」「母親の愛」であることを思い出すと、「よかったね」と言っているのはモンシロチョウの母親であると考えられます。

  • 松井さん親子
  • 竹野くん親子
  • モンシロチョウ親子

つまりこのお話しには三組の親子が登場し、それぞれの物語が「白いぼうし」を媒介にして紡がれていると読めるのではないでしょうか。

『白いぼうし』が切ないのは、松井さんが孤独だから

『白いぼうし』を読んで、あなたはどのように感じたでしょうか?

僕はとても切ない読後感でした。

これはおそらく、親子の絆が物語のなかでリフレインしている仕掛けによるもので、母子の愛の形(繋がり)にノスタルジーを垣間見ているのだと思います。

また、『白いぼうし』はきれいに冒頭の一文とラストの一文が呼応しており、松井さんの孤独感を強調する仕掛けになっています。

▽冒頭の一文

「これは、レモンのにおいですか?」

あまんきみこ『車のいろは空のいろ「白いぼうし」』ポプラ社

▽ラストの一文

車のなかには、まだかすかに、夏みかんのにおいがのこっています。

あまんきみこ『車のいろは空のいろ「白いぼうし」』ポプラ社

どちらも夏みかんの匂いについて書かれていますが、ラストにはもう夏みかんが無いことがポイントです。

たけおくんの親子や、モンシロチョウの親子は一緒にいる様子が描かれますが、松野さんは一人であり、親子を繋ぐ夏みかんも今や「かすかに」匂いを残しているだけで、もう無くなってしまった。

ぼんやりとした松井さんだけが車内に残されて物語が終わるため、より切なさが残る表現になっているように思います。

『ちいちゃんのかげおくり』もそうですが、あまんきみこさんの作品は大人が読んでも味わい深いものが多いです。

特に『白いぼうし』の松井さんの郷愁は、大人が楽しめて子どもには分かりにくい部分ではないでしょうか。

『白いぼうし』ー感想

ラストシーンはなぜか死を連想してしまう

『白いぼうし』を初めて読み終わったとき、なぜか死のイメージが浮かびました。

ラストシーンのモンシロチョウが「二十も三十も、いえ、もっとたくさんとんで」いる場面は、どこかこの世とは思えない雰囲気があるからです。

それは、この物語の豊かな色彩描写によるものでしょう。

冒頭からレモン(黄色)が出てきて、夏みかん、赤信号、白いワイシャツ、青信号、白い帽子、緑のヤナギ、モンシロチョウ、赤い刺繍糸、並木の緑、と立て続けに色の描写があります。

そして、最後に来るのが白い蝶の群れです。

青々としたクローバーや黄色いタンポポもあり、とても明るい場面ですが、モンシロチョウの数が多いため白がひしめき、死を連想させるとともに、どこか非現実な感じがします。

また、「シャボン玉がはじけるような、小さな小さな声」という比喩も死を想わせます(「シャボン玉 (唱歌・野口雨情作)」の影響かもしれません)。

この物語から受ける不思議な印象は、あまんきみこ作品の特徴かもしれません。

以上、『白いぼうし』のあらすじ&解説でした。

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