『源おじ』のあらすじ・解説・感想まとめ!紀州が出て行った理由とは?

『源おじ』とは?

『源おじ』は、舟子である源太郎の悲劇が描かれる国木田独歩の小説です。

彼の最初期の作品ですが、独歩らしい世界観はこの一篇でもすでに現れています。

ここではそんな『源おじ』のあらすじ・解説・感想をまとめました。

『源おじ』のあらすじ

都から若い教師が佐伯という町にやってきて、1年間ほど教鞭をとっていた。

若い教師は夫婦の営む宿を借りていたが、そこで「源おじ」についての話を聞く。

「源おじは本名を池田源三郎といって、佐伯の町で舟を漕いで人を渡す仕事をしている。

彼は言葉数の少ない人物だったが、舟を漕いでいるときには良い声で唄うことがあるので、彼の舟は町で一番の人気があった。

妻の百合は美しく、子どもも一人でき、名は幸助といった。

源おじは淡く夢のような月日を送っていたが、百合は二人目の子どもを産むときに死んでしまう。

源おじは深く悲しみ、以前に増して言葉も少なくなった。

それから五年が経ったあと、幸助も水に溺れて亡くしてしまう。

こうして源おじは唄うことがなくなり、親しい人とも口をきくことを避けるようになった。

源おじが舟を漕ぐことは昔と変わらないが、町の人は源おじの舟に乗りながら、源おじが世にいることを忘れるようになった。

彼はどのような人か、と聞いたのは君が初めてだ。」

若い教師は都に帰ってからも、話に聞いた見たこともない「源おじ」のことが脳裏に焼き付いて忘れらないのだ。

源おじは今どうしているだろうかと、若い教師は思う。

彼は知らないのだ。源おじがすでにこの世のものではなくなっていることを。

教師が佐伯の町を去ったあと、源おじは紀州という乞食をひろった。

紀州は幸助が生きていたら二つ三つ上の年で、母親はいない。

町の人々は初めこそ紀州を不憫がっていたが、情はいつまでも続くものではなく、彼は今や骨と皮ばかりになっていた。

紀州はすでに感情を忘れ、人から物をもらっても無表情でいるほどである。

源おじは紀州を我が子として育てようと決意し、寝床を用意して飯を食わせていたのだが、ある日帰ってみると紀州がいない。

慌てて探しに行き、ようやく見つけて連れて帰ったが、疲れが祟って源おじは寝込んでしまう。

彼は寝床のそばに紀州を寄せて、「風邪はじき治る。それよりも物語をきかせてやろう」といって、色々の話を聞かせた。

あくる日、源おじが目覚めると、枕元には紀州の姿がなかった。

源おじはまた探しに行こうとするが、熱による眩暈で立ち上がることができず、彼は結局一日中布団の中にいた。

その日の晩はひどい嵐で、朝になると湊には一隻の舟が大破して打ち上げられていた。

村の人が集まって、これは源おじの舟だと言い合っている。

一人の若者が、それを伝えに行こうと源おじの家へ向かった。

近くまで行くと、松の木に怪しいものが下がっていて、若者はそれを見定めた。首を吊っていたのは源おじだった。

こうして源おじは百合と幸助と三人一緒の墓で眠ったが、若い教師は源おじが今もなお一人淋しく妻子のことを思いながら、磯辺に暮しているのだろうと哀れんでいる。

紀州は以前と変わらず乞食をしていて、ある人が源おじの死んだことを伝えても、彼は無表情のままだった。

・『源おじ』の概要

物語の中心人物 池田源太郎
物語の
仕掛け人
若き教師
主な舞台 大分県佐伯市
時代背景 明治時代
作者 国木田独歩

-解説(考察)-

『源おじ』には、重要な登場人物が3人います。

  • 若い教師
  • 源おじ
  • 紀州

この三人です。

ここでは彼ら三人が、物語上でどのような役割を担っているのか、それを解説していきます。

・若い教師

若い教師は、物語の前半に出てくる人物です。

赴任先で「源おじ」の存在を宿屋の夫婦から聞き、それから「源おじ」のことが忘れられなくなります。

ちなみに、彼は源おじに会ったことも見かけたこともありません。

想像上の「源おじ」が、彼の心の中にいるということになります。

彼は源おじの死を知らない

物語上で重要なのは、彼が源おじの死を知らないということです。

都なる年若き教師は源叔父今もなお一人淋しく磯辺に暮し妻子の事思いて泣きつつありとひとえに哀れがりぬ。

国木田独歩『源おじ』

源おじは若い教師の中で、不幸な老人としてその姿を留めているのです。

若い教師はこの先も長い間、「源おじ」の姿をまぶたの裏に描いて、事あるごとに彼を思い出すのでしょう。

さらに彼は、「源おじ」のことを友人に手紙で書いて送っています。

このように、若い教師は「源おじ」という存在を自分の中に取り込み、再編して世の中へ送り返す「語り継ぐ者」としての役割を担っている人物です。

似たようなテーマで描かれている作品に、国木田独歩の『忘れえぬ人々』があります。

独歩の作風や特徴を知れると思うので、合わせて読んでみて下さい。

国木田独歩『忘れえぬ人々』あらすじ・解説&感想!忘れ得ぬ人々とは誰か?

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・源おじ

源おじはこの作品の中心人物です。

妻の死、子どもの死と悲しい出来事が相次いで起こる、不幸な人物として描かれます。

舟子という役割

彼の仕事は「舟子」といって、小さな舟に人を乗せて漕ぎ、町の中心と生活区域を行き来する、海上タクシーのような生業です。

舟の上で唄を歌う源おじの歌声は誰もが聞き惚れるほどで、それゆえに彼の舟は町で一番の人気があります。

舟子は「町⇔家(中心部⇔周辺部)」をつなぐ役割です。

つまり、源おじは町にも家にも属さず、言わば「⇔」の中に生きている、浮世を離れた存在のように描かれています。

こうした境界線に生きる源おじは、仕事人として風景の中に溶け込み、概念的な存在にさえなっているのです。

源おじ浮世の世界へ

しかし、物語の後半になると、源おじは浮世の世界へ入っていきます。

紀州という乞食を拾ったのが原因で、そこから物語の舞台は「舟上」から「家」へと移ります。

この舞台の移動は、源おじが仕事人から生活人へと変化したことを何よりも表しているでしょう。

「家」での源おじは、紀州に情をかけ、世話をし、寡黙だったのが嘘のようによく喋り、物語まで聞かせています。
源おじのイメージがガラッと変わっていくのが分かりますね。

世界から見放される源おじ

このような源おじの変化を、世界は断固として拒みます。

手をかけていた紀州は家を出て行方不明になり、そのせいで源おじは酷い風邪を引き、持っていた舟は嵐によって大破する始末。

紀州という唯一の拠り所と、舟という唯一の生きがいを同時に失った源おじは、松の木に首を吊って死んでしまいます。

物語世界の中で、源おじは哀れな仕事人としての役割を期待され、それを破ったがゆえに世界から見放されるのです。

・紀州

紀州は佐伯の町に居着く乞食です。

源おじの一人息子だった幸助が死んだ年に、母親に連れられてやって来ました。

源おじにとっては、幸助との入れ替わりを強く意識させるような設定です。

母親は息子が佐伯の町で生きていけそうだということが分かると、紀州を置いてどこかへ行ってしまいます。

疎外される紀州

紀州が町に来た頃は、人々は哀れんで物を恵んだりもしましたが、時が経つと次第に情は薄れていきました。

どこかに引き取られることもなく、世界の孤独を知った紀州は完全に心を閉ざしてしまいます。

それからというもの、彼は物をもらっても礼を言わず、笑わず、かといって怒ることもなく、泣くこともない。

一切の感情が紀州のもとから去り、人間らしさは失われてしまいます。

ここに至って、紀州は町の生活から疎外され、かつての源おじと同じ「浮世を離れた存在」として描かれるのです。

世界を変えなかった紀州

紀州は源おじに拾われ、一度は「家」に属する人間として、浮世の世界に仲間入りします。

しかし、しばらくすると家出して、もとの乞食に戻ろうとするのです。

自分が「町⇔家(中心部⇔周辺部)」のどこにも属さない人物であることを、誰よりも理解しているからでしょう。

ここが、源おじと紀州の決定的な違いです。

源おじは妻と子を亡くし、紀州は母を失くしているため、二人は愛する人を失ったという共通点をもっています。

しかし、源おじはその世界を変えようとし、紀州はその世界を変えまいとしました。

源おじの立場からすると、紀州は愛を裏切った存在ですが、紀州の立場からすると、源おじは世界を変革してくる介入者だったのです。

紀州は変革を拒み、元の世界へ戻って、疎外された立場で生を送る選択をします。

ある人彼に向かいて、源叔父は縊れて死にたりと告げしに、彼はただその人の顔をうちまもりしのみ。

国木田独歩『源おじ』

『源おじ』ラストの一文ですが、これは紀州が薄情なわけではありません。

そうした事実・世界をありのままに受け入れているだけなのです。

このような視点に立ったとき、彼の姿に深い哀れみを感じさせるような物語になっているのではないでしょうか。

-感想-

・文語体の美しさ

『源おじ』は文語体で書かれた物語です。

一口に文語体といっても、様々な雰囲気の文体があります。

『源おじ』は、大和言葉混じりの優しい文語体のように感じます。

源おじのセリフなどにその傾向は顕著です。

「永く我家にいよ、我をそなたの父と思え、――」
なおいい続がんとして苦しげに息す。
「明後日の夜は芝居見に連れゆくべし。外題は阿波十郎兵衛なる由ききぬ。そなたに見せなば親恋しと思う心かならず起こらん、そのときわれを父と思え、そなたの父はわれなり」

国木田独歩『源おじ』

「そのときわれを父と思え、そなたの父はわれなり」なんて、とても美しいと思いませんか?

「そのとき俺を父だと思え、お前の父親は俺だ」とは全然趣が違います。

ひと言ひと言の範囲が広く、短い言葉の中にも多くの意味を感じる文体です。

内容や構成もさることながら、こうした豊かな文体も、『源おじ』の魅力的なポイントなのではないでしょうか。

以上、『源おじ』のあらすじと考察と感想でした。

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