芥川龍之介

小説『トロッコ』芥川龍之介・あらすじ・解説・感想

2018年8月22日

作品紹介

『トロッコ』は芥川龍之介の中期に書かれた短篇小説で、名作として知られています。国語科の教材にも取り上げられており、その知名度は高いと言えるでしょう。ここではそんな『トロッコ』をわかりやすく解説していきます。

-あらすじ

まずは起承転結でみる簡単なあらすじ

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8歳の良平は村はずれにある工事現場のトロッコに乗ってみたいと思う。

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トロッコ押しを手伝うという名目で二人の作業員と一緒にトロッコに乗り、遠くまでゆく機会を得る。

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しかし途中で「われはもう帰んな」といわれ、夜の道をたった一人で帰る。

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26歳になった良平は、ふと今の人生に重ね合わせるかのように当時の苦しかった「トロッコ体験」を思い出す。

詳しいあらすじ (要約)

主人公である良平(8歳)は村はずれの工事で使われているトロッコにひどく惹かれる。

あるとき、念願叶ってトロッコを二人の土工と一緒に押す機会を得る。初めこそ楽しかったものの、あまりにも遠くに来すぎたことが分かり始めると、良平の心には次第に不安が募ってゆく。

日も暮れかけた頃、土工に「われはもう帰んな」と言われ、今まで経験したこののない長い距離をたった一人で帰らなければならないことを知る。

良平は必死に家へ向かって走るが、その道は暗く苦しい。やっとの思いで家に駆け込むが、感情が溢れ出して母のもとで泣きじゃくる

時は移り26歳になった良平は仕事に疲れ果てている。そんなとき、ふと子どもの頃の苦しい「トロッコ体験」を思い出してしまう。まるで子供の頃に受けた苦しみと今の人生の苦しみを重ね合わせるかのように

『トロッコ』-概要

主人公 良平・8歳
物語の仕掛け人 二人の土工
舞台 村はずれにある軽便鉄道敷設工事現場(小田原・熱海間)
時代背景 明治20年代・冬
作者 芥川龍之介

『トロッコ』-解説(考察)

トロッコの形状から物語を考える

京都・嵯峨野や黒部峡谷には現在もトロッコ列車が走っています。

もちろん作中に出てくるトロッコはトロッコ列車ではなく、下にのせたイラストのようなものです。

なんとも押してみたくなるフォルムで、良平の「乗れないまでも、押す事さえ出来たら」という渇望にもうなずけるものがあります。

トロッコ

箱形のトロッコは四角く、がっちりとしている印象を受けます。少しの衝撃ではビクともしなさそうですね。

だからその分、トロッコの中に入ってみると安心感すらあるでしょう。

想像してみてください。硬い鉄製のトロッコの中にすっぽりと入った時のことを。狭いところが落ち着くのはきっと僕だけではないはずです。

このことを多少象徴的に言えば、ガッチリとしているトロッコは父の強さであり、中に入った時の安心感は母の包容力であると言えなくもないでしょう(他には家なんかもそうですね)。

つまりトロッコは父母の特性を象徴的に兼ね備えている形状だといえます。

その安心感(強いものに守られる感じ)というのは子ども時代特有のものなのかもしれません。

この『トロッコ』という作品にノスタルジーを感じるのは、守ってもらえるといういつかの安心感を読者に思い起こさせるような仕掛けが、トロッコという乗り物自体にもあるからなのかもしれません。

こうした観点に立つと物語がよりはっきり見えてくるように思います。

人生にしばしばある「われはもう帰んな」

物語中盤、良平は不意に「われはもう帰んな」と言われます。

いつまでも押していていいって言ってたのに、うそつき!なんでなんだよ、というやり場のない気持ちは多くの方が経験したことがあるはずです。

さらにこの場面では大人に対する無力感も相まってとてもいやな気持ちです。

とにかく8歳の子どもにはショッキングな場面でしょう。

トロッコに乗って帰ることも出来ず、一人で――それも走って――帰らなければならない。

絶望・孤独・恐怖といった感情が一瞬のうちに良平の小さな身体をさっと通り抜けます。でも泣き言は言ってられません。言っても誰も助けてはくれないのですから。

トロッコ=安心感をなくし、一人で問題を解決していかなければならない立場に強制的に立たされるというのは、大人になり社会人として一人で社会を生きてゆかねばならないとう点において全く人生に似ています。

だからこそ26歳の良平は、物語の結末部で子どもの頃のトロッコ体験と今の人生を重ね合わせて、ふと当時見た「薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している」のを眼前に思い起こすのでしょう。

「われはもう帰んな」というのは、これから先は全て個人で解決しろという宣告です。

こうした宣告は、人が生まれた瞬間から折に触れて常に個人に迫ってきます。

そうした人生の生きづらさや不条理を、芥川龍之介はこの作品で描いたのではないでしょうか。

『トロッコ』-感想

26歳の良平はどこまで走ればいいのだろうか

8歳の良平は、安心感の象徴であるトロッコを無くし、一人で問題に立ち向かわなければならなかった

そして26歳の良平は、大人となって自立したことで、文字通り両親から離れて一人で問題に立ち向かわなければならない

この点がリンクしているため、大人の良平は「トロッコ体験」を思い出します

トロッコ(安心感) 両親(安心感)
8歳の良平 ×(なくした) ○(まだある)
26歳の良平 ×(なくした) ×(なくした)

ただ、8歳の良平には帰って安心できる場所がありましたが、26歳の良平にはそれがありません。

大人になった良平の状況は昔よりもひどくなっていると言えます。

走れども走れども、大人の良平に安心できる場所はやって来なさそうにみえます。

良平の職業と妻子について

でも良平には妻子がいるじゃないか!彼女らに慰めてもらえばいいのにとも思いますが、そうはいかないようです。以下の引用は『トロッコ』の結末部です。

良平は二十六の年、妻子さいしと一しょに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆しゅふでを握っている。

雑誌社の校正というのは当時では薄給の仕事とされていました。

月の給料が安い上に養わなければならない妻と子がいる。そうした状況が良平を追い詰めているのは間違いありません。

たしかに妻子は多少の癒やしになるかもしれませんが、『トロッコ』では、それ以上に重荷として描かれていることが分かります。

この一文があることによって、まるで足に重りをつけたまま出口のない迷路に入り込んでしまったような閉塞感が作品の終わりにのしかかってきます。

どこへ行けばいいのだろういつまで走ればいいのだろう

良平の疲労感は、現代を生きる我々にもそのまま当てはまる部分があるように思います。

『トロッコ』 小話

実は、物語の舞台になっている小田原・熱海間の軽便鉄道敷設工事というのは明治期に実際にあったもので、その鉄道の名は豆相(豆相)人車鉄道といいます。

調べてみると今も小田原には旧駅跡などが残っているようす。詳しくは下記の小田原市のホームページを参考にするか、「豆相人車鉄道」で検索してみると良いと思います。

当時の写真などもあるようなので、行ってみると『トロッコ』をまた違う角度から読むことが出来るかもしれません。

以上、『トロッコ』のあらすじと考察と感想でした。

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