歴史の筋道は、三つの重要な革命が決めた。約七万年前に歴史を始動させた認知革命、約一万二〇〇〇年前に歴史の流れを加速させた農業革命、そしてわずか五〇〇年前に始まった科学革命だ。
ユヴァル・ノア・ハラリ,訳柴田裕之,『サピエンス全史(上)』,河出書房新社,2016,p14
『サピエンス全史』とは?
『サピエンス全史』は、ユヴァル・ノア・ハラリの著した歴史書です。
歴史書といっても、1789年にフランス革命が起こっただとか1947年にパリ条約が結ばれたなどの教科書的なミクロな歴史書ではなく、サピエンスという種がどのように変遷してきたかをマクロな観点から問う歴史書だといえます。
歴史が苦手だという人も比較的読みやすい書物でしょう。
ここではそんな『サピエンス全史』の概略と特徴的な面白いポイントを紹介したいと思います。
・『サピエンス全史』の要点 ~これだけ分かっていれば大丈夫~
『サピエンス全史』の要点
- ホモ・サピエンスという種の誕生から現在、そして未来に至るまでの変遷を軸に歴史をみるマクロ歴史学の本
- 著者ユヴァル・ノア・ハラリのウィットに富んだ明快な文章が特徴的
『サピエンス全史』-概略
『サピエンス全史』は上下巻からなるマクロ歴史学の歴史書です。
本書で面白いのは、人類(ホモ・サピエンス)を一生物として客観的に捉え、その生態と発展を冷静なまなざしで分析する態度にあります。
例えるなら、地球外生命体が我々人間の歴史を分析すればこのような本が出来上がるだろうと思わせるような、徹底した客観的視点を一貫して保ち続けているのです。
とはいえ身構える必要はありません。
本文は、論文のような硬い文章も難しい専門用語も使われておらず、一般の読者でも読めるような分かりやすい文章で書かれています。
もっといえば、中学生くらいからでも読むことは可能でしょう。
そのうえ文体にはユーモアもあり、読んでいて楽しい本だといえます。どうやら訳者の柴田裕之さんはかなりやり手のようです。
では、内容について少しみていきましょう。
本書は以下の全四部(計二十章)で構成されます。
- 第一部 認知革命
- 第二部 農業革命
- 第三部 人類の統一
- 第四部 科学革命
ここでは、これらの部の概要をそれぞれおおまかに見ていきます。
・第一部 認知革命
類人猿が誕生し始めたのは今から250万年前ほど。
その頃の私たちの祖先(アウストラロピテクス)は、他の動物たちとほとんど変わらない取るに足らない生物でした。
しかし長い年月をかけて進化していった結果、10万年前には少なくとも六つのホモ属(人類種)が繁栄していたと考えられています。
ですが、今の地球にはたった一種しかホモ属は存在していません。ご存じの通り、我々ホモ・サピエンスです。
では、なぜ我々ホモ・サピエンスだけが生き残ったのか。その理由は「認知革命」にあると言います。
認知革命は、約七万年~三万年前の間に時間をかけて起こったと考えられています。
ホモ・サピエンスは言葉を使い、様々な情報を伝達し合える能力を獲得しました。
具体的には、「世界」や「社会的関係」や「存在しない物」について考え、それらの情報を伝達することができたのです。これが「認知革命」です。
ホモ・サピエンスが他の動物たちと一線を画したのは、こうした「想像力」によるものだったようです。
・第二部 農耕革命
今から約一万年前を境に、ホモ・サピエンスは、狩猟採集民から農耕民へと移行します。
農耕をして動植物を管理する方が、きっと多くの食料が手に入ると考えたのです。
しかし、その目論見は間違っていました。
平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。
ユヴァル・ノア・ハラリ,訳柴田裕之,『サピエンス全史(上)』,河出書房新社,2016,p107
そして、その犯人は国王でも商人でもなく、「小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの動植物だった」と筆者は言います。
観点を変えてみれば、一万年前にはただの野生の草だった小麦が、ホモ・サピエンスを利用して歴史上屈指の繁栄の成功を収めたのです。
このあたりの筆者の主張は実に面白いと言えます。
この第二部は『サピエンス全史』の中でも特におすすめできる箇所でしょう。
・第三部 人類の統一
このあたりになると時代はぐっと近くなります。
農業革命によってホモ・サピエンスの総数は著しく飛躍し、それに伴って人間社会は次第に大きく、また複雑になっていきました。
第三部では、筆者は人類が次第に統一されていくさまを指摘します。
そして人類を統一する要素を、
- 貨幣
- 帝国
- 宗教
の三つに分け、それぞれの成立から特徴までを細かく分析していきます。
我々は交換可能な貨幣を使い、グローバルな帝国で生き、資本主義という宗教を信じて暮らしている。
人類は統一に向かい、狩猟採集民だったころに比べて、我々の生活は非常に発展したように見えます。
しかし、本当にそうなのでしょうか?そんな問いかけが聞こえてくるのが、この第三部になります。
・第四部 科学革命
科学革命といえば、今まで挙げてきた革命の中で最もなじみのある革命でしょう。
今日の僕たちは科学の発展による恩恵をたっぷりと受けています。
しかし、筆者はその発展に伴って深刻な問題も浮上していることから目をそらしません。
消費社会の犠牲者となっている家畜たち。人類のせいで絶滅した、あるいは絶滅の危機に瀕している種。日ごとに汚染されていく地球環境。
私たちホモ・サピエンスの進化は何をもたらしたのか。そして私たちはこれからどこへ向かってゆくのか。第四部ではそうしたことを取り上げていきます。
今日の科学のめざましい進歩を見て、筆者は「別の生命」の誕生まで視野に入れています。
まさに、映画「ターミネーター」や「マトリックス」のようなそれです。
フランケンシュタイン博士が恐ろしい怪物を生み出し、自らを救うために私たちがその怪物を抹殺しなければならなかったという発想に、私たちはなぜかほっとする。私たちがそういう形でこの物語を語りたがるのは、私たちこそが最高の存在で、自分たちに優る存在はかつてなかったし、今後もけっして現れないだろうということを、それが意味しているからだ。
ユヴァル・ノア・ハラリ,訳柴田裕之,『サピエンス全史(下)』,河出書房新社,2016,p260
我々ホモ・サピエンスを一つの種としてみたときに、他の新たな種がホモ・サピエンスを滅ぼすということは、これまでの歴史を鑑みて分かるように十分にあり得ることでしょう。
本書でも度々取り上げられてきた「マンモス」や「オオナマケモノ」や「ディプロトドン」の絶滅は、外から(海を渡って)来た外来種によってもたらされました。
次は我々の番ではないと誰が言い切れるでしょうか。
そのような中で私たちはどう生きてゆけば良いのか。筆者は、「『私たちは何になりたいのか?』ではなく、『私たちは何を望みたいのか?』」を考えなければならないと言います。
そしてさらにこう続けて、本書は幕を閉じるのです。
「この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう」。
『サピエンス全史』-感想
冒頭にも引用しましたが、著者によれば人類は三つの大きな革命を経て、種を継続させてきました。
本書ではそれらの革命について、部を分けてじっくりと、時にユーモラスに説明してくれます。
各四部の中はさらに章立てされており、たとえば第一部の認知革命は一章から四章に分けられます。
数えてみましたが、各章はだいたい25ページくらい。それほど多くもないから、章ごとにパラパラと読み進めるのもいいでしょう。
僕は読むのが遅い方だから、昼食時や寝る前にパラパラめくって、おそらく8時間くらいかかりました。
でも、250万年分の人類の話をたった8時間で知ることができるなんて、なんだかお得で不思議な気分です。
はっきり言って、本書で書かれている史実自体に目新しいことはあまりありません。
人間が言語を獲得し、農耕を経て大きなコミュニティを形成していき、余剰を利用して学問を発達させていったという経緯自体は、本書を読まなくとも多くの人がなんとなく理解しているでしょう。
しかし、著者のユヴァル・ノア・ハラリは私たちに新しい視点を提供してくれます。それは、私たちを「ホモ・サピエンス」という一つの種としてみるという視点です。
その視点を通して、私たちはもう一度私たちの歴史をみる。すると、今まで見えてこなかったものが次々と現れてくるのです。
歴史のコペルニクス的転回といえるかもしれません(言いすぎかもしれない)。
本書を読めば、多くの人がこの新しい視点を獲得することができると思います。
そしてそれは、歴史についての新事実を知るよりも、私たちの世界をきっと豊かなものにしてくれるでしょう。
歴史というジャンルを超えて書かれる「人間」についての本
いかがでしたか?『サピエンス全史』はジャンルこそ「歴史」の本ですが、内容は「生物」の本に近いものだといえます。
たとえば、『スズメバチ全史』や『アフリカゾウ全史』などをユヴァル・ノア・ハラリ氏が著したとしても、おそらくは同じような語り口で同じような本が出来上がるでしょう。
また、人間の歴史を語る上では欠かせない「社会」や「経済」や「科学」の問題が、読みやすくユーモアのある「文章力」を用いて書かれています。
『サピエンス全史』を読むことは、ジャンルを超えた包括的な知識と出会うことを意味します。
歴史が苦手な人でも本書なら読めるという理由は、この本が「歴史」というジャンルの枠組みを超えているからでしょう。
以上、『サピエンス全史』の感想・レビューでした。