『銀河鉄道の夜』とは?
『銀河鉄道の夜』は、孤独なジョバンニが宇宙を旅する物語。
宮沢賢治の中編小説で、晩年まで何度も書き直された彼の代表作でもあります。
ここではそんな『銀河鉄道の夜』のあらすじ・解説・感想をまとめました。
『銀河鉄道の夜』のあらすじ
銀河のお祭りの日、主人公のジョバンニは一人で丘に寝転び、星を見ています。
ふと気がつくと、なぜか彼は銀河を旅する銀河鉄道に乗っていました。
そこには友人のカンパネルラもいて、二人は美しい銀河を旅します。
しかし、途中でカンパネルラはいなくなってしまいます。
ジョバンニはかなしみ、窓の外に叫んで泣きます。
ふと気がつくと、彼は丘の上で眼をさましました。
家に帰ろうと思い丘を下ると、人だかりができています。
嫌な予感がしてそちらへ行くと、カンパネルラが川に入って出てこないということが分かります。
そこにはカンパネルラのお父さんがいて、カンパネルラのことはもう諦めている様子です。
ジョバンニはカンパネルラのお父さんと少し話してから、お母さんの待つ家に帰ります。
・『銀河鉄道の夜』の概要
主人公 | ジョバンニ |
物語の 仕掛け人 |
カンパネルラ |
主な舞台 | 銀河鉄道 |
作者 | 宮澤賢治 |
-解説(考察)-
実は『銀河鉄道の夜』には、完成形のほかに、3つの初期形があります。
- 初期形1(全13ページ)
- 初期形2(全21ページ)
- 初期形3(全46ページ)
- 完成形(全50ページ)
おそらく多くの人が読むのは、最後の完成形です。
ここでは、初期形1~3を全て読んだ僕が、完成形との共通点と相違点を書き出していきます。読解の手助けになれば幸いです。
・初期形1~3と完成形の共通点&物語のテーマ
『銀河鉄道の夜』の初期形1~完成形までで共通している設定は、以下の通りです。
共通の設定
- 「サソリの火」の話
- 「インディアン」の話
- 「渡り鳥」の話
- 女の子とカンパネルラの会話を見て嫉妬するジョバンニ
- カンパネルラがいなくなること
- 労働の対価としてお金をもらうこと
こうした共通点から分かることは、賢治が『銀河鉄道の夜』で何を伝えたかったのか。どんなテーマを重要視していたのかということでしょう。
その共通点をみてみると、「サソリの火」の話は「ほんとうのさいわい」とは何か?を言及し、
カンパネルラとの出来事は「友情」について描いています。
また、労働してお金をもらうことは「労働と対価」というテーマが見られます。
これらをまとめると、『銀河鉄道の夜』のテーマは、
- 「ほんとうのさいわい」について
- 「友情」
- 「労働と対価」
などであることが分かります。
どれかひとつのテーマに絞らず、人によって読み方は多様であってよいでしょう。
ここでは初期形1~3と完成形の共通点を見ることで、物語のテーマをみてきました。
次は、
- 完成形にだけ付け加えられたこと
- 完成形になったときに削除されたこと
を整理することで、初期形1~3と完成形の相違点を見ていきます。
・幻想性が強まった完成形!初期形1~3と完成形の違いについて
初期形1が13ページほどなのに対して、完成形は50ページですので、付け加えられたことはたくさんあることが分かります。
一方で、完成形になったときに初期形から削除された設定や場面もあります。それらは以下の通りです。
付け加えられたこと
- 冒頭の学校の描写
- ジョバンニが活版所で仕事をしているという設定
- カンパネルラが親友という設定(初期形では知り合い)
- 北十字とプリオシン海岸での出来事
- カンパネルラが死ぬ設定
- お父さんが帰ってくる設定
削除されたこと
- ジョバンニのお父さんが密漁師のうえ、人を殴ったから監獄に入っているという設定
- カンパネルラがいなくなった後のジョバンニのセリフ
- 「銀河鉄道体験」はブルカニロ博士の実験だったという設定
- その実験の対価でお金をもらっていたという設定
以上を大きくまとめると、初期形よりも完成形の方が物語の「幻想性」が強くなっています。
また、カンパネルラとの仲を深めつつ、彼が死ぬという設定を加えることで、ジョバンニの孤独を強調しています。
「労働」についても完成形はよりリアルな描写になり、ジョバンニの日常生活の辛さが強調されています。
一方で父親の人物像はポジティブなイメージに変わり、ジョバンニの最後の希望となるように描かれています。
このように、初期形と完成形には大きな違いがあります。
物語がより良くなったことはもちろんですが、そこから賢治の描きたかったことを読み取ることも出来るでしょう。
-感想-
・「ほんとうのさいわい」は「本当の幸い」ではないということ
『銀河鉄道の夜』ほど美しい宇宙の物語を僕はほかに知りません。
ダイヤモンドをひっくり返したようにきらきらしている星々や、白い乳のような天の川。
幻想的な天気輪の柱に、学者やインディアンなどの不思議な人たち。
そんな銀河で繰り広げられるまばゆいお話に、すっと挟み込まれるジョバンニの孤独。
この物語では「ほんとうのさいわい」とは何か?といったことが繰り返し問われるのですが、その答えを読者が探し求める必要はないでしょう。
たとえばよく言われるのが、
- 「ほんとうのさいわい」=他者貢献(アドラー的に言えば「貢献感」を持つこと)
といったようなこと。
しかし、このように「ほんとうのさいわい」を定義してしまうと、「じゃあジョバンニは他者貢献をして頑張って生きてくれよな」と彼の人生を単純化させてしまいます。
他者貢献はたしかに立派です。
しかし、それを実践したからといって「ほんとうのさいわい」が訪れるとは限りません。
これは言葉の難しいところでもあって、「本当の幸い」でもなく「真の幸い」でもなく、「ほんとうのさいわい」という言葉でしか「ほんとうのさいわい」を表すことが出来ないことに由来する問題です。
ですので、「ほんとうのさいわい」とは何かを定義することは出来ないし、仮に定義したとしても物語を味わうことには繋がらないのではないか、というのが僕の考えです。
それよりもこの物語で重要なのは、ジョバンニが「蠍の火」の話で聞いたように他者貢献の立派さを理解しつつも、それでも「ほんとうのさいわい」ってなんだろうね?と考える姿にあるのではないでしょうか。
そうしたことを考えてしまう彼の孤独感や人生観が、美しい銀河の旅を通して描かれている点にこの作品の魅力を感じます。
ちなみにですが、『銀河鉄道の夜』に出てくる「蠍の火」の挿話で扱われている主題は、『よだかの星』という賢治の他作品でも描かれています。
こちらも美しい物語です。気になった方はぜひ読んでみて下さい。
『よだかの星』も解説しているので、読んだ方or読まずにサッと知りたい方はこちらからどうぞ↓
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以上、『銀河鉄道の夜』のあらすじ・解説・感想でした。
この記事で紹介した本