『スーホの白い馬』とは
『スーホの白い馬』は、モンゴル民話をもとに創作された物語です。
小学2年生の教科書にも長らく掲載されており、知っている人も少なくありません。
ここではそんな『スーホの白い馬』のあらすじや、白馬の象徴、もとになった本当の話などを解説していきます。
『スーホの白い馬』のあらすじ
モンゴルのあるところに、スーホという貧しい羊飼いがいました。
ある日、スーホは暗がりのなか、白く美しい馬を見つけて連れ帰ります。
白馬はたくましく成長し、オオカミが来ても退けられるほどになりました。
年月が過ぎ、町で競馬が開かれることを聞いたスーホは、白馬とともに参加することを決めます。
優勝すればお姫様と結婚できるというレースに、スーホは見事優勝しました。
しかしスーホの貧しい身なりを見た殿様は、約束を破って「馬だけ置いていけ」と言い、抗ったスーホに暴力をふるいます。
数日後、捕らわれた白馬は一瞬の隙をついて逃げますが、追っ手の弓がいくつも刺さり、スーホが待つ家についた時には息を引き取ってしまいました。
悲しむスーホは、夢に出てきた白馬の言う通り、骨や皮で楽器を作ります。
こうして馬頭琴という美しい音色の楽器は作られました。
馬頭琴を奏でるとき、スーホは殿様への恨みや、白馬との楽しかった日々を思い出すのでした。
『スーホの白い馬』概要
主人公 | スーホ |
中心人物 | 白馬 |
時代背景 | 中世モンゴル |
作者 | モンゴル民話→中国物語『馬頭琴』→『スーホの白い馬』 |
『スーホの白い馬』解説
『スーホの白い馬』の元となった本当の話と『馬頭琴』
『スーホの白い馬』の元となった話は、モンゴル民話の馬頭琴起源伝説(フフー・ナムジル)です。
しかし、直接のモデルになったのは中国の『馬頭琴』という作品であり、それを日本風にアレンジしたものが『スーホの白い馬』なので、本来のモンゴル民話とは少し違った内容になっています。
まとめると以下の流れになります。
モンゴル民話(フフー・ナムジル)→中国物語『馬頭琴』→日本絵本『スーホの白い馬』
どの作品にも共通しているのは、馬頭琴という楽器の起源を伝える物語であるということ。
次には、それぞれの物語にどのような特徴があるのか簡単にまとめます。
モンゴル民話:フフー・ナムジル
もともとのモンゴル民話は、男が天女と恋に落ちる恋物語です。
家に帰ってもすぐに会えるように、天女は空を駆ける不思議な馬を贈ります。
ですが、男はその馬を死なせてしまいました(死因は男に片想いしていた女性が天女に会えないよう馬の羽を切ったなど)。
天女にも会えなくなり、愛しい馬も失って悲しんだ男は、その骸で馬頭琴を作る、という民話が多いようです。
この民話はフフー・ナムジルといい、馬頭琴起源伝説としてモンゴルでは多くの人に親しまれています。
中国物語『馬頭琴』
中国の物語である『馬頭琴』は、フフー・ナムジルに手を加えたものです。
作者は塞野(セーイエ)という中国人であり、スーホと殿様の階級的な対比が付け加えられたり、白馬の死に方(矢で射られて死ぬ)が改変されたりしています。
フフー・ナムジルは恋物語でしたが、『馬頭琴』になると恋物語はなくなり、その代わりに政治色が入ってくるわけです。
横暴な権力者への抵抗や憤りといった内容が前面に押し出され、その内容は少しだけ変化しています。
日本絵本『スーホの白い馬』
日本で親しまれている『スーホの白い馬』は、大塚勇三が『馬頭琴』をアレンジしたものです。
『馬頭琴』では、白馬を殺した殿様に対して、スーホは憎しみ憤っていることが分かります。
しかし『スーホの白い馬』では、憎しみだけでなく、スーホとの楽しかった日々も回想され、日本らしいマイルドな表現になっています。
モンゴル民話(フフー・ナムジル)→中国物語『馬頭琴』→日本絵本『スーホの白い馬』
見てきたように、上記のような変遷があるため、モンゴルで『スーホの白い馬』を知っている人はほとんどいません。
『スーホの白い馬』の本当の話はフフー・ナムジルという民話であり、そちらはモンゴルで有名な話になっています。
スーホと殿様の対比
次は『スーホの白い馬』の物語内容について、深掘りしていきましょう。
物語の中心となるのは、貧しい羊飼いであるスーホ。
貧しいスーホは横暴な殿様と対比的に描かれ、階級的にも、人間的にも対立させられています。
- 貧しい:裕福
- 地位が低い:地位が高い
- 白馬を愛する:白馬を殺す
- 善良:悪人
このような対比で、スーホという人物を魅力的に描き、殿様に嫌悪感を抱かせるような表現になっています。
この対比は中国版『馬頭琴』になって導入されたものなので、プロパガンダ的な表現だとして強調されることもあります。
白い馬の象徴
この物語の鍵となっているのは、いうまでもなく白い馬でしょう。
この馬がるからこそ物語は愛の美しさを帯び、殿様の行為はより残虐なものに映ります。
白い馬は、はじめスーホによって暗い夜に連れ帰られました。
帰るとちゅうで、子馬をみつけたんだ。これが、地面にたおれてもがいていたんだよ。(中略)ほうっておいたら夜になって、おおかみにくわれてしまうかもしれない。それで、つれてきたんだよ。
大塚勇三『スーホの白い馬』福音館書店
暗い景色の中に美しく白い子馬という描写は、神秘的な美しさを感じさせます。
白馬はすくすくと育ち、スーホを競馬で優勝させるほど早く走れるようになりました。
貧しいスーホですが、白馬によって幸運を掴むことができたのです。
しかし、そんな白馬は殿様に略奪され、ついには殺されてしまいます。
これで終わりかと思いますが、スーホはその白馬で馬頭琴を作り、その琴の音はモンゴルの草原中に広まり、人々の心を癒やし続けたのでした。
こうしたことから、白馬は「希望」の象徴として描かれていることが分かります。
暗闇の中から出てきた希望が、殿様という権力者に立ち向かい、死してなお人々の心に影響を与えているという形です。
希望の光のイメージや、清廉さや美しさを連想させるスーホの馬は、青色でも赤色でもなく、白色でなければならなかったのではないでしょうか。
『スーホの白い馬』感想
命について考えるということ
日本では切られた肉や魚がいつでも手に入るので、生き物を食べているという実感や、その過程にある屠殺という現実にはあまり目を向けることがありません。
しかし、モンゴルでは家畜は家族のように考えられており、馬や羊、牛などと日常的に生活をともにしています。
人間よりも寿命の短い家畜と過ごし共に生きることで、モンゴルの子どもたちは命の大切を学ぶと言います。
『スーホの白い馬』は、小学校低学年が読む内容としては悲しいお話でしょう。
殺されてしまった白馬の横で咽び泣くスーホの姿を見ると、大人の僕でも同じような巨大な悲しみに飲み込まれそうになります。
ですがスーホは、悲しさと悔しさを乗り越えて、白馬で馬頭琴を作るのです。
生きていた白馬が形を変えて馬頭琴になり、スーホといつまでも一緒に暮らしたという、アニミズム(全てのものに魂が宿るという考え方)的な終わり方。
アジアを含め、日本でもなじみ深い価値観なので、ハッピーエンドとして捉える人も多いと思います。
あなたはこのラストをどう考えるでしょうか?
いずれにせよ『スーホの白い馬』は、スーホと白馬の愛を通して、命について考えることができる作品です。