『草迷宮』とは?
『草迷宮』は、逗子市葉山の秋谷邸を舞台に、母を忘れられない青年、旅をしている法師、邸に居着いている魔物が繰り広げる怪奇小説です。
泉鏡花らしい「母性の探求」や「男性性の喪失」がテーマとして読み取れます。
ここではそんな『草迷宮』のあらすじ・解説・感想をまとめました。
『草迷宮』のあらすじ
主人公の小次郎法師という旅僧が、逗子・秋谷の海岸を通りかかったときのこと、茶店の婆さんからこんなことを聞かされた。
「この秋谷にある邸で2組の母子が死産した。
孕ませた男も後を追って死に、今ではその邸に住む人間はおらず、怖ろしい変な噂ばかりがある。
そんな邸だが、最近度胸のある若い青年が間借りをしている。
法師様も行って、一晩休ませてもらうと良い、ついでに供養などもしてあげて下され。」
小次郎法師が秋谷邸へ着くと、葉越明という青年が迎えてくれた。
彼は幼い頃に母を亡くしたのだが、その母が唄ってくれていた手鞠歌をどうしても思い出すことができない。
だから、それを思い出すために全国を回って、似たような唄がないか探している。
今はこの秋谷邸に何か手がかりがある気がするから、しばらく逗留しているのだという。
しかし、この邸には噂通り怪異が起こるらしく、畳が飛んだり、行燈が浮かんだりするそうだ。
彼が邸に来た当初は、村の者も酒を持って遊びに来たそうだが、その度に怖ろしいことが起こるので、今はあまり寄りつかないという。
その晩、小次郎法師が泊まった日も、やはり怪異は起こった。
葉越明が寝た後、秋谷悪左衛門という悪魔が、僧の前に出てきたのである。
悪左衛門は小次郎法師にこんなことを言った。
「我々悪魔は、本来人前へは出たくない。
この邸も人がいないので住み着いたが、この葉越明という青年が来てからは騒がしくて適わん。
これまでは、人間が我々の姿を見てしまう前に、様々な手を使って遠ざけてきたが、こやつだけは居座り続けおる。
よほどの執念があると見えるので、もう我々が立ち去ることにした。
ときに、お前に会ってもらいたい同士がいる、呼んでもよいか。」
小次郎法師が恐る恐る返事をすると、色の白い女性が出てきた。名は菖蒲という。
菖蒲は葉越明の幼馴染みであり、彼の探している手鞠唄を知っているかもしれない人物のひとりだと、小次郎法師は葉越から聞いていた。
菖蒲はいう。
「私は確かに彼の言う手鞠歌を知っている。
ただ、私は夫のあった身ながら、彼を慕う気持ちがある。
魔物には魔物の掟があって、親子の愛すら許されず、まして他人ではなおさらのこと。
いま彼と会ったならば、その報いとして、彼も魔物になってしまう。
唄は、いつの日か天上にいる母君様が、妙なる声て唄ってくれるだろう。
それを葉越は霊感で聞いて、そのとき初めて唄を思い出すことになろう。
あなたはこのことを言ってはなりませんが、せめて葉越を励ましてあげて下さい。」
最後に菖蒲は手鞠歌を唄い、小次郎法師はその唄内容を「古郷の涅槃会」で見たことがあるように思う。
明が目を覚ましかけたので、菖蒲は小次郎法師に会釈をし、魔物たちはぞろぞろと邸を出て行った。
・『草迷宮』の概要
主人公 | 小次郎法師 |
物語の 仕掛け人 |
茶店の婆さん・葉越明 |
主な舞台 | 逗子市葉山秋谷 |
時代背景 | 明治時代 |
作者 | 泉鏡花 |
-解説(考察)-
・物語の解説
『草迷宮』はいくつかの物語軸があるため、内容が捉えにくい作品です。
ここでは『草迷宮』という物語を簡単に整理することで、物語の理解を深めていきます。
『草迷宮』には三つの物語軸と、三つの場面が描かれています。
まず、三つの物語軸は、
- 小次郎法師の旅
- 葉越明の旅
- 魔物の旅
の三つです。
小次郎法師は旅の途中で秋谷を通りかかり、秋谷邸に泊まることになり、そこで怪異を目にします。
葉越明は母親を亡くした青年で、母の手鞠唄を探し求めて諸国を旅し、秋谷邸で手がかりを見つけます。
魔物は秋谷邸に住まっており、邸に来た村人などには怪異をもって追い返します。
こうした三つの軸に加えて、『草迷宮』という物語は以下の三つの場面から構成されています。
- 茶店で婆さんが小次郎法師に話を聞かせる場面(前半部)
- 婆さんの旦那・宰八が、仁右衛門と一緒に邸へ向かう場面(前後半のつなぎ)
- 秋谷邸での出来事の場面(後半部)
茶店の婆さんは、秋谷という地に奇妙なことが起こっていることを知らせる、物語の仕掛け人です。
小次郎法師(読者)はそこで話を聞き、秋谷邸のある場所まで誘われます。
後半になると、場面は秋谷邸に据えられ、葉越明が婆さんの代わりを担って、物語を進めます。
こうした二つの場面をつなぐのは、茶店の婆さんの旦那・宰八です。
彼が邸に向かって藪道を進み、葉越のいる秋谷邸に到着することで、仕掛け人のバトンタッチが完了します。
以上が『草迷宮』の簡単な作品構成です。
このような構成に加えて、奇妙な挿話が物語の中にたくさん散りばめられています。
それらが複雑に絡み合うことで、迷宮のような物語世界がつくり出されている模様が、『草迷宮』の面白さです。
・『草迷宮』の小話
『草迷宮』の怪奇性をつくりだしているのは、以下のような奇妙な挿話です。
- 魔所と言われる「三浦の大崩壊」の近くにある子産石伝説
- 芋の葉で顔を覆いながら「通りゃんせ」の替え歌を唄う童たち
- 秋谷邸で2組の母子と一人の父親が死んだという悲劇
- 川で鞠と一緒に流れてきた猫の死骸
- 秋谷邸で日夜ある怪奇現象
これらの挿話で物語全体に効果を及ぼしているのは、
「秋谷邸で2組の母子と一人の父親が死んだという悲劇」
です。
村の人々は秋谷邸の悲劇を知っているからこそ、邸での怪奇現象を恐れています。
また、「通りゃんせ」は子どもの七五三の唄であり、いやでも死んだ子どもを想起させる歌詞内容になっているため、その不気味さを増しています。
こうした挿話は、ひとつひとつ意味があるような含みがあり、そのために物語世界はあやふやな輪郭をもって拡大されていきます。
ちなみに、「三浦の大崩壊」の子産石伝説は実際にある言い伝えであり、現在でも横須賀市秋谷の観光スポットとなっています。
・尖った物と丸い物
秋谷邸は『草迷宮』という物語の象徴的な建物です。
人の行き来も絶えているため、細道には草が茂り、いくつもある部屋は暗く閉ざされています。
邸には魔物である悪左衛門が菖蒲と一緒に住み着いており、怪奇現象を起こすことで人を寄せ付けていません。
そんな秋谷邸で、刃物がなくなるという事件が起きます。
村人たちが葉越と語らいに来たとき、その中の一人が刃物を持ってきていたのですが、どこに落としたのか失くしてしまうのです。
皆は総出になって探しますが、どこにも見当たりません。
また、小次郎法師が泊まった晩も、鋭い竹槍を持った仁右衛門がやってきますが、幻を見させられ、戦意を喪失させられます。
このような、
- 刃物
- 竹槍
といった「尖った物」は、男性的な象徴とされます。
一方で、秋谷邸には丸い物がたくさん出てきます。
- 手鞠
- 饅頭
- 丸窓
- 月
など、挙げていけばキリがありません。
こうした「丸い物」は女性的な象徴です。
「丸い物」が多くある秋谷邸で、「尖った物」がなくなったり、「尖った物」を持つ男性が戦意を喪失するということは、女性が男性性を奪うということを表しています。
その証拠に、『草迷宮』に出てくる男性は去勢された人物ばかりです。
- 子どもを持たない宰八
- 刃物をなくす村人
- サーベルを落とす警察官
- 明神様の待女に手を出して気が狂った嘉吉
- 竹槍を持ちながら戦意を喪失する仁右衛門
- いつまでも母の影を追い求める成熟しない葉越明
彼らは象徴的に男性性を剥がされていることが分かります。
子どもが生まれなければ人類は繁栄せず、その先にあるのは滅亡です。
このような象徴が物語上にひそんでいるため、滅亡の香りが物語の背景に漂い、『草迷宮』という作品に暗い色彩を帯びさせています。
-感想-
・『草迷宮』の怪奇性と葉越明の名前
『草迷宮』は幻想的だという声が多いように思いますが、個人的にはその幻想性よりも怪奇的な面白さに目が行きました。
悪左衛門なんて名前の魔物が出てきて、
「我々はできれば正体を見せたくない。でもタイミングが悪ければ見られてしまうときもあるから、その時は驚かす」
みたいなことを言う場面は、思わず笑ってしまうほどの面白さがあります。
ただ、秋谷邸という「魔所」の舞台作りは流石で、ホラーになりきらない情緒的な不気味さが魅力を放っています。
ところで、秋谷邸に間借りをする「葉越明」という青年の名前は、葉を超えていく、つまり「草」迷宮を乗り越えていくという名前です。
物語中では、彼が求めていた手鞠唄を聞くことは出来ず、草迷宮を超えていくことはありませんでした。
しかし、秋谷邸に住み着いていた魔物は彼のおかげで出て行き、暗かった秋谷邸は「明るく」なります。
物語は「草迷宮」の最も暗かった瞬間に焦点を当てていましたが、その後にあるのは明るい希望のようにも思います。
ちなみに、葉越が探していた手鞠唄と同じようなことが僕の身にもあります。
むかし母によく読んでもらっていた絵本があったのですが、どうしてもタイトルを思い出すことができず、今でも見つけられていません。
様々な手を使って探せば探すほど、その絵本への執着は強くなりました。
いまだにその絵本のことは心に引っかかっているため、葉越の気持ちはよく分かるような気がします。
以上、『草迷宮』のあらすじと考察と感想でした。
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