『名人伝』とは?
『名人伝』は、主人公・紀昌が弓の名人になるために様々な鍛錬をしていく物語です。
中島敦の遺作のひとつであり、生涯で最後に書いた作品ではないかとも言われます。
ここではそんな『名人伝』のあらすじ・解説・感想をまとめています。
『名人伝』-あらすじ-
その昔、中国は邯鄲の都に、紀昌という男がいました。
彼は弓の名人になるべく、飛衛という弓の名手の元へ赴きます。
彼は、瞬きをしない修行と、物を大きく視る修行を経て、五年の後、飛衛と同じ実力にまで至りました。
もう学ばせることがないと考えた飛衛は、甘蠅(かんよう)老子という達人を紹介します。
紀昌はすぐさま甘蠅を訪ねて教えを請いますが、老子は弓を使わないことが弓道の究極であると説きます。
それから山へ籠もって九年、紀昌は都へ帰ると、名人として期待を寄せて迎えられます。
しかし紀昌は、弓を取らないことが名人であると言い、決して射ろうとしません。
それから40年の後、彼は静かに息を引き取ります。その間に射のことを口に出すことはなく、もちろん弓を引くこともありませんでした。
けれども彼が弓に触れなければ触れないほど、彼の無敵は都の人々に誇られていたのです。
・『名人伝』の概要
主人公 | 紀昌(きしょう) |
物語の 仕掛け人 |
飛衛(ひえい)・甘蠅(かんよう) |
主な舞台 | 邯鄲(都)→霍山(山)→邯鄲(都) |
時代背景 | 戦国時代(中国) |
作者 | 中島敦 |
-解説(考察)-
・二人の「師」の対比 ~飛衛と甘蠅老子について~
『名人伝』には二人の師が登場します。
一人目は飛衛という弓の達人で、弓の世界で彼の右に出るものはありません。
二人目は甘蠅という老子で、弓を使わずして矢を放つことができます。
主人公の紀昌は、この両人に弓の奥義を学び、そしてそれぞれの道で奥義を会得します。
さて、この飛衛と甘蠅は、物語中で対比する人物として描かれています。
二人の対比項目は以下にまとめました。
飛衛 | 甘蠅 | |
年齢 | 中年 | 老年 |
存在 | 陽 | 陰 |
修行 | 実体的 | 仙術的 |
思想 | 儒教的 | 道教的 |
場所 | 平地 | 山 |
このような陰と陽の人物の対比は中国文学でよく見られる形ですが、それは『名人伝』にも表れているといえます。
『名人伝』は寓話であるため、こうした対比を読み取ることは読解の手がかりになるでしょう。
こうした対比構造を前提に、次はこの寓話が何を表しているかということを考えていきます。
・『名人伝』という寓話は何を表しているのか?
紀昌はまず最初に、弓の名手である飛衛の元を訪ねます。
飛衛は紀昌に具体的な修行法を教えます。
- 瞬きをしないこと
- 対象物をよく視ること
紀昌は愚直にその修行を行い、二年で瞬きをしなくなり、三年でシラミの心臓の位置も見えるようになります。
こうした修行を経て、遂に彼は弓の名手飛衛と同じ実力になります。
ここで紀昌は、ひとまず実力的に弓の名人になったといえます。
次に彼は、老師甘蠅の元を訪れます。
その修行内容は明かされませんが、9年の後に、甘蠅から名人たる奥義を会得して都に戻ってきます。
紀昌は集まった都の人々にこう言います。
「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」
(筆者註:行動の究極は、行動せずして行動したのと同じ結果を得ること。言語表現の究極は言葉を発しないこと。それらと同じように、弓の究極は弓を射ないことである。)
こうした道教的な思考法を彼は習得しており、甘蠅のもとで精神的に弓の名人になったといえます。
このように、
- 飛衛には実力の面
- 甘蠅には精神の面
で、弓の名人へと導いてもらっていることが分かります。
しかし、普通は別々の道でそれぞれ奥義を究めることなどできません。
ではなぜ紀昌は違った師のもとでそれぞれの奥義を究めることができたのか?
それは、彼の愚直な努力と、言われたことを素直に行う心があったからではないでしょうか。
このように見ると、『名人伝』という寓話は、
- 素直に教えを受け入れるものが名人になれる
ということを表していると考えられます。
その証拠に『名人伝』の紀昌は、『山月記』の李徴や『弟子』の子路のように個性的なキャラクターではありません。
彼らはあれこれ考え、悩んでしまうがために、その道を究めることはできないのです。
紀昌はいわば、言われたとおりの色に染まる無色透明な人物です。
彼は何も考えることなく、師の教えをあくまで実践するので、その道を極めて名人になることが出来たのではないでしょうか。
ちなみに、中島敦の『弟子』も師弟関係を描いた作品です。
ここでは『弟子』の作品解説もしているので、知りたい人は記事を読んでみて下さい。
-
中島敦『弟子』あらすじから解説まで!むずかしい登場人物を簡単に紹介!
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-感想-
・『名人伝』のユーモア
『名人伝』は、中島敦作品の中でもっとも笑える物語かもしれません。
二年間も妻の機織り機の下で、瞬きをしない修行をしている紀昌を想像して笑い、三年間もシラミを見続けている紀昌を想像して笑います。
それは同時に、その愚直な努力をすることができない自分に向けての冷笑でもあります。
また、都の人々の様子も可笑しいです。
「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」と言った紀昌の言葉をすぐに認める物わかりの良さも可笑しいし
晩年の紀昌が「弓」を忘れたという話を聞いた画家や音楽家が、自分の筆や楽器を隠した(忘れるために)という話も笑えます。
彼らは「名人」という言葉の力に引っ張られて、「名人の形」を追いかけているのです。そこに彼らの滑稽さがあります。
さらに、その様子を真面目な真剣さで伝える「語り手」もおかしみがあります。
もっと言えば、飛衛も自己保身の滑稽さがあるし、甘蠅の仙術にもつっこみを入れたくなります。
このように作品の至る所にユーモアがあるので、『名人伝』はとても笑える話になっています。
短いですがとても面白い短編で、個人的には中島敦の小説の中でも最も奥が深い作品のひとつではないかと思っています。
以上、『名人伝』のあらすじと考察と感想でした。