『河童』とは?
『河童』は芥川龍之介の晩年に書かれた作品です。
主人公が河童の国に迷い込む物語で、人間の世界とはあべこべな様子を描くことで現代社会を風刺しているといわれます。
リアルな河童の世界は芥川の想像力と精細な筆致が前面に出ており、芥川好きには特に愛されている小説でもあります。
-あらすじ-
主人公が山登りをしている途中、河童を見つけます。
珍しさから主人公は河童を追いかけますが、道にあった穴へすとんと落ちてしまいました。
気がつくとそこは河童の国でした。河童は人間を見慣れているようで、主人公を「特別保護住民」として扱ってくれます。
主人公はその世界で様々な河童と出会い交流する中で、河童の風習や文化に触れていきます。
やがて主人公は人間の世界戻りたくなり、河童の国から脱出することにします。
人間界に戻り、河童の国にながくいすぎたせいで慣れなかった人間にも半年後には慣れます。
しかし一年後ある事業に失敗したのをきっかけに、また河童の世界に帰りたいと思うようになります。
そこで家から抜けだし河童の国へ行こうとしたところ、主人公は巡査に見つかって精神病院に入れられます。
この河童の物語は、この精神病院患者が話したことを筆記したものです。
・-概要-
主人公 | 精神病院患者の第二十三号 |
物語の仕掛け人 | 河童たち |
主な舞台 | 河童の国 |
時代背景 | 1920年代 |
作者 | 芥川龍之介 |
-解説(考察)-
・河童の国の特徴
ここでは、以下の「河童の国」の特徴5つについてまとめました。
- 河童の外見
- 文化
- 思想
- 言語
- 宗教
この記事を読めば『河童』における河童の国がどう描かれているかをよく知ることができます。
・河童の外見
- 身長は約1メートル、体重はだいたい9kg~14kg。大きいもので23kg程度。
- 頭の皿は年齢とともに硬化する。
- カメレオンと同じように体色変化する。
- 服は着ない。
- カンガルーのように腹に袋を持っている。
体色変化は芥川のオリジナルで、河童の理解として一般的なものではありません。
身長のわりに体重は軽めです。人間に比べると小柄なので、主人公が河童の家に入るとすこし狭苦しいようです。
・文化
- 日本の文明と大差はない。
- 恋愛は雌(めす)が積極的。
- 演奏禁止という検閲(警察による差し止め)がある。
- 解雇された職工(工場の労働者)は肉にして食べられてしまう。(餓死や自殺の手間を省くため)
河童が肉にされるのは衝撃的です。しかし河童は、人間界でも第四階級は売春婦になっているからそれと同じだと言います。こうした描写が風刺的な作品だと言われる理由でもあります。
・思想
- 人間の真面目に思うことを面白がり、人間の面白がることを真面目に思うあべこべ状態。
- お産の時には「お前はこの世界に生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ」と腹の中の子に向かって言う。子どもが拒否するとその子は生まれなくて良い。
- 悪遺伝の撲滅。
河童の思想は人間よりも合理的で、感情的な部分が少ないところが特徴的です。
悪遺伝とは親の悪い遺伝が子に引き継がれてしまうことで、芥川自身も母親の精神病が自分に遺伝していることで悩んでいました。
・言語
・河童は独自の言語を用います。下の表がおそらく『河童』に出てくる全ての河童語です。
意味 | |
・Quax | おい |
・quoquel quan? | どうしたんだ? |
・qua | そうだ。 |
・quemol | ご飯を食べたり、酒を飲んだり、交合を行ったりする意 |
・cha | 英語のismと同じ。主義 |
・quemoocha | 生活教 |
・quorax | 間投詞の”おや” |
・Pou-Fou | 間投詞”ああ” |
河童語は基本的にローマ字読みで読むことが出来ます。「Q」から始まる語が多く、「ク」という日本語で河童らしさを表現していることが分かります。
・宗教
- キリスト
- 仏教
- イスラム
- ゾロアスター教
- 生活教
- etc...
人間の世界と同じように河童世界の宗教は多種多様ですが、主人公が訪れた河童の国で一番力があるのは生活教(河童の国のオリジナル)です。
生活教の教えは「食えよ、交合せよ、旺盛に生きよ」というものです。
聖徒にはストリンドベリ、ニーチェ、トルストイ、国木田独歩、ワーグナー、ゴーギャンなどの芸術家・作家・哲学者がいます。
以上が河童の国の特徴です。人間世界との違いを出すことによって、逆説的に人間世界の様々な事象を風刺できるようになっています。
ほかにも法律や道徳など細かい違いがたくさんあるので、注意して読むと面白いです。
・主人公は河童の国へ行ったのか?
この物語の結末部には主人公と聞き手の次のようなやりとりがあります。
そら、向うの机の上に黒百合の花束がのっているでしょう? あれもゆうべクラバツクが土産に持って来てくれたものです。…………
(僕は後を振り返って見た。が、勿論机の上には花束も何ものっていなかった。)
クラバックという河童が花を土産に持ってきてくれたという主人公と、それが見えないという聞き手が描かれています。
この描写で、読者は主人公が「精神病院にいる患者第二十三号」であることを思い出します。
それと同時に、この河童の話は本当なのか?それとも主人公の妄想なのか?という疑念が頭をよぎります。
これは物語の構造による効果だといえます。
『河童』の物語構造は、「精神病院にいる患者第二十三号」の話を物語の中の聞き手が筆記し、その筆記を私たち読者が読んでいるという二重構造です。
芥川はその二重構造を用いることで、精神患者の主観と聞き手である筆記係の客観を描き、その真偽を読者に委ねることに成功しています。
このことから、主人公は(精神的に)河童の国に行ったとも言えるし、(現実的には)行ってないとも言えます。
物語の構造を用いて、嘘みたいな話を本当らしくし、本当みたいな話を嘘っぽく描き出した芥川の手腕を窺うことの出来る作品です。
-感想-
・副題「どうかkappaと発音して下さい。」の意味。
僕はひとつだけこの物語で気になる点があります。それはこの作品のタイトルです。
『河童 ーどうかkappaと発音して下さい。』
僕が気になるのは、タイトルの横にある副題の『どうかkappaと発音して下さい。』という変な一文です。
これはおそらく、河童語で「河童」を表すときの発音が「kappa」だということだと思います。
しかし、ここの解説でも見たとおり、物語中に「kappa」という河童語は出てきません。
この話は主人公の話を筆記している聞き手が書いているという設定なので、この副題も「聞き手」が決めたと考えることが出来ます。
とすると、この聞き手は作中の範囲外で主人公から「河童」の発音は「kappa」だと聞いている事になります。
この聞き手は「彼の話をかなり正確に写した」と言って物語を進めますが、物語に出てきていない河童語を知っている以上、主人公である「精神病院にいる患者第二十三号」の話を少なくとも一部は切り取っていることになります。
つまりこの副題は、物語には出てきていない河童語を筆記係が知っていたという点から、筆記係の書くことが全てではないという芥川のメッセージであると読むことが出来ます。
ちなみに僕は、このメッセージを創作という行為の不完全性であると捉えています。
作者の身辺出来事を描く私小説の流れに抵抗感のあった芥川の発するものとすれば、決して不自然なものではないでしょう。
こうしたことも踏まえて、『河童』は芥川の想像力のたくましさと物語構造の秀逸さがみられる佳作であると思います。
以上、『河童』のあらすじと考察と感想でした。
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