『泣くな、わが子よ』のあらすじ・内容
舞台は1940年代後半~1950年代のケニアの農村。
そこでは大きく分けて3つの階級、すなわち、白人入植者・黒人の有力者・黒人の労働者の人々が暮らしています。
第一次世界大戦後にケニアへ入植し、広大な土地を所有するイギリス白人のホーランズ一家。白人に追従して地位を保っている、地元で有力な大農家の黒人ジャコボ一家。自分たちの土地を奪ったホーランズに対して、今では使用人として仕えているゴゾ一家などです。
主人公は、そんなゴゾ一家の末っ子として産まれた少年・ジョローゲ。彼は家族の中で唯一学校教育を受けさせてもらっていて、一家からは未来の希望を託されています。
順調に進級していく(※小学校から留年制度がある)ジョローゲですが、村には戦後ナショナリズムの高揚による、革命の雰囲気が漂いはじめます。
反乱を恐れて圧政を強める白人政府、白人に擦り寄って利益を得ようとする黒人の有力者、特権階級に抗おうとする武力勢力「マウマウ」、争いに巻き込まれる村の一般人たち。
それぞれの立場による様々な思いが交錯する「マウマウ戦争」を背景に、希望を胸に抱きながら成長する少年・ジョローゲの半生が描かれる物語です。
・『泣くな、わが子よ』の概要
物語の中心人物 | ジョローゲ(6歳~20歳) |
物語の 仕掛け人 |
ホーランズ(白人男性) |
主な舞台 | ケニアの農村(架空の村:キパンガ) |
時代背景 | 1940年代後半~1950年代 |
作者 | グギ・ワ・ジオンゴ |
『泣くな、わが子よ』を読んで分かること
- ケニア各地の村に住む人々に対して、マウマウ戦争が与えた影響
・物語のキーワード
少年・成長・家族・ケニア・土地・白人入植者・ゼネスト・裏切り・マウマウ戦争・戦後ナショナリズム・初恋・希望・絶望・離散・母の愛
『泣くな、わが子よ』の登場人物
○ジョローゲ
主人公。ゴゾ一家のなかで唯一学校に通えている少年。
○ゴゾ
ジョローゲの父。先祖から伝わる土地を持っていたが、父の代で白人入植者に取られてしまう。
○ニョカビ
ゴゾの第二夫人でジョローゲの母親。
○カマウ
ゴゾの第一夫人ジェリが産んだ三男。一家の家計を助け、ジョローゲの学費の面倒も見ている。
○ジャコボ
黒人の有力農民。植民地政府に雇われているため、地元の黒人からは敵対視されている。
○ムイハキ
ジャコボの娘で、ジョローゲの幼馴染み。
○ホーランズ
かつてのゴゾ一家の土地を所有している白人男性。第一次世界大戦後ケニアに入植。
『泣くな、わが子よ』の感想
・マウマウが与えた一般家庭への影響
1950年代~60年代は、アフリカ全土でナショナリズムの気運が高まり、多くのアフリカ諸国が植民地支配からの独立を果たしていきました。ケニアのマウマウ戦争も、そうした流れのなかで生まれた、独立のための武力闘争です。
マウマウ(独立勢力)の特徴は急進的かつ過激なところで、白人農場や親植民地派のケニア人を次々と襲撃していったため、ケニア全土を恐怖と混乱に陥れました。
この小説の舞台となっているのはケニアの一農村であり、主人公は年端のいかない少年で、マウマウの中心的な年齢層ではありません。物語で描かれるのは、マウマウという勢力が、このような一般人たちにどのような影響を与えたのかということです。作者のグギ・ワ・ジオンゴも、実際次のように述べています。
私はこの小説で、マウマウの戦争が、村にとり残された一般庶民に与えた影響を示すことに努めました。マウマウの恐怖は、それが家庭生活と人間関係を破壊したことです。友人が友人を裏切り、父親が息子に疑惑をかけ、兄弟がたがいの誠実さや善意を疑いました。
・シングルストーリーの危険性
ナイジェリアの現代作家・C.N.アディーチェが述べているように、物事を単一的な視点から見ることは、ほかの視点を排除してしまう危険性があります。
僕はまさしくこの単一的な視点に取り憑かれていて、マウマウ戦争という過激な武力闘争を起こした独立前のケニアを、過激な民族性を持つ人々が住んでいたところ、もしくは原住民をそこまで過激にさせた非道な白人入植者が多くいるところだと考えていました。
ですが、この物語から見えてくるのは、いまの暮らしを少しでも良くしたいと考えるごく普通の人々の姿で、未来に純粋な希望を抱く子どもたちの姿です。
僕が虐殺や暴動を恐ろしく思うのと同じように、ケニアの一般家庭も同じようにマウマウを恐れていて、そこで暮らす人々の思いや行動などは、状況さえ揃ってしまえばどこでも起こりうる普遍的なものなのだということが描かれています。
ケニアの一般家庭という視点から、独立前のケニアについて、僕の認識を新たにしてくれた小説でした。
・寓話のように、それぞれの役割がはっきりしている小説
この小説に出てくる登場人物は、まるで寓話のようにその役割がはっきりしています。
- 白人入植者であり、特権階級を代表するホーランズ
- 「肌の黒い白人」と言われる、親白人派の黒人を代表するジャコボ
- 特権階級から搾取される伝統的な土地の住民を代表するゴゾ
こうした3グループを、物語に登場するホーランズ一家・ジャコボ一家・ゴゾ一家に当てはめることで、植民地下の問題を分かりやすく提示することに成功しています。
それぞれの子どもたちが幼馴染みという設定
面白いのは、親白人派の黒人ジャコボの娘・ムイハキと、ジャコボとは敵対関係にあるゴゾの息子・ジョローゲが幼馴染みであるということ。それに加えて、ホーランズの息子・スティーブンも、ジョローゲと友人(関係はきわめて薄いが、敵対はしていない)にあるということです。
物語の問題自体は親の世代で起こり、子どもたちはそれに巻き込まれながら成長する。こうした二重の構造があることによって、マウマウ戦争をより客観的に見られる仕掛けになっていたように思います。
・序盤の人間創造神話――希望と絶望のお話
小説の序盤で、ギクユ族(主人公の民族)の創造神話が、主人公の父であるゴゾによって語られます。
引用すると長いので、以下に要旨をまとめますね。
- かつて、雷と雨風によって、大地は完全な闇に覆われていた。
- だが、その暗闇の中で一本の木(イチジクの木)がにょきにょきと生え、次第に大きくなった。
- 神様が、最初の人間である男の〈ギクユ〉と女の〈ムンビ〉をまず置かれたのが、このイチジクの木の下だった。すると暗闇はたちまち晴れて、太陽が照り、生命は活動をはじめた。
- 神様は二人を大きな丘のうえに立たせて、「ここから見える景色がお前たちの土地だ。豊かに耕し、私に供物をせよ」と言った。
主人公のジョローゲは、このギクユ族創造神話を聞き「僕らもギクユとムンビのように、自分たちの土地を手にして、新しい時代を創り出すんだ」と希望を膨らませます。この希望は、ジョローゲにとって生きる活力となっており、幼馴染みの少女・ムイハキと一緒に丘にのぼって、二人で未来に期待する場面が多く描かれます。
この序盤でゴゾによって語られる挿話は、この小説物語そのものを表していると言っても過言ではありません。しかし希望と絶望が移り変わりながら、ギクユの神話はまだ続いています。物語が終わったあとも、ジョローゲたちの未来がギクユを作りあげていく。そうしたことが描かれていると感じました。
以上、グギ・ワ・ジオンゴ『泣くなわが子よ』のあらすじ・感想でした。
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