『外科室』とは?
『外科室』は、身分違いの叶わぬ恋愛を描いた泉鏡花の短編小説です。
日本人らしく奥ゆかしい情緒に溢れれながらも、静かにパッと燃える二人の姿が描かれます。
ここではそんな泉鏡花の『外科室』のあらすじ・解説・感想をまとめました。
『外科室』のあらすじ
画師である「予」は、友人であり医学士である高峰が執刀する手術に立ち会うことになった。
手術は東京のある病院で行われ、患者はさる伯爵の夫人だった。
夫の伯爵や侯爵などが手術にかけつけ、姫様などは泣いている始末。
だが、いざ手術という際になると、手術台の上に乗っている伯爵夫人は、麻酔薬が嫌だと言って手術を拒む。
彼女には誰にも言えない秘密があり、麻酔薬で寝ているうちに譫言で秘密を漏らしてしまうのが怖いのだ。
麻酔をしないと手術が出来ないという周りの意見を退け、伯爵夫人は麻酔無しで手術してくれと言う。
一議の末、高峰はメスを手に取り、麻酔をかけずに胸を切り始める。
夫人はビクともしないが、白い服を鮮血が染めていく。
手捌きはさすがに見事なもので、あっという間にメスは骨に達したが、その瞬間夫人は「あ」と声を出してパッと起き上がり、メスを握る高峰の手を取った。
「痛みますか」
「いいえ、あなただから、あなただから」
そう言いながら、夫人は高峰の手を見つめ、
「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」
言うが早いか、メスを自らの胸に引きつけ、深く掻き切った。
高峰は真っ青になりながら戦きつつも、「忘れません」とひとこと言うと、夫人は嬉しげにあどけなく微笑み、命尽きた。
9年前、予と高峰はある植物園へ散策に出かけた。
そこには、美しく位の高そうな3人の女性が来ていて、その中でも特に美しかった人のことを話したことがあった。
それから9年経ち今回の手術に至るまで、高峰はあの女性のことを口に出したことはなかったが、妻を貰ってもよい年なのに妻を貰うわけでもなく、むしろ一層身を固めていた。
二人は同じ墓に入るわけでもないが、高峰は同日その後に死んだ。
宗教家に聞こう、彼らは罪悪のために天国へ行くことは出来ないのだろうか。
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・『外科室』の概要
主人公 | 画師(語り手) |
物語の 仕掛け人 |
高峰・伯爵夫人 |
主な舞台 | 外科室→植物公園 |
時代背景 | 明治 |
作者 | 泉鏡花 |
-解説(考察)-
・身分違いの恋愛
泉鏡花の『外科室』は、医学士の高峰と伯爵夫人の密やかな恋愛を描いた物語です。
といっても直接的な恋愛描写は少なく、互いに思いを心の内に秘めている陽の当たらない恋愛になっています。
表に出せない恋心を抱く二人ですが、それでも長いあいだ互いを思い続けている姿からは、一途な「熱さ」と報われない「切なさ」が浮かび上がります。
二人が互いに恋心を押し隠していた理由は、彼らの身分の違いにあります。
『外科室』の舞台となっている明治時代には、「爵位制度」というものが存在していました。
爵位には、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵があり、順番に位が低くなっていきます。
物語に出てくる夫人は伯爵の妻で、見舞いに来ている人の中には侯爵もいました。
つまり、夫人はかなり身分の高い人物で、そのことは「下」で書かれる植物園での描写からも分かります。
そのような夫人に高峰は心を奪われてしまいますが、身分が違いすぎるため、胸中は誰にも明かさず、ただ心の中で夫人のことを何年も思い続けていました。
そして夫人もまた高峰に恋心を抱くのですが、決して叶わぬ恋であることが分かっているため、思いはひた隠しにしています。
ただ、二人の生き方には決定的な違いがひとつあります。
それは、夫人が結婚していたのに対し、高峰は恋心を守って結婚しなかったという点です。
・結婚と恋愛
現代において、結婚が恋愛の延長線上にあるものだという価値観は、多くの人々の共通認識になっています。
江戸や明治にも恋愛による結婚はもちろんありましたが、どちらかと言えば身分や家柄が重視されており、格が高ければ高いほどその傾向は強くありました。
そのため、当時において恋愛と結婚は別だという価値観を持つ人は決して少なくありません。
明治時代に発表された『外科室』は、そうした結婚と恋愛の価値観を下敷きに、身分違いの恋が描かれます。
ここで注目したいのは、医学士の高峰は結婚せず、伯爵夫人は結婚しているという点です。
伯爵夫人が結婚したのは、当時の時代状況を踏まえると、結婚を迫られると拒否できない「女性の立場の弱さ」があると考えられます。
このような「社会からの見えない大きな力」にはやむなく屈する夫人ですが、彼女は結婚していてもなお高峰のことを思い続けることで、結婚という制度にささやかな反抗を試みます。
一方の高峰は、いい年であるのにも関わらず結婚をしません。
当時、男性が身を立てたら妻を貰うのが「普通」であり、結婚しない者は何か欠陥があるのではないかと噂されたりしました。
しかし、物語の後半で分かる通り、彼は妻を貰わず恋愛に生きることを選択します。
彼もまた、結婚という制度に反抗し、恋愛に生きる人物として描かれるのです。
こうしたことから、泉鏡花の『外科室』は、「結婚」に抗って「恋愛」に生きる男女の姿が描かれる物語だと言えるでしょう。
・二人の恋愛と「忘れません」
この物語は、前半が「外科室」、後半が「植物園」で話が進んでいきます。
「外科室」では夫人と高峰の一幕が、「植物園」では二人が初めて互いを見たときが描かれます。
物語の中心となるのは、前半の「外科室」の場面です。
手術台の上にいる夫人とメスを握る高橋は、言葉数少なく会話をしますが、発した言葉以上の感情が二人の間に行き交っているのが分かります。
よく分かるように、二人の会話だけを抜き出してみましょう。
高橋「夫人、責任を負って手術します」
夫人「どうぞ」
夫人「あ」
高橋「痛みますか」
夫人「いいえ、あなただから、あなただから」
夫人「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」
高橋「忘れません」
この後、夫人は「うれしげに、いとあどけなき微笑」を浮かべて息を引き取ります。
高橋の「忘れません」は、「あなたは、私を知りますまい!」に対応する言葉なので、「あなたのことは知っています(忘れるはずがありません)」という意味になります。
ですが、素直に「知っています」などと答えては滑稽ですし、なによりその真意が伝わりません。
この場面においての「忘れません」という言葉の選択は、これ以上適切なものがないというほど洗練されているといえるでしょう
また、「忘れる・忘れない」という言葉にある特徴は、その意味に含まれる「時間」の深さです。
こうした時間の深さを利用することで、「忘れません」は後に語られる9年前の出来事にも呼応する言葉としても機能しています。
そうしてこのやりとりの後に広がるのは、天も地も社会も無いような二人だけの世界です。
次には、高峰と伯爵夫人の「身体的接触」が行われる手術台の場面を見ていきます。
-感想-
・「手術台」という祭壇と捧げ物
『外科室』でとりわけ魅力的な場面は、手術台に乗る夫人とメスを握る高峰の場面です。
まず高峰が、「夫人、責任を負って手術します」と厳かに申し伝えると、夫人は「どうぞ」と答えます。
答えた夫人の頬は紅色に染まっており、外科室の無機質な世界にパッと鮮やかな彩りを与えています。
「どうぞ」と一言答えたる、夫人が蒼白なる両の頬に刷けるがごとき紅を潮しつ。じっと高峰を見詰めたるまま、胸に臨めるナイフにも眼を塞がんとはなさざりき。
泉鏡花『外科室』
頬を染めつつ胸に迫っているナイフから眼を離さない夫人には、病人に似合わない色っぽさが漂っています。
それから、
「あ」
「痛みますか」
「いいえ、あなただから、あなただから」泉鏡花『外科室』
という二人の会話は夜の床を連想させ、メスによって裂かれた皮膚から滴る血は、夫人の精神的な処女性を象徴しているかのようです。
こうした会話があった後、自分の想いを表出した夫人は、高峰の手を取りメスで胸を掻き切らせて絶命します。
二人の「身体的接触」は始終厳かに行われるため、手術台はさながら祭壇のような神聖さを帯び、外科室は神殿に変わります。
彼らが神に捧げたのは、結婚という制度に抗った「純粋な恋愛」とでも言うべきものです。
このような捧げ物を「神」が認めるのであれば、
渠ら二人は罪悪ありて、天に行くことを得ざるべきか。
泉鏡花『外科室』
というラスト一文の答えは是となり、認めないのであれば非となります。
この疑問を作中で問われているのは宗教家ですが、「神=社会」であれば、「宗教家=世間の人々」だと言えるでしょう。
このような作品の構成であるために、ラストの一文が読者に肉迫してくるのかもしれません。
以上、『外科室』のあらすじと考察と感想でした。
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