『スイミー』とは?
『スイミー』は絵本作家レオ=レオニによる絵本です。
主人公のスイミーの喪失、立ち直り、再獲得までが簡潔に描かれる本作は、日本では谷川俊太郎によって訳され、教科書にも採用されています。
ここでは、そんな『スイミー』のあらすじ&解説をまとめました。
『スイミー』のあらすじ
赤い魚の群れに、一匹だけ泳ぐのが早い、黒い魚がいました。
彼の名前はスイミーです。
ある悪い日、群れがマグロに襲われます。生き残ったのはスイミーだけでした。
スイミーは怖くて暗い海を、寂しくひとりで泳ぎます。
けれど、そこには美しいクラゲや奇妙な魚、驚くほど長いウナギなどがいて、新しい発見をするたびにスイミーは元気を取り戻していきます。
そして、岩陰にスイミーとそっくりの魚たちを見つけます。
スイミーは海の素敵さを教え、怖がっていた魚たちと団結し、大きな魚のふりをして泳ぐことを思い付きます。
そして彼らは、大きな魚を追い払ったのでした。
『スイミー』ー概要
物語の中心人物 | スイミー |
物語の 仕掛け人 |
海の生き物たち |
主な舞台 | 海中 |
作者 | レオ=レオニ |
『スイミー』ー解説(考察)
『スイミー』で作者が伝えたかったこととは?
『スイミー』で作者が伝えたかったことは、いくつかあります。
- 仲間と協力することの大切さ
- リーダーシップを持つことの素晴らしさ
- 人生の美しさに気づき立ち直ることの大切さ
- 自分の役割や問題について考えることの大切さ
例えば小さな魚が集まって大きな魚のフリをすることで、他の魚を退けることができたことから、1番の「協力することの大切」さが読み取れます。
また、一人だけ生き延びたスイミーが、みんなの「目」になって集団を引っ張ることから、2番の「リーダーシップの素晴らしさ」を読み取ることもできるでしょう。
この2つは比較的簡単に理解することができます。
3番の「人生の美しさに気付き立ち直ることの大切さ」については、作者であるレオ=レオニがインタビューで次のように述べています。
兄さんや姉さんはマグロにのみこまれてしまうけれど、スイミーはその惨事の中でも生きのこります。苦しんだが故に、スイミーはじょじょに人生の美しさに気がつくようになります。このところは私にとっては、とても重要なことなのです。スイミーははじめは淋しがっていますが、やがて人生を詩的なものとしてながめるようになっていったことから、生命力と熱意をとりもどし、ついには岩かげにかくれていた小さな魚の群れを見つけだします。
レオ=レオニ『子どもの館 第三十七号』福音館書店,p45
このことから、スイミーが美しいもの(虹色のクラゲやドロップのような岩など)を見て立ち直っていく姿も、作者の伝えたかったことだと考えられます。
4番の「考えることの大切さ」は、上記の3番と少し関わりがあります。
この点は『スイミー』ならではの表現方法があり、1と2に比べて理解するのが少し難しくなっているので、詳しく解説することで作品の理解を深めていきます。
『スイミー』から読み取る「考えることの大切さ」とは何か?
この絵本は、スイミーが仲間を失い、旅をする中で生きる気力を取り戻し、同じ悲しみを二度と味わうまいとする物語です。
そのために彼は、うんとうんと考えます。
"But you can't just lie there," said Swimmy. "We must THINK of something."
Swimmy thought and thought and thought.「でも、そこで何もしないでいるわけにはいかないよ」スイミーは言った。「何か考えなくちゃ」
スイミーは考えて、考えて、考えた。Leo,Lionni.1963.Swimmy.NewYork:alfred a knopf
原文では、「We must THINK of something(直訳:僕たちは何か考えなければいけない)」の部分が大文字になっていることが分かります。
また次の文では、「Swimmy thought and thought and thought.」とあるように、「考える」ことがリフレインで強調されています。
ちなみに谷川俊太郎訳では、下記のようになっています。
「だけど、いつまでもそこにじっとしてるわけにはいかないよ。なんとかかんがえなくちゃ。
スイミーはかんがえた。いろいろかんがえた。うんとかんがえた。レオレオニ,谷川俊太郎訳『スイミー』1969.好学社
そして考えた結果が、みんなで大きな魚のフリをするということ。
この「考え」によって、赤い魚たちは大きな魚を追い払い、食べられることはありませんでした。
日本語タイトルの副題が「ちいさな かしこい さかなの はなし」となっているのも、作者が伝えたかったであろう「考える」ことの大切さを強調するためでしょう。
では、スイミーはなぜ「大きな魚のふり」をしようと考えることができたのでしょうか?
この点は、作中の表現方法でしっかりと伏線が張られています。
スイミーはなぜ「大きな魚のふり」を思いつけたのか?
スイミーが「大きな魚のふり」を思いつけたのは、旅の中で「〇〇のような〇〇」をたくさん見たからです。
『スイミー』は、比喩が特徴的な作品であり、作中には全部で9つの比喩が登場します。
下記は比喩表現になっている箇所の一覧です。
- ミサイルみたいにつっこんできた(came darting through the wave.)
- にじいろのゼリーのようなクラゲ(He saw a medusa made of rainbow jelly.)
- すいちゅうブルドーザーみたいないせえび••••••(a lobster, who walked about like a water-moving machine...)
- みたこともないさかなたち,みえないいとでひっぱられてる••••••(strange fish, pulled by an invisible thread.)
- ドロップみたいないわからはえてる,こんぶやわかめのはやし••••••(a forest of seaweeds growing from sugar-candy rocks...)
- うなぎ,かおをみるころには,しっぽをわすれてるほどながい••••••(an eel whose tail was almost too far away to remember.)
- そして,かぜにゆれるももいろのやしのきみたいないそぎんちゃく。(and sea anemones,who looked like pink palm trees swaying in the wind.)
- みんなでいっしょにおよぐんだ。うみでいちばんおおきなさかなのふりして!("We are going to swim all together like the biggest fish in the sea!"
- みんなが一ぴきのおおきなさかなみたいにおよげるようになったとき(and when they had learned to swim like one giant fish)
- ぼくが目になろう(I'll be the eye.)
(1,2,3,5,7,8,9は直喩で、4,10は隠喩、6は誇張法)
「ミサイルみたいに」やってきたマグロから始まり、クラゲやロブスター、イソギンチャクなどの生き物が、スイミーの目には違ったもののように映っていることが分かります。
ロビスターだ。と思うのではなく、ブルドーザーみたいなロブスターだと思う。岩だ。と思うのではなく、ドロップみたいな岩だと思う。
スイミーは旅の中で、「ものの見方」を変えることを学んだのです。
このことは、終盤のアイデアに大きく影響します。
終盤、スイミーはうんと考えると(Swimmy thought and thought and thought.)、自分たちが「大きな魚のふり」をしたらいいんだ!と思い付きます。
旅の中で見てきた虹色ゼリーみたいなクラゲのように、ヤシの木みたいなイソギンチャクのように、僕たちは大きな魚みたいな群れのようになればいいんだと。
スイミーは頭が良くてアイデアを思いついたわけではありません。
旅の中で見てきたことを活かし、考えることによって思いついたのです。
〇〇みたいだなぁ、〇〇みたいだなぁと思いながら旅をし、最後には〇〇みたいになればいいんだ!と思いつく。
そしてスイミーの名ゼリフ「ぼくが,めになろう(I'll be the eye.)」で、目になる(黒いから大きな魚の目のようになる)と目になる(群れを率いて目の役目を果たす)のダブルミーニング、つまりこれまでの比喩表現とスイミーの思いがひとつに収斂し、クライマックスを迎えます。
こうした比喩表現の構成による面白さは『スイミー』の特徴的な部分でもあり、本作がただの教訓的な作品にはとどまらない理由の説明にもなっている気がします。
「ぼくが目になろう」スイミーのノブレス・オブリージュ
先ほどの「ぼくが目になろう」という『スイミー』の有名なフレーズ。原文だと「I'll be the eye.」です。
これはよく、スイミーの色が黒いから、目になるのに適していたのだと考えられます。
ただそれ以上に、この言葉にはスイミーの覚悟が表れているのではないでしょうか。
赤い魚の群れの中で、一匹だけ黒い色のスイミー。
彼は群れの中で最も泳ぐのが早く、それゆえ一匹だけ生き残ってしまいました。
そのときの悲しさや悔しさを二度と味わうことがないように、次に仲間を見つけたときにはみんなを鼓舞します。
群れの中での自分の特異性を自覚し、それを活かすために行動する。
そして、自らが率いることが全体にとって最大の利益だと判断する。
実際、作者のレオ=レオニは次のように述べています。
仲間の魚にかわってものを見る、それがスイミーの役割なのです。他の魚よりもからだが大きいわけではないし、目になったからといって、特に偉くなったわけでもない。ここには階級はないのです。ただそれが芸術家としての彼の社会における役割なのです。
レオ=レオニ『子どもの館 第三十七号』福音館書店,p46
たとえば、スイミーが赤い色の魚で、偶然生き残ってしまったのだとしたら。
そして赤いスイミーが、同じようにアイデアで仲間を団結させて大きな魚を追い払ったのなら、リーダーシップの面が強調されるでしょう。
しかし『スイミー』のスイミーは黒く、早く、明らかに多数とは違います。
そのことを自覚し、自分の役割を見出すスイミーは、リーダーというよりも自分の役目に自覚的だったただの一市民でした。
作者のレオ=レオニは、鋭い社会風刺の視点も持つ作家です。
彼の処女作である『あおくんときいろちゃん』や、働かないねずみを描いた『フレデリック』も同じくらい面白いので、『スイミー』が好きな方なら深読みできると思います。
以上、『スイミー』のあらすじ&解説でした!