『オツベルと象』とは?
『オツベルと象』は、オツベルという工場長のもとに、一匹の白象がやってくる物語です。
オツベルが白象を利用する様子を通して、資本家と労働者の関係が描かれます。
ここではそんな『オツベルと象』のあらすじ・解説・感想をまとめました。
『オツベルと象』のあらすじ
ある牛飼いが、こんな物語を語ります。
オツベルは百姓を雇って工場を経営している資本家です。
ある日、彼の工場に一匹の白い象がやってきます。
オツベルは象に取り入り、自分のもとで働かせることに成功します。
はじめは喜んで働いていた白象ですが、待遇は日に日に悪くなり、最後にはとうとう力が出なくなりました。
それを聞きつけた仲間の象たちが、オツベルをやっつけようと集まります。
白象は集まった象たちに助けられ、オツベルは踏みつぶされてしまいました。
「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」
白象はさびしくわらってそういいました。
・『オツベルと象』の概要
主人公 | 象 |
物語の 仕掛け人 |
オツベル |
主な舞台 | オツベルの工場 |
時代背景 | 大正時代 |
作者 | 宮沢賢治 |
-解説(考察)-
『オツベルと象』は単純な物語の奥にさらに意味があるような作品です。
評価は高いですが、研究者の間でも読み取り方が分かれていたりします。
ここで解説するのは、
- オツベルと象がそれぞれ表すもの ~資本家と労働者~
- ラストの一文「おや、〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら」の意味
の二点です。
まずはオツベルと象が表すものから見ていきます。
・『オツベルと象』が表すものは? ~資本家と労働者~
オツベルは、機械を買って労働者を雇う資本家の一人です。
そんな彼の元で働かされる白象は労働者のメタファー(比喩)だと読んでいいでしょう。
つまりこの作品は、
- 資本家(オツベル) VS 労働者(白象)
という構造をとっています。
資本家のオツベルは白象をこき使い、食べ物もろくに与えません。
分かりやすい資本主義的な搾取の様子です。
最後は仲間の象たちが立ち上がって白象を救い、オツベルを倒すのですが、これを労働者側の勝利と考えるのは疑問が残ります。
オツベルの元では、16人の百姓が働いています。
彼らこそオツベルに使われている真の労働者であり、声を上げなければならない人間です。
けれども彼らは作中で声を出さず、白象に「ぎょっ」としたり、ただ「そこらをうろうろ」したりしています。
つまり宮沢賢治は、白象の分かりやすい搾取を描くと同時に、声を出さない百姓たちの不甲斐なさも描いているのです。
オツベルが死んだ後、彼らはどうやって生きていくのでしょうか。
このようにみると、『オツベルと象』は声を出さない労働者に対して、それでいいのか?という問いかけが内包されている作品だと読むことも出来るでしょう。
資本家と労働者の関係を描いた風刺的な作品です。
・ラストの一文の意味とは?一字不明の言葉を予想
この物語のラストの一文は、
おや、〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。
となっています。(〔一字不明〕というのは、原稿に書かれた文字が分からなかったために、〔一字不明〕と表記されています。)
結論から言えば、僕はこのラストの一文を、
- 語り手が聞き手の一人に対して投げかけた言葉
だと解釈しています。その理由を説明していきます。
この一文を読みとるには、『オツベルと象』の物語構成を理解する必要があります。
『オツベルと象』には、「ある牛飼いがものがたる」という副文があります。
つまりこの物語は、
- 「ある牛飼い」が語り手
の小説であることが分かります。
彼はオツベルについて色々なことを話して聞かせます。
この作品の言葉のリズムが良いのも、彼の「語り」が意識されているからです。
『オツベルと象』にこうした「語り手」がいる構成を踏まえれば、最後の一文の意味は想像が付きます。
おや、〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。
つまりこの一文は、牛飼いの語りを聞いていた「聞き手」(おそらくは子ども)に向かって、投げかけられた言葉だと考えられます。
牛飼いが川辺で子どもたちに物語を聞かせていて、話が終わると、子どもは川へ入ろうとする。それを牛飼いが止める。
ラストの一文はこうした場面なのではないでしょうか。
したがって〔一字不明〕の言葉は、「君」などが妥当かもしれません。
そうすると、「おや、君、川へはいっちゃいけないったら。」となり、物語的にも整合性がとれます。
このようなことから、最後の一文の意味は、
- 「語り手」の牛飼いが、聞き手の一人に対して投げかけた言葉
であると考えています。
このラストの一文は研究者の間でも読み方が分かれているようですので、これが正解というわけではありません。
ぜひあなたなりの読み方で『オツベルと象』を楽しんで下さい。
-感想-
・白象の「さびしい」わらい
『オツベルと象』では、物語の最後に白象が仲間から助けられます。
しかし、彼はそこでこんな反応を見せるのです。
「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。
ここで読者は、なぜ「さびしく」わらったのかという疑問が浮かびます。
この疑問は、「さびしく」が「寂しく」という言葉に変換されて読まれるから起こるのかもしれません。
しかし、僕はこの「さびしく」という言葉は、
- 白象が自分を情けなく思う気持ちと、オツベルを思う気持ちが混ざった様子
を表しているのだと思っています。
オツベルの行為を許すことはできないけど、憎みきることもできない。一人で勝手に人間の土地に来たのに、助けてくれた仲間にも申し訳なく自分が情けない。
そうした感情が入り交じった様子を、宮沢賢治は「さびしくわらって」と表現したのだと思います。
言葉というものは色々な意味を含むことが出来る、流動的なツールです。
『オツベルと象』では、そうした言葉の深さを感じることが出来ます。
それと解説でも少し触れましたが、この物語はリズムがとても良いです。
ぜひ機会があれば、声に出して読んでみて下さい。
あのフランツ=カフカも、自分の作品を友人に読み聞かせて笑っていたと言います。
以上、『オツベルと象』のあらすじと考察と感想でした。
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