『如何なる星の下に』とは?
『如何なる星の下に』は、東京・浅草を舞台に人々の喜劇が繰り広げられる物語です。
1939~1940年に連載された高見順の小説で、戦争の影も少なからず見られますが、まだまだ活気ある東京の下町が描かれています。
ここではそんな『如何なる星の下に』のあらすじ・解説・感想をまとめました。
『如何なる星の下に』のあらすじ
主人公の倉橋は、浅草のアパートの一室を借りて文筆業をしている作家だ。
彼がよく行くお好み屋では美佐子という女性がいて、高勢という名で通っている主人公の倉橋は、何かと彼女と親しくしている。
とはいえ彼女には但馬という夫がいて、恋愛の類いの関係ではない。それに倉橋は、小柳雅子という劇場の娘を気に入っている。
倉橋には鮎子という美しい妻がいたが、彼女は大屋五郎という俳優と彼を捨てて上海へ移ったのだった。
そんな折、お好み屋の美佐子が高勢の本名を倉橋だと知ったことで、彼女の態度は急変する。
彼女の妹は俳優の大屋五郎と結婚していたのだが、女優だった鮎子に夫を取られ、それが原因で死んだのだった。
倉橋はその事実を知って狼狽するが、話を聞いていくと、倉橋が気に入っていた小柳雅子という娘も美佐子の姉妹だったことが分かる。
そんな小柳雅子も劇場の男にかすめられ、意気消沈していた倉橋だったが、最後には友人の朝野に元気づけられ物語は幕を閉じる。
・『如何なる星の下に』の概要
主人公 | 倉橋 |
物語の 仕掛け人 |
嶺美佐子 |
主な舞台 | 浅草 |
時代背景 | 昭和初期 |
作者 | 高見順 |
-解説(考察)-
・弱き者たちが主役の物語
『如何なる星の下に』では、東京の浅草を舞台に物語が繰り広げられます。
しかし、いわゆる下町の人情や風情といったものが描かれるのではなく、あくまでも主人公の価値観で浅草という都市空間が捉えられています。
そのため、この作品の「浅草」は、
- 弱い人間が集う町
として主観的に描かれているのです。
この作品は、そんな「弱き者たち」が主役の物語です。
そんな弱い人間を小さな犬にたとえた挿話が作中にあります。
ブーニンの回想記の中のチェーホフの言葉。――「ここに大きな犬と小さな犬とがいるとする。しかし、小さな犬は、大きな犬がいるということで勇気がくじけてはならない。――そして神の与えた声で吠えなければ……」
『如何なる星の下に』は、こうした浅草の小さな犬たちを描いた物語といえるでしょう。
たとえば主人公は妻に捨てられ、お好み屋の美佐子はダンスチームから賞味期限切れの烙印を押され、友人の朝野は小説が認めてもらえず、芸人の末弘はお客に笑ってもらえません。
多くの登場人物は日の目を見ない人間ばかりです。一部は成功の道を歩んでいくのですが、そちらにはスポットライトが当てられていません。
スポットライトは弱き者たちに当てられ、そんな彼らが少しずつ前に進んでいく姿が浅草を背景にして描かれていくのです。
作中の店の雰囲気や町の様子、行事の風景など細かいところがやけにリアルなのは、作者の高見順が執筆当時浅草に住んでいたからだと考えられます。
このようなことから、『如何なる星の下に』は主観的な浅草の風景を通して、弱き者たちの小さな前進が描かれている物語だといえるでしょう。
・「浅草以外=強者」の構図
この作品は主人公の倉橋と、美佐子・玲ちゃん・雅子の三姉妹の因果な関係が描かれる物語です。
三姉妹と主人公の関係を簡単にまとめると以下のようになります。
- 長女「美佐子」は倉橋がよく行くお好み屋にいる女性。
- 次女「玲ちゃん」は倉橋の妻・鮎子を奪った大屋五郎の元妻。
- 三女「雅子」は倉橋が好きで追っかけている劇場の女性。
はじめは知らなかった主人公との因縁が、物語の中で次第に解き明かされていきます。
彼女たちの特徴は、結婚・交際している男性が浅草の外にいるということです。
- 美佐子の旦那・但馬=静岡
- 玲ちゃんの元夫・大屋五郎=上海
- 雅子の交際相手・瓶口黒須兵衛=京都
これは、物語の設定である「浅草=弱者の町」ということから、外に出ている彼らは強者=勝ち組であることを表していると考えられます。
しかし、物語が進むにつれて浅草に戻ってくる人物もいます。
たとえば大屋五郎は物語の終盤で鮎子に捨てられると同時に、浅草に戻ってきて酒浸りになっています。
その様子からは、「強者=勝ち組」から「弱者=負け組」への転落という構図が読み取れるでしょう。
最後には美佐子の旦那である左翼崩れの但馬も浅草に戻ってくるような話があったので、彼も弱者としての道が暗に示されているのかもしれません。
唯一浅草を離れたのは三女の雅子と瓶口のペアで、彼らだけは(物語が終わった時点では)勝ち組として描かれているように思います。
こうしたことから、浅草の町にいる=弱者というだけではなく、
- 浅草の外に出る=強者
という構図を読み取ることが出来るでしょう。
-感想-
・アイドルとファンの話
はじめに思ったのは、「これはオタクとアイドルの話だ」ということです。
主人公の倉橋は雅子という劇場の娘を追っかけています。
恋愛感情を持たず、ただ遠くから眺めていたいという彼の心境は、現代のアイドルグループとファンの関係と同じです。
小説家という彼の立場で楽屋に入ることは許されますが、雅子を目の前にするとただもじもじして、何も言葉が出てきません。
こうした彼の様子からは、内気なファン、いわばオタクに近い人物像が浮かび上がってきます。
そんな彼の心境はいざ知らず、アイドルの雅子は事務所の男にあっさりと落とされ、ファンであった倉橋の心は暗く沈むのです。
現代的に言うなら「雅子ロス」といったところでしょう。
そうした意味で、『如何なる星の下に』は読みやすくて面白い作品だと言えます。
冒頭で明治の思想家・高山樗牛(たかやまちょぎゅう:1871~1902)の言葉が引用されるなど、とっつきにくい感じはありますが、内容は人間喜劇ですので気軽に読みたい一篇です。
以上、『如何なる星の下に』のあらすじと考察と感想でした。
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