チェコの人が、日本を舞台にした小説を書いた。
それだけでも食指が動きますが、加えて芥川や横光利一、菊池寛なども出てくるというので、これは、ということで読んでみました。
ここでは『シブヤで目覚めて』のあらすじから感想、作中に登場する川下清丸についてまでをまとめました。
『シブヤで目覚めて』のあらすじ・内容
チェコ生まれのヤナは、小さい頃から日本に憧れていた。
きっかけは村上春樹の『アフターダーク』を読んだこと。それからアニメ、漫画、日本語へと興味が移り変わっていく。
好きな人は『七人の侍』に出てくる三船敏郎で、財布には写真も入れているほどだ。
大学生になると日本文学を専攻し、謎の作家・川下清丸を研究することにした。
チェコの大学で川下に没頭しながら、男友達のクリーマと距離を縮めつつも、自分の「想い」は渋谷を旅していた。
プラハと渋谷、過去と現在の物語が交錯しながら展開する、チェコ最高峰の文学賞を総ナメにしたジャパネスク小説。
・『シブヤで目覚めて』の概要
物語の中心人物 | ナヤ・クプコヴァー(幼少期~大学生) |
物語の 仕掛け人 |
ヴィクトル・クリーマ、アキラ |
主な舞台 | プラハ⇔渋谷 |
時代背景 | 現代 |
作者 | アンナ・ツィマ |
『シブヤで目覚めて』の感想
勝手に渋谷だけが舞台だと思っていた
主人公は、日本がとっても好きなチェコの女の子。
非常に日本に憧れていますが、気安く行けるところでもないので、はじめはプラハで物語が進みます。
タイトルや紹介文から、渋谷だけが物語の舞台だと勝手に考えていたので、これは少し意外でした。
という感じで、舞台が交互に入れ替わりながら進んでいきます。
時間的にも過去と現在を行き来して、空間的にもチェコと東京を行き来するので、読んでいくうちに物語世界が縦横に拡大されていく、そんな構成が面白い作品です。
極度の日本好き
主人公のヤナはとにかく日本好き。アニメ、漫画、侍、日本文学など、日本文化を狂気的に愛しています。
アジア系の容姿も大好きで、自分も同じ眼になりたいと、テープで眼をつり上げていたこともあるほどです。
三船敏郎のことは特に愛していて、妹と一緒に『七人の侍』を何度も観ています。
「今、今!止めて!」
敏郎がシャツを脱ぐシーンがある。(中略)そして二人でうっとりと裸体を眺めるのだ。
(中略)
「私が好きなのは」妹は考え込む。「顔をしかめると鼻がくしゃくしゃになるところ。それに」テレビに近寄る。「目がきれい」
「そう」私も賛同する。「こういう日本人がチェコにいないのは残念」
「抱かれたい?」
「敏郎に?もちろん」アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』河出書房新社,p25
▽ちなみに三船敏郎はこの人。
『七人の侍』では髭もあって、もっとワイルドです。
いかにも日本男児という感じで、なかなか渋いチョイスですよね。
作中に出てくる日本作品
作中では色々な日本の作品が登場します。
日本人の我々からすると面白い部分ですよね。
- 三島由紀夫『仮面の告白』
- 開高健『片隅の迷路』
- 村上春樹『アフターダーク』
- 島田荘司『占星術殺人事件』
- 黒澤明『七人の侍』
- 『伊勢物語』
- 『ポケモン』
- 『NARUTO -ナルト』
- 『犬夜叉』
などなど
ほかにも、『東と西 横光利一の旅愁』というエッセイを引きながら、芥川龍之介や菊池寛、川端康成や横光利一などにも言及していきます。
そのなかでも特に面白いのは、「川下清丸」という作家の存在です。
川下清丸という作家ついて
主人公のヤナが、日本文学の研究対象としているのが川下清丸です。
川下清丸 一九〇二年八月一六日生まれ、一九三八年三月一八日没。日本の作家、随筆家。川越生まれ。代表作に、雑誌『文藝時代』に発表された「恋人」(一九二四)、随筆「揺れる思い出」(同誌、一九三四)などがある。
日本でも有名ではなく、もちろんチェコ語には訳されていない彼の作品。
ヤナは研究のために彼の『恋人』を翻訳し、その内容は物語内で額縁構造的にテクスト化され、同時進行していきます。
さらに随筆の「揺れる思い出」では、
- 横光利一との思い出
- 芥川と関東大震災直後に話したこと
- 菊池寛に『恋人』の掲載を断られたこと
などが書かれており、川下清丸の人生をうかがい知ることができます。
其の後、私は友人や知人たちと連絡を取った。其の多くは、無傷で地震を乗り越えていた。横光は、神田の書店にいた時に地震に遭遇した。(中略)芥川は、自宅で昼食を摂っている時に地震に遭遇した。此の二人は地震後間も無く会った人物だったので、二人の話は私の記憶にまざまざと刻まれている。
アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』河出書房新社
この『恋人』という短編や「揺れる思い出」という随筆は、物語に深く関わっていくことになります。
ここで面白いのは、川下清丸という作家はどこにも存在しないというところ。
実在の文豪を絡ませながら、そのうえ関東大震災などの史実もまじえられているので、思わず錯覚してしまうようなフィクションになっているんですね。
こうしたフィクションの方法がとても面白い小説になっています。
『恋人』の日本文学らしい素晴らしさ
川下清丸がフィクションなので、作中で川下清丸の小説とされる『恋人』も、当然アンナ・ツィマの創作ということになります。
『恋人』は物語内で同時進行していくのですが、これが本当に「近代日本文学っぽさ」が出ていて、非常に良いんですよね。
春になった。清子の家の木々は咲き誇っていた。学校がない日は、彼女の許へ通った。母には友人達と遊びに出掛けると告げていた。川に唾を吐いたり公園を走り回るのは突如として莫迦らしく無駄なことに思えた。
アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』河出書房新社
ただ、『シブヤで目覚めて』はチェコ語で出版された本なので、『恋人』に日本文学らしさが出ているのは訳者の力も大いにあるのでしょう。
阿部賢一・須藤輝彦両氏の翻訳ですが、かなりの名訳だと思いました。
渋谷ばかりが舞台ではなかったのは意外でしたが、プラハでのヤナの生活も面白く、読んでいくごとに引き込まれていく小説です。
海外ならではの視点も知ることができるので、現代ジャパネスク小説が気になる方はぜひ読んでみて下さい。