『悟浄出世』とは?
中島敦の『悟浄出世』は、中国古典『西遊記』の登場人物である沙悟浄(さごじょう)を主人公にした作品です。
沙悟浄が「自分とは何か?」という答えを探し、三蔵法師一行に出会うまでの物語がつづられます。
この作品で沙悟浄は、『西遊記』よりも懐疑的・虚無的な性格としてに描かれており、中島敦のオリジナリティがみられます。
ここでは、そんな『悟浄出世』のあらすじ・解説・感想をまとめました。
-あらすじ-
舞台は中国の妖怪世界。主人公の悟浄は、「自分とは何か?」といった疑問をもつ変わった妖怪です。
その答えを探すべく、悟浄は様々な妖怪の賢人に会いに行き、教えを請います。
五年間、悟浄は賢人から賢人へと渡り歩きましたが、ついに納得する教えはありませんでした。
「みんな何も知らないんだ。そして、みんな知らないということをみんなは分かっている。なのにそれを知りたいと騒ぐ俺はバカだ。」
そうした結論を出すと、悟浄は疲労に倒れます。
そのとき、夢か現か、観音菩薩とその弟子が彼の前に現れて啓示を与えます。
「ふさわしい場所に身を置き、ふさわしい働きに打ち込みなさい。身の程を知らない『何故』は今後一切捨てるのです。
今年の秋、この流沙河を東から西へと横切る三人の僧があります。彼らに付いて行くことがなんじの定めであり、つとめでしょう。」
気が付くと、彼らは忽然といなくなっていました。そして悟浄は、この言葉を信じてみる気になります。
その年の秋、悟浄は三人の僧――すなわち三蔵法師・孫悟空・猪八戒に出会い、旅路の一行となったのです。
・『悟浄出世』の概要
主人公 | 悟浄 |
物語の 仕掛け人 |
妖怪の賢人たち |
主な舞台 | 中国・流沙河(本来は砂漠を指すが、ここでは大きな川の意) |
作者 | 中島敦 |
-解説(考察)-
・登場する妖怪の賢人たちが面白い!
『悟浄出世』は、主人公・悟浄が自我に悩んでその答えを探し、三蔵法師一行に出会うまでの話です。
その間に、彼は様々な妖怪の賢人たちに出会います。
名前を持つ妖怪は、全員で4人登場します。
ここでは、作品のアウトラインを理解する手助けとして、その賢人たちを順番に紹介します。
それではみていきましょう。
・砂虹隠士(さこういんし)
「世はなべて空しい。この世に何か一つでも善きことがあるか。」
砂虹隠士はおそろしく背の曲がったエビの妖怪です。
虚無主義で悟浄の考えと近しいところがありますが、下痢になって死にます。
・虯髯鮎子(きゅうぜんねんし)
「遠き慮のみすれば、必ず近き憂あり。達人は大観せぬものじゃ。」
虯髯鮎子は長いひげを持つナマズの妖怪です。
難しいことは考えず、今目の前にあることに取り組めということを教えます。
悟浄は食べられかけますが、なんとか逃げ切ります。
・無腸公子(むちょうこうし)
慈悲忍辱を説く聖者が、今、衆人環視の中で自分の子を捕えて食った。そして、食い終わってから、その事実をも忘れたるがごとくに、ふたたび慈悲の説を述べはじめた。
無腸公子は隣人愛を説く蟹の妖怪です。
講演中に子どもをむしゃむしゃ食べますが、何事も無かったかのように話を再開します。
隣人愛とはかけ離れた、本能的で没我的な自我を見たことで、かえって悟浄は興味を引かれます。
・斑衣(※魚+厥)婆(はんいけつば)
「ああ、あの痺れるような歓喜! 常に新しいあの陶酔!」
斑衣けつばは500歳を超える女の妖怪ですが、肌のしなやかさは処女と少しも異なるところなく、その艶やかさはどんな男でも虜になります。
後宮には美しい男を数十も抱え、肉の楽しみを味わって生きている快楽主義者です。
悟浄は醜い容姿だったのでこの妖怪に抱えられることはありませんでしたが、彼女の宮では毎年百人の男が疲れで死んでいくため、醜くてよかったと悟浄は思います。
以上、『悟浄出世』に登場する妖怪をみてきました。とてもユニークなキャラクター設定だと思います。
ここで紹介した妖怪以外にも、
- 黒卵道人
- 子輿
- 蒲衣子
など、人間世界の賢人も登場します。
それぞれのキャラクターが面白いので、彼らの存在は作品を味わうポイントになるでしょう。
また、この妖怪たちは、細田守監督の映画『バケモノの子』にでてくる賢者たちのモデルにもなっています。
『バケモノの子』を観た方は、関連する登場人物を考えながら読んでみるのも楽しいかもしれません。
・悟浄の『自分とは何か?』という問いは解決されたか?
『悟浄出世』で物語の軸となるのが、悟浄の悩みです。
悩める悟浄をみて、老いたる魚怪はこう言います。
この病には、薬もなければ、医者もない。自分で治すよりほかはないのじゃ。
彼はその病を治そうと、賢人に答えを聞いて回ります。
しかし、ついのその答えは得られません。
それどころか、観音菩薩が出てきたときには「そんな身の程知らずなことをするな」と言い、悟浄を叱ります。
さらに観音菩薩は悟浄に疑わないことを奨め、その手本として孫悟空を紹介します。
玄奘の弟子の一人に悟空なるものがある。無知無識にして、ただ、信じて疑わざるものじゃ。爾は特にこの者について学ぶところが多かろうぞ。
そうしてこの物語は、最後に悟浄が三蔵法師一行に出会って、ともに旅をする場面で終わります。
つまり、彼の悩みは解決されないまま、物語は幕を閉じるのです。
解決したい悩みの答えを探した結果が「悩むな」というのは、すり替えであって解決ではありませんね。
ともあれ、悟浄は孫悟空をみて解決の糸口をつかもうと決めます。
そんな『悟浄出世』のあとの物語は、中島敦のもうひとつの西遊記『悟浄歎異』で語られていきます。
『悟浄歎異』は悟浄の手記という形式で、悟空をメインに三蔵法師一行の考察がつづられる物語です。
こちらも解説・感想をまとめているので、気になった方はぜひ参考にしてみて下さい。
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-感想-
・西遊記を読んだことがない。
実は僕は『西遊記』を読んだことがありません。
子どもの頃に見たドラマの『西遊記』(たしかウッチャンナンチャンの内村さんが沙悟浄)でなんとなく全体像をつかんでいるくらいです。
なので『悟浄出世』がどれくらい本家『西遊記』のオマージュなのか、あまり分からないまま読みました。
ですが、それでも十分に面白い内容で、中国物らしい空気感が存分に滲んでいる作品です。
大きな物語の補遺という雰囲気も出ていて、やはり本家の『西遊記』も読んでみたくなります。
『悟浄出世』は登場人物がユニークなので、それだけでも十分に楽しめる物語です。
現に『バケモノの子』のモデルとなっているくらいですから、そのキャラクター性は第一級の映画監督に認められてるわけです。
青空文庫でも読むことが出来ますが、馴染みのない仏教用語がたくさん出てきますので、注釈が付いている全集で読むのがおすすめです。
短編ですので気軽に手に取って、ぜひ中島敦のフィクションに触れてみて下さい。
以上、『悟浄出世』のあらすじと考察と感想でした。
この記事で紹介した作品(ちくま文庫『中島敦全集〈2〉 』に収録)