『蒲団』とは?
『蒲団』は1907年に発表された、田山花袋の短編小説です。
日本文学の主軸を「私小説」の方向へと走らせたという意味で、日本文学史上最大の問題作とも言われています。
ここでは、そんな『蒲団』のあらすじから、作品が生まれた背景やヒロインのモデルなどを解説します。
『蒲団』のあらすじ
34歳で作家をしている竹中時雄は、妻子を持ちながらも退屈な日々を暮らしています。
そんななか、岡山のある女学生(横山芳子)から弟子にしてほしいという手紙を受け取り、彼女との師弟関係が始まります。
若く美しい芳子は、退屈な人生を送っていた時雄の心を浮かれさせるには十分すぎる存在でした。
芳子は男友達ともざっくばらんに遊ぶ、当時にしてはハイカラな女性です。
時雄はインテリジェンスな自意識から、献身的な妻を旧式の女として悪く言う一方で、芳子を新式の女として評価し、理解ある人物として立ち回っていました。
しかし、芳子に特定の彼氏ができてから、時雄には余裕がなくなっていきます。
若い二人の交際を認めず、どうにか離縁させようとしますが、最後には芳子は実父に引き取られ、田舎へ帰ってしまいました。
時雄は芳子が帰ってから、彼女の使っていた部屋に入ると、彼女の蒲団に顔を押し付けて女の匂いを嗅ぎ、悲しみのなか泣いたのでした。
『蒲団』ー概要
物語の中心人物 | 竹中時雄 |
物語の 仕掛け人 |
横山芳子 |
主な舞台 | 東京 |
時代背景 | 明治時代 |
作者 | 田山花袋 |
『蒲団』ー解説(考察)
『蒲団』の特徴〜社会の変化と人間の変化〜
『蒲団』で面白いのは、「旧式」の妻と「新式」の横山芳子が対比的に描かれることで、社会の変化と人間の変化を描き出しているところです。
- 旧式の妻=家で家事全般をこなし、何も言わず夫に尽くす(保守的)
- 新式の横山芳子=文学を志すインテリで、男友達も多く人目も気にしない(革新的)
主人公の竹中時雄は、旧式の妻をけなし、新式の横山芳子の行動(男友達が多いことや文学を志すこと)を擁護します。
次の文章は、竹中時雄が妻に対して「旧式」だと講釈をたれる場面です。
お前達のような旧式の人間には芳子の遣ることなどは判りやせんよ。男女が二人で歩いたり話したりさえすれば、すぐあやしいとか変だとか思うのだが、一体、そんなことを思ったり、言ったりするのが旧式だ、今では女も自覚しているから、為ようと思うことは勝手にするさ」
この議論を時雄はまた得意になって芳子にも説法した。「女子ももう自覚せんければいかん。昔の女のように依頼心を持っていては駄目だ。ズウデルマンのマグダの言った通り、父の手からすぐに夫の手に移るような意気地なしでは為方が無い。日本の新しい婦人としては、自ら考えて自ら行うようにしなければいかん」
しかし彼の言葉は、文学の師という立場や、自分は新しい価値観を認めるリベラルな思考の持ち主であるということを、横山芳子にアピールしたいからでもあります。
竹中時雄という人物は、本心では横山芳子を自分のものにしたいだけの人間であり、自分の利益になるのであれば、旧式でも新式でもどちらでも良いのです。
下記は冒頭にある、竹中時雄の心理描写です。
社会は日増に進歩する。電車は東京市の交通を一変させた。女学生は勢力になって、もう自分が恋をした頃のような旧式の娘は見たくも見られなくなった。青年はまた青年で、恋を説くにも、文学を談ずるにも、政治を語るにも、その態度が総て一変して、自分等とは永久に相触れることが出来ないように感じられた。
つまりこの『蒲団』という小説は、社会の進歩によって変化する人間のありようと、それに意識的についていこうとするがついていけず、新式と旧式の間で揺れ動く主人公の胸中が描かれる構成になっています。
作中における竹中時雄の行動で、それが新式的か旧式的かを振り分けてみました。
- 新しい価値観を持つ女性である横山芳子を擁護する(新式)
- 19歳で駆け落ちまがいのことをする横山芳子についていけない(旧式)
- 父親を召喚し、強制的に国へ帰らせる(旧式)
- 横山芳子が使っていた布団に顔を埋めて泣く(新式?)
旧式の人間であれば、未練がましく布団に顔を埋めることなどあり得ません。
男らしく、自分の決定や運命に対して毅然とした態度であるべきでしょう。
しかし竹中時雄という人物はそれができず、ナヨナヨとした新式的な男性に設定されています。
このどっちつかずな状態こそが、今(1907年時点)の男性なのだという意味で、時雄(時の男)を描いたのではないでしょうか。
私小説の走りとなった『蒲団』|文学史上の問題作
『蒲団』は田山花袋の経験をもとに書かれた小説です。
当時の文壇では、自身に起こった出来事をそのまま書くことは珍しく、それゆえに『蒲団』が与えた衝撃は非常に大きいものでした。
日本ではその衝撃がそのまま日本文学の主流(私小説)となり、それを批判する形で数々の「〇〇主義・〇〇派」が生まれてきた経緯があります。
▽日本文学史について詳しく知りたい方はこちらを参考にしてください。
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近代日本文学史とは?写実主義からポストモダンまで概要を簡単に紹介!
田山花袋は、エミール=ゾラが提唱した自然主義文学(自然を科学的な態度でありのままに書く主義)に影響を受けて自分の経験を書きました。
『蒲団』においては、師匠である竹中時雄の胸中がリアルに書かれている点。
またラストシーンで、時雄が芳子の使っていた布団に顔を埋め、その匂いを嗅ぎながらひとり泣く様子なども特徴的です。
このことを、田山花袋自身は次のように述べています。
私の『蒲団』は、作者には何の考もない。懺悔でもないし、わざとああした醜事実を選んで書いた訳でもない。唯、自己が人生の中から発見したある事実、それを読者の眼の前にひろげて見せただけのことである。読者が読んで厭な気がしやうが、不愉快な感を得やうが、又はあの中から尊い作者の心を探さうが、教訓を得やうが、そんなことは作者には何うでも好いのである。又読者があれを作者の経験に好奇心であてはめて見て、人格が何うの、責任が何うの、思想が何うのと評判しようが何うが、そんなことは何でもない。作者は唯その発見した事実を何の位まで描き得たか、何の点まで実に迫って書き得たか、唯々それを顧慮するばかりである。又時には、折角自己が発見したと思った事実が存外平凡でつまらなかったのを悔ゐるあるばかりである。
田山花袋『定本花袋全集第二十六巻「小説と作法」』臨川書店,p228
しかし、田山花袋の考えとは裏腹に、心中の告白や懺悔のような点が強調され、「自然主義文学=自分の気持ちを正直に書く文学」のように広まってしまいました。
この『蒲団』がなければ、ゾラの自然主義文学が日本でもより探求され、日本文学は今とは全く違ったものになったのではないかという意味で、田山花袋の『蒲団』は近代日本文学史上の問題作と言われ、作者に対してもネガティブな評価がついたりします。
『蒲団』ヒロイン横山芳子のモデル〜岡田美知代について〜
『蒲団』のヒロインである横山芳子のモデルは岡田美知代(永代美知代)という女性です。
ドナルド・キーンがまとめている田山花袋と岡田美知代についての文章が、そのまま『蒲団』のあらすじにもなります。
出征の前に、花袋は岡田美知代を知った。岡山県に住むインテリ女性で、花袋の作品を愛読し、熱烈な崇拝の手紙を再三送ってきた乙女だった。妻子との生活にも倦み、恋を恋する心境になっていた花袋は、近づく女性とはだれでも恋に陥る準備があった折とて、たちまち美知代に特別な感情を抱くようになった。女が正式な教育を受けるのは珍しかった時代だが、美知代の家は裕福でもあり、彼女は神戸のミッション・スクールに通って、そこで文学に目を開かれていた。花袋は鴎外の『即興詩人』を送ってやり、しきりに手紙の交換がつづいた。一九〇四年(明治三十七年)二月、美知代は父親に伴われて上京し、花袋は彼女の美貌もさることながら、自由な生活態度と文学への理想主義的な情熱に打たれた。彼女は花袋の家に下宿して学校に通うことに決まったが、倦怠の生活の中に登場した美しい門下生は、花袋の心をいやがうえにも刺激した。一ヶ月後、夫の変化に気づいた妻の主張で、美知代は妻の姉の家に転居することになった。
まもなく始まった日露戦従軍は、不定形のままの師弟関係を一時的に断ちはしたが、帰国後は再び恋の炎が花袋の胸を焦がし始めた。師としての彼は、美知代に新しい女として生きることを勧めたが、それを真に受けた彼女は親の許しも得ぬままに同志社の学生と将来を約束してしまった。青年は、美知代と結婚するために神学の研究を抛って上京し、花袋は人生のすべてを破壊されるほどのショックを受けたが、師としての責任感に駆られ、美知代の両親を説き伏せて結婚をさせた。(この結婚は、まもなく破局に終わった。)ドナルド・キーン『日本文学史「近代・現代篇二」』中央公論社,p46
ただし、岡田美知代さん自身は横山芳子のモデルであることは認めながらも、小説はかなりの部分で脚色されており、事実とは異なると主張しています。
それが、「婦人朝日(昭和三十三年七月)」に掲載された「花袋の「蒲団」と私」という文章です。
作者の主観の鏡は出来るだけ、磨き澄まされてあらねばならぬ。一点の曇もあつてはならぬと云ふのが、先生兼ての主張であつた。して又先生は仰有る。真ほど自然なるものはない。作者たるものは一分一点の真をも曲げてはならぬ。之によつてこれを見る時、私に限らず読者は誰でも、先生の作物からすぐ或る事実をつかむ事が出来るとさへ思つて居る。然るに真ほど自然なものはないと云う、その自然派の作家によつて描かれた、『蒲団』の芳子の恋人秀夫と、そのモデルの真なるものは如何か、秀夫のモデルと、モデル自体とが、余りにも違ひすぎて居るやうに云うそれは、ただに私一人の目ばかりではない。
『婦人朝日(昭和三十三年七月)「花袋の「蒲団」と私」永代美知代』
この文章では、横山芳子の彼氏である田中秀夫の描かれ方がどれだけ悪意のあるものか、また事実とどれくらい異なるのかなどが、当時の手紙や田山花袋との会話などをもとに述べられています。
永代美知代さんの主張が事実であれば、田山花袋がある効果を狙って出来事を脚色し、小説にしていることは明らかです。
だとすると、自然を科学的な態度でありのまま描く「自然主義文学」とはかけ離れていることになり、永代美知代さんはそうした彼の作家的態度を含めて批判しています。
ちなみに『蒲団』という作品で思いがけず時の人となった田山花袋は、『蒲団』と同じ手法で、自分の近しい人を描くようになります。
『姉』『兄』『妻』『祖父母』『生』『縁』などの作品がそれにあたり、岡田美知代さんは『妻』や『縁』でもモデルとして登場しています。
「小説家と関われば自分が小説に書かれてしまう」とも言われるほど日本の小説が私小説的になってしまったのは、やはり田山花袋と、その小説方法に原因がありそうです。
『蒲団』ー感想
『蒲団』の匂いかた
「『蒲団』って男が女の布団の匂いを嗅ぐキモい話でしょ?」
ギュッと要約すると確かにそれでも通るくらい、『蒲団』のラストシーンは読者に強烈な印象を残します。
この「匂い」というのは、文学ではよく使われるモチーフであり、古くは『源氏物語』でも光源氏が空蝉の衣を持ち帰って匂いを嗅いでいます。
『源氏物語』メモ
夜、光源氏は気になっていた空蝉の部屋に忍び込みますが、空蝉は夫のある身だったのですぐに気づき、衣だけを残して逃げていたのでした。光源氏はその衣だけを持ち帰り、自分の匂いを付けてから送り返しました。
また『悪の華』という漫画では、好きなクラスメートの体操服の匂いをかいだ男子と、それを見てしまった女子の三角関係を描きます。
▽こちらは詩人ボードレールの『悪の華』が関係しているので、文学好きなら面白いと思います。
これらの作品は同じ「匂い」を嗅ぐという点では一致していますが、『蒲団』ほど気持ち悪さはありません(変態的ではありますが)。
気持ち悪さというのは、その行為をする人間の清潔感と社会的立場によって変わってきます。
イケメン俳優が布団の匂いを嗅いで涙するのと、汚いおじさんが布団の匂いを嗅いで涙するのでは、印象が全く違いますよね。
『蒲団』では、明らかにその効果を狙って、主人公の行為が「気持ち悪く」映るように描かれています。
時雄は机の抽斗を明けてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。暫くして立上って襖を明けてみた。大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡げてあって、その向うに、芳子が常に用いていた蒲団――萌黄唐草の敷蒲団と、綿の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。
「古い油」や「汗のにおい」がし、それも「際立って汚れている」ところの匂いで「胸をときめか」すことのできる主人公には、生まれたばかりの赤子を含む三人の子どもと妻がいます。
さらに言えば、自分のエゴで「新式」の女性の将来を潰し、そのうえで未練がましく布団に顔を埋めているわけです。
不潔な感じと主人公の設定が、布団の匂いを嗅ぐという行為の気持ち悪さを最大化していることが分かります。
逆に言うと、ラストシーンで蒲団の匂いを嗅ぐ主人公をできるだけ気持ち悪く見せられなければ、この作品は成立しないでしょう。
その意味では、『蒲団』は十分な成功を果たしたと言っても良いかもしれません。
以上、『蒲団』のあらすじ・解説でした!