『源氏物語』第18帖「松風」のあらすじ
二条東院の竣工
かねてから建設していた二条東院がついに竣工します。
光源氏はそこへ女性たちを住まわせようと考えており、東の対には明石の君に来てもらうつもりでした。
明石の君の引っ越し
しかし明石の君は自らの身分に引け目を感じていて、二条東院行きになかなか気が進みません。
それをさとった明石入道が、京都・大堰にある邸へ引っ越せるように手配し、明石の君と母親の尼君はそこへ引っ越すことになります。
須磨に残る明石入道と涙に別れたのち、明石の君はついに上京します。
大堰に忍んで行く光源氏
明石の君の上京を待ちわびていた光源氏は、紫上をなだめすかしつつ、大堰へ行く手はずを整えます。
久々に再開した二人は、あれこれと語り合いながら夜を過ごしました。
二人の間に生まれた姫君はたいそう可愛くなっており、源氏はこの子だけでも引き取りたいと考えるのでした。
紫上に養子の話を持ちかける
予定していたよりも長く大堰にいた光源氏を恨む紫上。
そんな彼女に源氏は、「明石の姫君を養育してくれないか」と持ちかけます。
子どもが好きな紫上はその頼みを引き受けようと「どのくらい可愛らしくおなりになったの?」と少し微笑むのでした。
『源氏物語』「松風」の恋愛パターン
光源氏―明石の君
- 光源氏:紫上をなだめすかしながら、明石の君のいる大堰の里へ通う
- 明石の君:上京したものの、頻繁ではない光源氏の逢瀬をうら寂しく思う
『源氏物語』「松風」の感想&面白ポイント
光源氏のハーレム・二条東院がついに完成
二条東院とは、光源氏がこれまでに関係した女性たちを住まわせるための邸です。
もちろん全員ではなく、花散里や末摘花など、ほかに引き取り手のない女性たちを集めています。
14帖「澪標」巻で建築を急がせていた二条東院ですが、それから約2年でついに完成。
スポーツで例えるなら、監督になって優秀な選手だけのドリームチームを作っていたのに、欲しかった選手が来てくれないような、そんなもどかしさがあります。
二条東院という光源氏のための恋愛空間を作りながら、そのなかで恋のもどかしさを演出する紫式部の巧みさが光る場面です。
明石の君の心境
光源氏から、
なんて言われると幸せそうなことですが、明石の君は躊躇します。
その理由は以下の三点です。
- そんなところへ行っても、おそらく光源氏はたまにしか来てくれないから虚しい
- 京都まで行ってそのように惨めな扱いを受けたならば、娘の面汚しともなるだろう
- さらに自分は田舎者だから、余計に周りから笑いものにされるだろう
それでも彼女の上京を決心させたのは、光源氏とのあいだにできた娘が田舎で育つことのほうが不幸だと考えたから。
明石の君はそれでも身の程をわきまえているので、「とても身分の高い人々でさえ、殿と付かず離れずの距離感を保たれながら、時にはつれなくもされ、物思いばかりが募っていくという噂を聞くにつけても、まして自分はたいした者でもないのに、どうして差し出がましくその輪に入っていくことができようか。この娘の面汚しになるだけだろう。たまにやって来る殿を待つだけの身となって、周りの者に笑われて恥ずかしく過ごす日々がどれほど多いことだろう」と思い乱れるも、かといって、このような田舎で育って人数にもいれてもらえないようなことにでもなれば、とても哀れなので、源氏の勧めに背くばかりもできない。
(女はなほわが身の程を思ひ知るに、こよなくやむごとなき際の人々だに、なかなかさてかけ離れぬ御ありさまのつれなきを見つつ、もの思ひまさりぬべき聞くを、まして何ばかりのおぼえなりとてかさし出でまじらはむ、この若君の御面伏せに、数ならぬ身のほどこそあらはれめ。たまさかに這ひ渡りたまふついでを待つことにて、人笑へにはしたなきこといかにあらむ、と思ひ乱れても、またさりとて、かかるところに生ひ出で数まへられたまはざらむも、いとあはれなれば、ひたすらにもえ恨み背かず。)
『源氏物語「松風」』
この明石の君の悩みを解決したのが、父・明石入道の案。
引越し先の大堰は川のすぐそばで、海の近くで暮らしてきた明石の君たちも、いくらか馴染みやすいだろうと考えたわけです。
実際、明石の母子が大堰に着いてみると、「引っ越した感じがしないほど明石の海辺に風情がよく似ていた」とあります。
「松風」巻は、このような父親の細かい心配りや、母親の心境、明石の君の感情も積極的に描かれており、「須磨」「明石」巻と同じくらい、明石一族の人間像に焦点が当てられていた話でした。
久々の源氏の夜遊び描写
この巻では、光源氏が明石の君のいる大堰に訪問し、数日間滞在する様子が描かれます。
須磨に流されて以来、光源氏は女遊びを自粛していました。
また、物語自体も周囲の女性たちを描いて細部を補強するパートだったので、久しぶりに光源氏恋愛パートの『源氏物語』を感じた巻です。
同じ人との恋愛でも舞台や境遇が変わるだけで(かつては明石浦。現在は京都大堰)、それぞれの思いも変化するところが面白く、またその機微が繊細に描かれているので面白くなっています。
紫上の感情
光源氏は、明石の君に会いに行くことを、紫上にはっきりと知らせません。
くらいのものです。
桂の様子を見に行かないといけなかったのですが、いやはや日が経ってしまいました。そのうち会いに行くよと言っていた人まで、そのあたりまで来て待っているそうですから、行かないのも心苦しくてね。嵯峨野の御堂にも、仏の装飾などをしないといけないから、二三日滞在してきますよ。
(桂に見るべきことはべるを、いさや心にもあらでほど経にけり、とぶらはむと言ひし人さへ、かのわたり近く来ゐて待つなれば、心苦しくてなむ。嵯峨野の御堂にも、飾りなき仏の御とびらひすべければ、二三日ははべりなん)
『源氏物語「松風」』
今でいうと、「地方に出張してくるついでに、人にも会ってくるよ。帰りは遅くなるから」みたいなものでしょうか。
つまり、紫上は光源氏のセリフから勘付いているわけです。女の勘というやつですね。
彼女はすぐさま恨み言を浴びせます。
そこに据ゑたまへるにやと思すに心づきなければ、斧の柄さへあらためたまはむほどや、待ち遠に、と心ゆかぬ御気色なり
(そこにあの明石の君を迎え入れるのだろうかと心づくと、「斧の柄さへ取り替えるほど長い間でしょう、待ち遠しい」と面白くない様子である)
『源氏物語「松風」』
この「斧の柄を取り替えるほど長い」というのは、中国の故事からの引用です。
故事の概略をまとめました▽
浦島太郎のような時間経過系異郷訪問譚ですね。
中国古典に色々なパターンがあり、古くは4世紀あたりにもみられます。囲碁のことを爛柯(らんか)とも言うため、この話は一般に「爛柯の故事」として有名です。
二三日で帰ってくるという源氏に対して、紫上はこの故事を引き合いにして、「私はとても長く待つことになるのでしょう」と言っているわけですね。
光源氏の浮気は横に置いておくとして、この知的な恨み言、男からするととても可愛く思えます。
葵上とは正反対の妻
ここで思い出すのが、かつて光源氏の正妻だった葵上のこと。
彼女はもっと冷淡でつれなく、言葉を交わすことはおろか、顔を合わすことさえ珍しいくらいでした。
そうしたことを踏まえると、紫上のやきもち加減は、光源氏の男心をくすぐる絶妙な加減になっているものと思われます。
光源氏が紫上の恨み言をあまり重く受け止めていないように見受けられるのは、葵上との過去があるからかもしれません。
紫上と明石の君の「待つ」
紫上の待つ
「斧の柄が朽ち果てるくらい待つ」と言った紫上。
結局、光源氏は約束の2,3日を超えて、5日目に帰ってきました。
今日は帰ってくるだろう、 今日は帰ってくるだろうと思いながら、日が暮れて、夜が更けても帰ってこない。
眠りにつくときのもやもやとした感じは、言葉に言い表せないくらい嫌な気持ちだと思います。
「松風」では、こうした紫上の「待つ」が描かれる一方で、明石の君の「待つ」も描かれています。
明石の君の「待つ」
光源氏は、大堰には「桂院を見に行く」と言って出てきた手前、そう頻繁に明石に君のもとへ通うこともできません。
せいぜい月に二度ある法要にかこつけて訪ねる程度なので、明石の君は自身が予想していたとおり、物思いに沈みます。
嵯峨野の御堂の念仏など持ち出でて、月に二度ばかりの御契りなめり。
(嵯峨野の念仏会などにかこつけて、月に二度ばかりの御契りのようだ)
『源氏物語「松風」』
この期間、明石の君は光源氏の訪問を待ち続けるわけです。
会い来られる距離だからこそ、来ない日々が辛くもあり、また長くも感じるのでしょう。
この巻では、光源氏は明石の君に尽くしているため不幸には見えませんが、実際は光源氏を待っている期間の方が長く、そこにこそ彼女の辛さがあるのです。
紫上の「待つ」だけでなく、明石の君の「待つ」も描かれるこの巻は、「松風」という題が表すように、妻たちの待つ姿が描かれている恋愛話でした。
次回の第19帖「薄雲」も、引き続き大堰にいる明石の君について触れられる巻です。はたして彼女と彼女の娘はどうなるのでしょうか。
『源氏物語』「松風」の主な登場人物
光源氏
31歳。二条東院を完成させ、花散里を迎え入れる。
この巻では明石の君も住まわせようと、いろいろに手を打つ。
明石の君
自身の身分に引け目を感じており、二条東院には行きたくないけれども、姫君のことを考えると上京しないわけにもいかない。
結局は母親の旧居である大堰の里に引っ越すことになり、光源氏と久々の逢瀬を重ねる。
明石の姫君
3歳になり、たいそう可愛らしくなっている。
紫上が育てる方向へと話が進む。
紫上
大堰に訪問する光源氏を良く思わないが、明石の君に対して嫉妬心をあらわにすることは避けたい。
光源氏に「明石の姫君を養育してくれないか」と持ちかけられる。
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