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『草は歌っている』のあらすじ・内容・感想まで!ローデシアが舞台のアフリカ文学!

2021年7月7日

『草は歌っている』のあらすじ・内容

舞台は1960年代~1970年代のアフリカ(ローデシア)

『草は歌っている』は、ローデシア(アフリカ大陸中央南部)に住む白人女性のメアリが、黒人男性の使用人に殺されたという事件から物語が始まります。

殺されたメアリはどういう人生を送っていて、どういった人物だったのか。また、黒人に殺された経緯などについて、植民地時代のアフリカを背景に描かれていくかたちです。

貧乏な家庭から自由な暮らしへ

メアリの生まれは貧しく、父親は借金と酒にまみれた男で、母親はそんな家庭に絶望しているヒステリックな女性でした。

メアリは大きくなると、ひとり寄宿舎に入れられ(それはメアリにとって非常に幸福なことでした)、16歳で学校を出て就職し、20歳にはローデシアの街で何不自由ない暮らしをしていました。

そのころ母親は死んでおり、父親はメアリを自慢に思っていたものの、何ひとつ干渉してこない人間だったので、彼女は仲の良い多くの友達や、気の良い街の人たちと遊びながら、白人の支配するアフリカでのんびりと生きていました。

焦った結婚。そして貧困

しかし30歳にもなると、結婚をしなければいけないという世間の「圧力」が彼女を襲い、慌てて結婚したのがディック・ターナーという男性です。

彼は黒人の男を80人以上使いながら農場を経営していましたが、無能なために常に貧乏をしている男で、この男と結婚したのがメアリの運の尽きでした。物語の大半は、彼と貧しく厳しい生活をしながら暮らす農場が舞台になっています。

彼女の死因に迫りながらアフリカの対立が描かれる

『草は歌っている』は、こうしたメアリの人生や、彼女の周辺にいる人物(すなわちターナーやアフリカ人の下人、農業関係者など)が描かれながら、彼女が死を遂げた(それも黒人に殺された)理由に迫っていく物語です。その背景では、植民地時代のアフリカにおける黒人の扱われ方や、それに対する白人の感情・慣例などが俯瞰的に書かれています。

黒人を人間扱いしない白人が、どのように黒人と接し、関わっていくのか。ジリジリと暑い太陽に照らされる1970年代の植民地ローデシアを舞台にした、ノーベル賞作家ドリス・レッシングのデビュー作です。

・『草は歌っている』の概要

物語の中心人物 メアリ(3歳~40歳頃)
物語の
仕掛け人
モーゼス(黒人の使用人。体力があり多少西洋の知識もある)
主な舞台 ローデシアの町→農場
時代背景 1965年~1979年(植民地時代)
作者 ドリス・レッシング
ドリス・レッシング(著)/山崎勉,酒井格(訳)

草は歌っている』を読んで分かること

  • ローデシア(1960年代~1970年代のアフリカ大陸中央南部)の状況
  • ローデシアにおける白人と黒人の関係。また男性と女性の関係
  • 植民地における大農家と小農家の農業経営
  • アフリカ大陸にいる白人貧困層の生活模様

・物語のキーワード

殺人・人種・対立・貧困・結婚・夫婦・資本家・労働者・農業・太陽・不作・悩乱・トラウマ・敗北

草は歌っている』の登場人物

○メアリ・ターナー

貧乏な生まれ。子供の頃寄宿舎に入れられてから自立して生きており、30歳までは自由な暮らしをしていた。ターナーと結婚してからは、かつての母親を思わせるような貧しい暮らしに逆戻り。次第に精神的にも参ってきて、最終的には黒人に殺される。ターナーと結婚しなかったら良い人生だったが、環境(周りの友人や社会)が彼女をそうさせなかった。

○ディック・ターナー

イギリスの貧乏な生まれで、様々な職業を経てアフリカ・ローデシアに移住。木や土といった自然を愛するがゆえに、効率的な農業ができず、金を作ることができない人物。最終的には妻を殺され、農場も大農家に買い取られる、徹底的な敗北者。資本主義の悲劇を被っている。

○モーゼス

ターナー家で働く黒人の下人。かつて修道院にいたことがあり、キリスト教や白人文化についての知識がある。白人に言わせると「知りすぎている」。メアリのヒステリーで鞭を受けたことがある。そのときのことがきっかけで、メアリはモーゼスに対して(いつか仕返しされるのではないか)と恐怖感を抱く。白人のメアリを懐柔し、同等の人間として接するも、最終的にはメアリに裏切られ(後述するトニーを盾にしながら「出て行って!」と言われる)、彼女を殺す。自分の信念を貫いたという点においては勝者。

○トニー

ターナー農場の後釜として迎えられる青年。アフリカに来て3週間しか経っていないため、当地における白人文化に馴染みきることができておらず、理想主義的なところもある。しかし多くの白人がそうであるように、彼もまた同じように「この国」に慣れていく。メアリの殺人事件をきっかけに農家の道を諦め、結果的には町の事務員として生きていくことを決めたため、周囲からは「根性のない」中途半端な青年として評価される。

○チャーリー・スラッター

ローデシアの大農家。ディックの農家の先輩で、黒人を使った農業を「金を生み出す機会」としか見ていない。あらゆる点でディックと対照的で、それゆえにディックを軽蔑しているところもあるが、嫌いなわけではなく、むしろ人間的には惹かれる部分もあることを自認している。

○メアリの友人たち

アリと気持ちよく交際していた人々。しかしよくあるように、たまたまメアリの陰口(彼女ってもう30もとっくに過ぎているのに、なぜ結婚しないのかしら?メアリはそういう感じの人なのよ。なにか欠けているところがあるのね。)を本人に立ち聞きされる。メアリはそんなことを言われているなど全く考えてもいなかったピュアな人物だったため、それ以来人間不信になり、両者の関係はぎこちなくなってしまう。メアリはセックスに嫌悪感を抱いていて、それゆえに誰かと夫婦になる必要を考えてもいなかったが、この友人たちの陰口をきっかけに、慌てて婚約者を探し始める。

草は歌っている』の感想

・表現力の高さは随一

ストア、貧乏、農場などを象徴化させることが上手で、場所そのものがまるで人のように個性を持っているように描かれています。また、人間の心の機微や、ある状況における人間関係の状態を表現する言葉が巧みで、作者が卓越した観察眼の持ち主であり、かつ、それを余すことなく表現できる言語能力を持っていることが分かります。

現代にも通ずる悲劇性

メアリの夫であるターナーは、木や土を愛しすぎているがゆえに効率的な農業ができず、資本を増やすという意味において無能な農業者です。しかし、彼の唯一と言ってもいい長所がそのナチュラリストであるところで、彼自身もそこだけは譲らずにいるため、メアリが望む裕福な暮らしは事実上不可能であり、貧乏から抜け出すことは決してないという悲劇がこの物語では描かれています。このような事態は現代でもよくあることで、プライドやこだわりを捨てられないために、現実的な豊かさやベネフィットを手に入れられないという人は少なからずいます。資本主義というシステムが生み出す普遍的な悲劇を、この時代から鋭く捉えていたことが分かります。

白人と黒人の精神的な攻防

白人であるメアリと、黒人である下男モーゼスの接近が、この物語のクライマックスであり、本小説最大のテーマにかかわってくる部分だったように感じます。誤解のないように言っておくと、この物語には、差別されている黒人を白人が憐むという構図は一切ありません。黒人は白人の使う「モノ」であり、人間的な感情を向けることなどあり得ないのです。

こうした「白人と黒人を同列とみなすことなかれ」という不文律を、意識するまでもないくらいに常識だと思って生きてきたメアリ。そんな彼女が下男で黒人のモーゼスと接触していくうち、彼のなかに人間性を見出してしまうことがあります。そうした自分の感情を猛烈に拒絶するメアリですが、モーゼスはゆっくりと、しかし確実にメアリの側に侵入してくる。拳や言葉の戦いではない、両者の精神的な攻防が、この物語の魅力的な部分だと思います。

徹底された対比構造

この小説は白人と黒人の対立がテーマとなっているため、あらゆることに対比が使われています。白人と黒人、富める者と貧しき者、夏と冬、雨季と乾季、資本家と労働者、都市と農地、集団と個人、男性と女性、トニーとモーゼス。こうした対比で両者の違いを浮かび上がらせることで、物語に立体感が増し、メッセージ性が強くなっています。

植民地時代のアフリカ(ローデシア)や、当時の人種差別や性差別、資本主義による悲劇というテーマに興味がある人は、満足できる重厚感のある小説だと思います。

この記事で紹介した本

ドリス・レッシング(著)/山崎勉,酒井格(訳)