『半分のぼった黄色い太陽』のあらすじ・内容
舞台は1960年代のナイジェリア
『半分のぼった黄色い太陽』は、1960年代のナイジェリアで起こった「ビアフラ戦争」を軸に進む物語です。中心人物は、イボ族のオランナとカイネネという双子の姉妹。どちらもロンドンで学士号を取得していて教養があり、美人で、父親が富豪のためお金もあるという恵まれた人物でした。
民族間対立とビアフラ戦争
当時のナイジェリアでは、イボ族・ハウサ族・ヨルバ族という3つの大きな部族が対立しており、1966年にクーデターが起こるとハウサ系の民族が実権を握り、イボ族の大虐殺が始まります。ハウサ人から逃げるイボ族はナイジェリア東部へと押しやられますが、そこでイボ族主体の独立国家「ビアフラ」を建国します。そしてそのまま、ナイジェリア対ビアフラの戦争へと発展していくのです。この戦争は2年半ほどで終結しますが、人間を餓えさせるには十分すぎる期間で、イボ人は少なくとも200万人以上の餓死者が出た、悲惨な戦争となりました。
主人公たちは戦争をどう生き延びていくのか?
そうした「ビアフラ戦争」を背景に、オランナは大学教員の恋人オデニボや、そのハウスボーイであるウグウとの暮らしが描かれていきます。一方のカイネネはイギリス人ジャーナリストの恋人リチャードや、古い男友達の軍人・マドゥとの生活が描かれており、物語は2人の視点が交互に入れ替わる形で進んでいきます。
過酷な戦争下を彼女たちはどのように生き抜いていくのか。民族のアイデンティティや、戦争・飢饉・教育などをテーマに、ナイジェリアで起こった史実をもとにして語られる、現代アフリカ文学必読の書です。
・『半分のぼった黄色い太陽』の概要
物語の中心人物 | オランナ、カイネネ(20代の女性) |
物語の 仕掛け人 |
ウグウ(13少年少年) |
主な舞台 | ナイジェリア(スッカ→ポートハーコート→カノ→ウムアヒア→オルル) |
時代背景 | 1960年代前半~後半 |
作者 | チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ |
『半分のぼった黄色い太陽』を読んで分かること
- ナイジェリアの三代民族(イボ・ハウサ・ヨルバ)
- ビアフラ人視点のビアフラ戦争
・物語のキーワード
呪術・村・双子・ナイジェリア・イボ族・ウクウ美術・ビアフラ・民族主義・対立・教育・白人・ジャーナリズム・戦争・飢饉・クワシオルコル・半分のぼった黄色い太陽
『半分のぼった黄色い太陽』の登場人物
○オランナ
イボ族の女性。富豪の両親のもとに双子の妹として生まれ、ロンドンで学士号を取得する。スッカ大学の社会学教員。美人で愛されやすいキャラクター。交際関係も広い。オデニボという大学教授を恋人に持つ。
○カイネネ
イボ族の女性。オランナの双子の姉。オランナとは違ってクールで、直接的に物を言うタイプ。父親の事業を引き継ぐ。白人の英国人であるリチャードを恋人に持つ。
○オデニボ
オランナの恋人でイボ族の男性。スッカ大学の数学教員。民主主義者で社会主義者。教授連を家に招いて毎夜理想論を繰り広げるが、その演説口調には魅了される者も多い。
○ウグウ
オデニボの家でハウスボーイとして暮らす13歳の少年。知的好奇心が旺盛で、オデニボとオランナの会話や、特別に入れてもらった学校などから広く知識を吸収しながら成長する。料理の腕は多くの客人に称賛されるほど。
○リチャード
カイネネの恋人。イギリス出身の白人ジャーナリストで、イボ族のウクウ美術に関心がありナイジェリアに来る。シャイな性格だがイボ族に対する思い入れは強く、戦時中はイボのために奔走する。
『半分のぼった黄色い太陽』の感想(多少ネタバレを含みます)
・タイトルが示すもの
『半分のぼった黄色い太陽(Half of a yellow sun)』というタイトルは、端的にビアフラの国旗を表しています。
作中に国旗の意味が書かれている箇所があるので、引用しておきます。
オランナはオデニボの布の旗を広げて、シンボルがなにを意味するかを教えた。赤は北部で虐殺された同胞たちの血、黒は彼らへの追悼の意、緑はビアフラが迎える繁栄、そして最後に、半分のぼった黄色い太陽は栄光にみちた未来を意味するのだと。
『半分のぼった黄色い太陽』河出書房新社,p321
比喩的に言えば、この小説は、物語の舞台であるビアフラ共和国という太陽が、少しだけのぼっていたときのことを描いている物語です。結果的に太陽は昇りきらなかったけれど、そのごく短い期間にあった凄惨な戦争や飢饉、それに対する世界の沈黙、またイボ族の大義や誇りなど、ビアフラで起こったことが語られています。
また、物語の中心人物である双子の姉妹の未来についても、このタイトルは暗示的に響きます。原題は『Half of a yellow sun(半分のぼった黄色い太陽)』。読んだ方は理解できると思いますが、つまり、半分だけしか太陽は昇らないのです。
読み終わって見返したとき意味が広がる、非常に良いタイトルだと思います。
・「料理」で描く戦争
この小説では戦争の厳しさがより伝わるような仕掛けとして、「料理」が効果的に用いられています。
戦前では美味しい料理がたくさん食べられて、肉も米も飲み物も十分にある、素晴らしい世界が描かれます。しかし、戦火が激しくなるにつれて、描かれる料理の量は少なくなり、次に肉がなくなり、飲み物もなくなっていきます。最終的には食べ物はほとんどなく、主人公たち這っているトカゲを食べたり、コオロギを食べたりする場面が増えてくるのです。豊かだった生活に、駆け足で飢饉が迫ってくる様子を、この小説では「料理」を丁寧に描き分けることで効果的に伝えています。
印象的だったのは終盤の食べ物の描写です。たくさんの犠牲をともなった戦争が敗北という形で終わり、主人公たちがナイジェリアへ行くと、そこには米や魚、血の滴る肉などが普通に売られているんですね。ビアフラでは決してみることの出来なかった貴重な食料が、国境を越えたすぐ近くの敵の街では平然と売られている。「自分たちは死ぬ気で何と戦っていたのだろう?」という無力感が、この食べ物の描写で一気に押し寄せてきます。
しかし、戦争が始まる前までは、主人公たちも美味しいものをたくさん食べていたわけなので、普通の状況が普通にあるだけなのですが、それがとても非現実的にうつります。このような、かつて現実だったものが、戦争の後では非現実的になるという奇妙な体感を、この小説は「料理」という仕掛けでうまく表現していると思います。
・ウグウの成長
個人的に面白かったのは、ウグウという少年の成長です。彼は田舎の村から町へ出てきた13歳の少年で、教授・オデニボの家のハウスボーイとして暮らすようになるのですが、ウグウはオデニボの知性に魅了されていくんですね。
そこから、ウグウ自身も色々なことを学びたいと考えて、実際にオデニボや学校などで知識を吸収していきます。そんな彼の知的好奇心の熱量には、こっちまで心を動かされるものがあり、知識への欲求をうまく表現していると感じました。
ビアフラ共和国の建国にあたって、目先の問題としては安全保障や国家の維持がありました。ですが長い目で見ると、結局はその国の子どもたちがビアフラの未来を作っていくのであり、彼らの教育がかなり重要になってきます。
ウグウはそんなビアフラ(≒イボ)の未来であり、そんな彼の成長は物語のなかでも際だって面白い部分でした。
『ぼくらが漁師だったころ』など、「子どもが未来を紡いでいく」という同じテーマを持つアフリカ文学多いので、興味のあるかたはぜひ探してみて下さい。
以上、『半分のぼった黄色い太陽』のあらすじ&感想でした。
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