『牛人』とは?
『牛人』は中島敦の短編小説で、中国物のひとつ。
主人公・叔孫豹(しゅくそんひょう)という大夫と、牛のような顔をした豎牛(じゅぎゅう)という落とし子の物語です。
『牛人』は『盈虚(えいきょ)』という作品とともに、「古俗」としてまとめられています。
ー中島敦の「古俗」ー
- 『盈虚』
- 『牛人』
どちらも中国古典をもとにした作品で、似た主題が貫かれています。
ここではそんな『牛人』のあらすじ・解説・感想をみていきます。
-あらすじ-
主人公の叔孫豹は、ある夜、夢を見ました。
仰向けに寝ていると、突然、天井が迫ってくる。身動きが取れず、息も苦しい。
見ると部屋の隅に黒い牛のような男がいて、彼に助けを求めます。
牛はその天井を押さえ、それから叔孫豹の胸を撫でました。
彼は楽になり、「ああ良かった」と思ったところで、眼が覚めます。
そんな彼が故郷に戻ると、昔に一夜をともにした女が、子を連れて訪ねてきます。
その子の姿を叔孫豹が見ると、なんと、まさに夢に出てきた黒い牛そのままでした。
叔孫豹は彼を豎牛(じゅぎゅう)と名付けて召し使います。
豎牛は利口で役に立ったので、叔孫豹は身の回り全てのことを豎牛に任せて生活しました。
しかし豎牛は母の身分が低いので、後継ぎには実の子である孟丙と仲壬のどちらかを立てようと、叔孫豹は考えていました。
それを知った豎牛は策略を企てて、まず兄の孟丙を殺し、それから弟の仲壬を他国へ追いやりました。
そうして最後には、父・叔孫豹にも食事を通さず、餓えさせます。
叔孫豹は意識が遠のくなか、前と同じ天井が迫ってくる夢を見ます。
夢の中にはまた部屋の隅に黒い牛がいましたが、今度は助けてくれません。
その夢をみた三日後に、叔孫豹は飢えて死にます。
・『牛人』の概要
主人公 | 叔孫豹(しゅくそんひょう) |
物語の 仕掛け人 |
豎牛(じゅぎゅう) |
主な舞台 | 魯の国(現・中国山東省) |
時代背景 | 春秋時代(前7~6世紀頃) |
作者 | 中島敦 |
-解説(考察)-
・『牛人』と『春秋左氏伝』の違いから見る中島敦のオリジナリティ
中島敦の『牛人』は、中国古典の『春秋左氏伝』をもとに作られた作品です。
芥川が『鼻』や『杜子春』でそうしたように、中島敦も元の話を組み直し、新たな主題を浮かび上がらせています。
『牛人』と『春秋左氏伝』でもっとも大きく異なるのは、以下の点でしょう。
- 『牛人』―――――豎牛が叔孫豹を殺して終わる。
- 『春秋左氏伝』――豎牛は叔孫豹を殺すが、息子たちの仇討ちにあう。
こうしてみると、『春秋左氏伝』は勧善懲悪の物語になっていますが、『牛人』はそうではありません。
『牛人』は殺された父親からの視点で、「天運」の恐ろしさに焦点が当てられているのです。
叔孫は骨の髄まで凍る思いがした。己を殺そうとする一人の男に対する恐怖ではない。むしろ、世界のきびしい悪意といったようなものへの、遜った懼れに近い。もはや先刻までの怒は運命的な畏怖感に圧倒されてしまった。
ここに中島敦のオリジナリティがみえます。
ちなみに「天運の恐ろしさ」というテーマは、同じ「古俗」の『盈虚』にもみられます。
『盈虚』も面白い作品ですので、読んでいない方はぜひ確認してみて下さい。
・豎牛はなぜ父殺しを犯したか
ここでは、豎牛が父を殺した理由について見ていきます。
まず、豎牛は人に合わせて顔を使い分けることができます。
彼は目上の者には愛嬌を見せ、仲間か目下の者には残忍な表情を見せるのです。
豎牛の表情について、少し長いですが引用します。
眼の凹んだ・口の突出た・黒い顔は、ごく偶に笑うとひどく滑稽な愛嬌に富んだものに見える。こんな剽軽な顔付の男に悪企など出来そうもないという印象を与える。目上の者に見せるのはこの顔だ。仏頂面をして考え込む時の顔は、ちょっと人間離れのした怪奇な残忍さを呈する。儕輩の誰彼が恐れるのはこの顔だ。意識しないでも自然にこの二つの顔の使い分けが出来るらしい。
物語の前半は、豎牛が好人物のように見えていたのも、この愛嬌の部分が強調されていたからでしょう。
しかし、後半になるとその様子は一変します。
そして最後には、父に向かって残虐な表情を見せるようにさえなります。
黒い牛のような顔が、今度こそ明瞭な侮蔑を浮かべて、冷然と見下す。儕輩や部下にしか見せなかったあの残忍な顔である。
物語を読むと、こうした豎牛の変化の理由に、家の後継ぎ問題が絡んでいることが分かります。
彼の母親は身分が低いので、正式な跡継ぎにはなれません。
豎牛はそうした血の”しきたり”に、恨みを持っているのでしょう。
同じく『盈虚』も、後継ぎの問題で親子の関係がこじれる物語です。
そしてどちらの作品も、親である主人公がその子によって殺されるのです(直接的と間接的の差はあれど)。
つまり『盈虚』と『牛人』からなる「古俗」は、
を描いた作品群であるといえます。
このようにみると、豎牛が父親を殺した理由は後継ぎの問題が絡んでいることが分かります。
現代を生きる僕たちにでも、多少の後継ぎ問題はあります。
地位がものを言う昔の中国で、後継ぎ問題が今よりもより重要視されていたことは想像に難くありません。
『牛人』はそんな中で生まれてくる人間の感情を、豎牛という人物を通して巧みに描き、父親に「天運」という形でぶつけています。
-感想-
・豎牛の恐ろしさが際立つ物語
はっきり言って、豎牛は怖いです。
恐ろしく色の黒い傴僂で、眼が深く凹み、獣のように突出た口をしている。全体が、真黒な牛に良く似た感じである。
牛に似た彼の不気味な容貌は、悪意の権化のような感じさえします。彼は孟丙を殺し、仲壬を出奔させ、叔孫豹を餓死させるのです。まるで壊すことを楽しむ子どものように。
この作品は「黒」という色彩をとても上手に用いていて、それも物語に一層のおそろしさを加えているように感じます。
もしかすると豎牛の持つ感情というのは、現代の多くの人たちが忘れてしまった感情なのかもしれません(異母兄弟などが絡んだ家の後継ぎを巡る争いという意味において)。だから僕は、豎牛のした行為に、その動機に、ほとんど共感ができません。
けれども想像することはできます。そうした意味で、失われつつある人間の悪意と、その悪意が襲う運命をありのままに描いた作品として、とても面白い読み物だと思います。
以上、『牛人』のあらすじと考察と感想でした。
この記事で紹介した作品(ちくま文庫『中島敦全集〈2〉』に収録)