『大造じいさんとガン』とは?
『大造じいさんとガン』は、椋鳩十(むくはとじゅう)によって書かれた小説です。
人間(大造じいさん)とガン(残雪)の関係を通して、人間のあるべき美しさを描いています。
ここでは、そんな『大造じいさんとガン』のあらすじや時代背景、言葉の意味までを解説します。
『大造じいさんとガン』のあらすじ
大造じいさんがまだガンを狩っていたころ、ある沼地に毎年やってくる雁の群れがいました。
群れの頭領は残雪(ざんせつ)といい、とても頭の良いガンでした。
大造じいさんは毎年毎年、いろいろな仕掛けでガンを捕らえようとします。
しかし、いつも残雪が仕掛けを見破って仲間を守るので、残雪が来てからというもの、大造じいさんはガンを捕ることがほとんどできず、悔しい思いをしていました。
ある年、飼い慣らした一羽のガンを囮にして、ガンをおびき寄せる作戦を思いついた大造じいさん。
これなら捕まえられるとワクワクし、ガンが来るのを待ちました。
ようやく美しい朝の空にガンたちがやってきて、大造じいさんが作戦に移ろうとしたそのとき、ガンたちが一斉に飛び立ちます。
どうしたことかと思ってよく見ると、空からハヤブサが一直線に飛んで来ているではありませんか。
群れには一匹逃げ遅れていたガンがいます。大造じいさんのガンです。
すると、それを見た残雪がすぐに戻ってきて、逃げ遅れたガンのため勇敢にハヤブサと戦います。
大造じいさんはしめた!と思い、銃口を残雪に向けますが、そっと下ろしてしまいました。
鳥とはいえ、いかにも頭領らしいその威厳に感服した大造じいさんは、ハヤブサを追い払って、傷ついた残雪と対峙します。
残雪は命の最後を感じたのか、傷つきながらも堂々と首を据え、大造じいさんを睨みつけます。
大造じいさんはその様子に心を打たれ、残雪を殺さず、翌年になると自然に返したのでした。
「おーい、ガンの英雄よ。俺は卑怯なやり方でお前をやっつけたくはない。今度来るときは、また堂々と戦おうじゃないか」
大造じいさんは残雪が北へ飛び去っていくのを、いつまでも見守っていました。
『大造じいさんとガン』ー概要
物語の中心人物 | 大造じいさん(37歳) |
物語の 仕掛け人 |
残雪(ざんせつ) |
主な舞台 | 栗野岳のふもとにある沼地(鹿児島県姶良郡湧水町) |
時代背景 | 1905年ころ |
作者 | 椋鳩十(1905年〜1987年) |
『大造じいさんとガン』ー解説(考察)
残雪(ざんせつ)はどんな鳥か?
残雪は両羽に白い混じり毛があり、それが雪のように見えるので残雪と名付けられています。
ガンは漢字で雁と書きます。
カモ目カモ科の鳥で、鴨より大きく、白鳥よりも小さいです。
残雪は真ん中の「マガン」ではないかと考えられます。
ちなみにマガモとマガンは似ていますが、生態には違いがあります。
一番の違いは、雁が昼行性であるのに対し、鴨は夜行性だということ。
『大造じいさんとガン』では、ガンはいつも昼間に行動しているので、間違いなくガンであることが分かります。
雁(ガン)にはいくつかの種類がいて、日本に飛来する7割はマガンです。
マガンのほかにはヒシクイガン、コクガン、シジュウカラガンなどがいます。
ガンは11月頃、越冬のため北国から日本へやってきます。
そして3月頃になるとまた帰ってゆくのです。
現在は宮城県に越冬しにくるガンが多い(国内の8割)ですが、昔は鹿児島などの南側でも越冬するためにやってくるガンが見られたそうです。
北海道も、世界で有数のガンの飛来地として知られています。
かつては雁はよく食べられていましたが、現在は数が減ったため、狩猟は禁止されています。
『大造じいさんとガン』でも大造じいさんは食べるために雁を狩っていたのだと思います。
残雪は羽を広げると、白い羽が両翼に見られるため、その名前がつけられました。
こうしてみると、たしかに珍しそうな個体であることが分かります。
残雪という名前の伏線回収
怪我を負った残雪は、その冬を大造じいさんの檻の中で過ごしました。
そして「ある晴れた春の朝」に、大造じいさんが「おりのふたをいっぱいに開けて」残雪を放ちます。
それから次のように言うのです。
「おうい、ガンの英ゆうよ。おまえみたいなえらぶつをおれは、ひきょうなやリ方でやっつけたかあないぞ。
なあ、おい。今年の冬も、仲間を連れてぬま地にやって来いよ。
そうして、おれたちは、また堂々と戦おうじゃあないか。」椋鳩十『大造じいさんとガン』
北へ北へと飛んでいく残雪を、大造じいさんは「いつまでも、いつまでも、見守って」いました。
その頃にはまさに残雪(春になっても溶けないで残っている雪)があったことが連想され、名前の伏線回収にもなっています。
残雪は今年の冬もまた来るのか?
今年の冬にはやってこない考え方に一票
いくら残雪が立派な雁だとはいえ、渡り鳥には相当な体力が必要です。
日本にやってくるマガンはペクルニイ湖沼群(ロシア)まで帰ることが知られており、その距離は約4000kmです。
ハヤブサとの戦いで「むねの辺りをくれないにそめ」たほどの傷を負った残雪が、仲間を追って合流できたのかは分かりません。
幸いなことに合流できていたとしても、古傷のある残雪は仲間を引っ張って飛べるほどの存在ではなくなった可能性もあります。
また、この作品のなかで雁たちがやってくる描写は3回ありますが、帰っていく描写はラストシーンのみです。
実際には雁たちは毎年行き来していますが、物語の大きな構造的には、残雪たちがやってきて帰るまでの話になっているわけです。
こうしてみると、残雪はこの年を境に、栗野岳には来なくなってしまったのではないかと考えられます。
残雪が来なくなった方が物語としては美しいと感じるので、個人的には来なくなったという考えに一票を入れたいです。
ただし今年の冬もやって来る可能性は大いにある
しかし、この物語が「わたし」によって語られている点には注目しておくべきでしょう。
この話が大造じいさんによって語られており、残雪が帰った時点で物語が終わっているのであれば、それ以後は残雪が来なかった可能性は高いです。
ただ、「わたし」が大造じいさんの話をまとめあげたのであれば、構造的にきれいになるよう、残雪とのエピローグをカットしたかもしれません。そして多くの現実は物語のようにきれいな終わり方をしません。
「その後も何年か残雪は来てたけどのう、少しずつ来る回数が減ってきて、しばらく来んのうと思うて5年6年と経ったとき、もう来ることはないんじゃろうと悟ったわい。」
想像ですが、このような語りをカットしたこと可能性はありますし、そもそも「語り部から聞いた話」として物語に奥ゆきを持たせるために、「まえがき」が追加された可能性は高いです(『大造じいさんとガン』の初出には前書きがなく、本として出版される際に加筆されたものでした)。
また、椋鳩十の『片耳の大シカ』では、物語の中心となるシカに古傷(銃で撃たれて片耳損傷)がありますが、群れのボスとして生きています。
こうしたことから、椋鳩十の世界観では、残雪が傷を負ってもなお、ガンの頭領として群れを引っ張る存在であってもおかしくはありません。
物語の続きを勝手に考えるのが好きな僕の脳内議論に近いのであまりまとまっていませんが、あなたはどう考えるでしょうか?
『大造じいさんとガン』の構成
『大造じいさんとガン』は三章で構成されている作品です。
- ことしも、残雪はガンの群れをひきいて沼地にやってきました。
- その翌年も残雪は、大群をひきいてやってきました。
- ことしもまた、ぼつぼつ例の沼地にガンの来る季節になりました。
いずれも書き出しはガンの群れが来る描写で始まっており、大造じいさんとガンの三年間の対決が語られていることになります。
第一章でことし「も」となっていることから、大造じいさんは四年以上ガン狩りをしていることが分かります。
長い年月がある大造じいさんと残雪の関係ですが、それによって愛着が湧いていたり、親密度が上がっていたりというようなことは一切ありません。
3章の中盤以降で初めて、残雪が仲間のガンを助ける場面で大造じいさんの認識は変容し、関係性は変化します。
その変化を読者に強く印象付けるために、1章と2章と3章は同じ書き出しで、内容(大造じいさんが罠を仕掛けて、残雪がそれを見破る)もリピートされる構成になっていると考えらえます。
『大造じいさんとガン』の「まえがき」から分かる時代
『大造じいさんとガン』には1章の前に「まえがき」が加えられています。
この前書きで分かることは、大きく以下の3点です。
- 「わたし」が72歳の大造じいさんの家に行き、いまから35、6年前のガン狩りの話を聞いた。
- 大造じいさんの家は、鹿児島県の栗野岳のふもとにある
- 読者には山家のろばたを想像しながらこの物語を読んでほしい
『大造じいさんとガン』は1941年11月に発表されているので、そこから35,6年前だと1905年か1906年になります。
1905年は作者である椋鳩十が生まれた年であり、日本史的には日本海海戦(東郷平八郎がバルチック艦隊をやぶる)や、日露講和条約(ポーツマス条約)が結ばれた年です。
作者の生まれ年を想定したのか、あるいは日中戦争(1937〜1945)の最中にあり太平洋戦争開戦を目前に控えた日本国民に対して、戦争と関連づいている物語であることを示唆したのか。
いずれにせよ適当に考えられたものではないことは確かでしょう。
戦争は関与しているか?椋鳩十の発禁処分について
作者である椋鳩十は、動物の物語をたくさん残した児童文学作家、あるいは『母と子の20分間読書』を推奨した鹿児島県立図書館長として有名な人物です。
彼は1933年に山窩(日本の山間部にかつて存在した放浪の民)を題材にした短編小説集『鷲の唄』を出版するも、発売後一週間で「性描写と無頼放浪の徒を扱っている」という理由で発禁処分になった過去を持ちます。
戦時中だった当時の日本軍部は、思想統一のために言論統制をしており、椋鳩十もその余波を被ったわけです。
このときのことを、椋鳩十は対談で次のように述べています。
どうやったら言語統制にひっかからないかということ。もう一つは、国民がみんな戦争の方を向いているときに、一人がぺちゃぺちゃ言っても壁にぶつかっちゃう。どうやったら壁を壊して入りこめるか。この二つを考えた。そのときに、小さいときに出会ったタカやら林の中にいる小鳥やらが・・・
こういうものの生態を書いていれば、むやみに発禁やら消すわけにはいかない。あのころいちばん美しいのは命を捨てることでしょう。それに対して、わたしは、命を大事にすることがどんなに美しいかということを動物を通して描いた。あのころ、わたしは一匹の動物も殺してはいないよ。生きることの喜びと生きることの美しさ・・・。椋鳩十『椋鳩十の本 第二十七巻「鳥に何をみるか」』
つまり、『大造じいさんとガン』は戦争を意識して書かれた文学作品であり、軍部の目をかいくぐるために動物という比喩を用いたということです。
だとすれば、1905年という時代は日露戦争を意識して設定されたと考えられるでしょう。
ちなみに椋鳩十が住んでいた鹿児島は、東郷平八郎(ロシアのバルチック艦隊を迎撃した海軍将校)の生まれ故郷でもあります。
こうしたことを踏まえると、仲間のために危険を顧みず戦う残雪のリーダーシップや、敵も味方も超えたところにある動物本来が持つ美しさなどは、戦争で戦う人々の様子も投影されているように感じます。
椋鳩十と囲炉裏
『大造じいさんとガン』の前書きには、「山家のろばたを想像しながら、この物語をお読みください」とあります。
これはどういう意味なのでしょうか?
「ろばた」とは囲炉裏の間のことです。囲炉裏は上の写真にある通り、火をおこして暖を取ったり、湯を沸かしたり、簡単な焼き物や煮物を作ることができます。
椋鳩十の言葉では、囲炉裏について下記のように語られています。
古い時代には、どこの家庭にも囲炉裏がきってあった。そのまた囲炉裏には、四季を通じて、朝から晩まで、とろりんこ、とろりんこ、あめ色の火が燃えていた。だから囲炉裏ばたには、誰かが、いつも座っていなければならなかった。(中略)私の家では、いつも祖母が、囲炉裏のかたわらに座っていた。
椋鳩十『春の太陽ー私の出会った女性』
さらに椋鳩十は自伝『にせものの英雄』で、囲炉裏の間についての思い出を次のように述べています。
ばばさまのいる囲炉裏の間は、ほんとに、昔ばなしの世界のような部屋であった。
うす暗い囲炉裏の間の障子という障子は、煙のために、茶色にすすけていた。
そのすすけた障子には、囲炉裏の金色の火が、いろいろの物の影を墨絵のようにうつしていた。
(中略)
この部屋は、影法師たちが、いっぱい住んでいる不思議な部屋であった。
こういう囲炉裏の間で聞く、ばばさまの昔ばなしは、生き生きと、心にせまってくるのであった。椋鳩十『にせものの英雄』
これらのことから、椋鳩十にとっての「ろばた」は、昔ばなしが語られるノスタルジックな空間であることが分かります。
「山家のろばたを想像しながら、この物語をお読みください」というのは、「昔ながらの楽しくも不思議な雰囲気で、このお話を楽しんでください」という作者の気持ちを読み取ることができます。
『大造じいさんとガン』の色彩描写
『大造じいさんと』は鮮やかな色彩描写が特徴的な作品です。
ザッとですが、下記のような描写が挙げられます。
- (残雪の)真っ白な交じり毛
- ガンのすがたが、かなたの空に黒く点々と見えだしました
- 青くすんだ空を見上げながら
- 東の空か真っ赤に燃えて、朝が来ました
- 白い雲の辺りから、何か一直線に落ちてきました
- ぱっと、白い羽毛があかつきの空に光って散リました
- 羽が、白い花弁のように、すんだ空に飛び散リました
- 残雪は、むねの辺りをくれないにそめて、ぐったりとたおれていました
白が最も多く使われ、次に赤、次いで黒と青が使われています。
はっきりとした分かりやすい色が使われており、物語をすっきりと仕上げています。
『大造じいさんとガン』に出てくる言葉の意味
ウナギつりばり
ウナギつりばりは、うなぎを釣るための太く丈夫な針です。
一般的な釣り針よりも面長で細長いことが特徴です。
たたみ糸
たたみ糸は、畳の表や縁などを縫うときに用いる糸です。
青麻でできており、太く丈夫なことが特徴的です。