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『小さきものたちのオーケストラ』あらすじ&感想!守り神の語りからイボ族の宇宙観まで!

2021年10月13日

『小さきものたちのオーケストラ』のあらすじ・内容

人間には誰にも、私のような守り神が付いている。

私はチノンソという男の守り神だ。

ある日、チノンソは橋から川へ飛び込もうとしていた女性を引き留めた。

彼女はンダリという女性で、夫に逃げられたために命を絶とうとしていた。

チノンソとンダリは恋に落ちるが、資本主義的な階級差が、二人の仲を引き裂く。

つまり、ンダリは首長の娘で、お金持ちだ。イギリスの大学を出ていて、豪勢な家に住んでいる。

一方のチノンソはといえば、大学には行っておらず、父親から引き継いだ養鶏場で鶏に囲まれて暮らしている。

当然、ンダリの両親は結婚に反対だ。

チノンソはどうにかして結婚を認めてもらおうと、学位を取るためにキプロスへ行くが、そこから悲劇は始まる。

いや、もしかすると、悲劇はもっと前から始まっていたのかもしれない。

ここでは我らの神々に向けて、彼が犯してしまった過ちに至るまでの経緯をお話ししたい。

・『小さきものたちのオーケストラ』の概要

物語の中心人物 チノンソ
物語の
仕掛け人
ンダリ
主な舞台 ナイジェリア→北キプロス→ナイジェリア
時代背景 現代
作者 チゴズィエ・オビオマ

『小さきものたちのオーケストラ』の感想

守り神(チ)という語り手の設定

『小さきものたちのオーケストラ』で面白いのは、

守り神(チ)が宿り主(主人公)の物語の語り手になっていて、それを神々に話している

という物語構造です。

図解するとこんなふうですね▽

あらすじだけを見ると、赤い四角の部分しか分かりません。

しかし読んでみると、物語世界は外側にも広がっていて、その外側の世界が面白い小説でした。

神の視点

物語を語るには色々な手法がありますが、三人称でどんな場面でも自由に描写したいときによく使われるのは「神の視点」です。

『小さきものたちのオーケストラ』は「神の視点」ではなく、「守り神の視点」で語られます。

「守り神(チ)」は、

  • 主人公の知識・認識を超えたことでも語ることができる
  • 主人公から遠く離れた場所・人のことも語ることができる
  • 守り神として関わった過去の人間・時代のことも語ることができる

という特徴がありますが、人間(宿り主)からずっと離れることはできないので、知識や「神の視点」よりも制限があります。

そこでわたしは肉体を離脱して、女性のあとを追うことにした。この女性が前の人のように姿を消さず、そばにいるとしたらどうなるのか、確かめたかったのだ。

チゴズィエ・オビオマ『小さきものたちのオーケストラ』早川書房,p64

こうした斬新な語りは、『小さきものたちのオーケストラ』を特徴のひとつになっています。

「守り神」を通して分かるイボの宇宙観

守り神の語りは、常に神々に語りかけているということを、読者に意識付けるように繰り返されます。

たいていの段落は以下のように始まるのです。

  • チュクウよ、
  • オゼブルワよ、
  • アクワークウルよ、
  • ガガナオグウよ、
  • アカタカよ、
  • オバシディネルよ、
  • イジャンゴ・イジャンゴよ、

これは全て神々の呼称で、この他にもたくさんあります。

ときには、「万物の創造主」といった言葉が前につくこともありますね。(またあるときには、「神々」も守り神に言葉を返すこともあります)

こうした語りかけの構造は、「イボ族の宇宙観」を伝える効果を担っています。

イボの宇宙観

キリスト教の宇宙観では「天国と地獄」があったり、仏教だと「輪廻転生」があったりしますよね。

ナイジェリアのイボ族が持つ神話にも、同じような宇宙観があります。

ナイジェリアの文学、特にイボ族出身作家の小説を読むと、こうしたイボの宇宙観が必ず漂っています。

たとえば、

  • 『崩れゆく絆』チヌア・アチェベ
  • 『半分のぼった黄色い太陽』チママンダ・アティーチェ

などですね。

また、『やし酒飲み』のエイモス・チュツオーラはヨルバ族(同じナイジェリア)ですが、精霊信仰の雰囲気は似通った部分があります。

彼らの作中では、「守り神」や「死人の魂」などについて語られる部分がよくあるのですが、彼らの宇宙観全体が具体的に分かる小説はこれまでありませんでした。

イボ族神話を知らない多くの読者は、彼らの書いたテクストを独自の解釈で受容するしかなく、結果としてマジックリアリズムのような印象を受けることがしばしばあるように思います。

『小さきものたちのオーケストラ』は、そうしたイボの宇宙観を惜しみなく伝えてくれて、理解させようと努めてくれている点に革新性があります。

小助
実際、さきほどの図解も、作中にあった「イボの宇宙論の図解」をシンプルに書き直したものです。

「アフリカ的」といわれるようなマジックリアリズムや、アチェベやアディーチェのようなイボ族作家の作品をより深く味わいたいという方にとって、『小さきものたちのオーケストラ』はアフリカの神話・精霊信仰の理解を助けてくれる、必読の一冊となることでしょう。

ストーリーテラーの力を発揮するための装置:イボの箴言

イボの格言や箴言が多いことも、この作品の特徴でした。

アバタ・アルマルよ、昔日のご先祖は言う。人は光がなければ影を作れない。この女性は思いがけなく唐突に現れた光であり、あらゆるものから影を生んだ。

チゴズィエ・オビオマ『小さきものたちのオーケストラ』早川書房,p51

イジャンゴ・イジャンゴよ、いにしえの父祖たちは、人類の賢明な叡智を用いてこう言ったものだ。人生とは回転台の上に載っているようなものである。あちらこちらにまわって、一瞬のうちに運命が著しく変わりうる。

チゴズィエ・オビオマ『小さきものたちのオーケストラ』早川書房,p143

このように、チゴズィエ・オビオマの『小さきものたちのオーケストラ』では、箴言や格言を多用しており、同じイボ族の現代作家であるチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの作品は、イボのことわざを作中に取り込んでいることが特徴的です。

このどちらにも共通するのは、その土地伝来の先祖の知識や言葉を取り入れることで、イボの生活に根付いたイボらしい語りを再現しようとしているところ。

格言・箴言・ことわざを用いることで、彼ららしい個性あるストーリーテラーの力を発揮することを可能にしています。

西洋文化に引き裂かれる恋愛

「学歴」に引き裂かれる二人

チノンソとンダリの恋愛は、ンダリの両親によって引き裂かれてしまいます。

その理由は、チノンソに学位がないということ。

彼は高校しか出ておらず、仕事も養鶏場を持っているだけです。

昔のイボであれば問題にならなかったことが、ナイジェリアが近代化したことによって問題になっているということは、注目すべきでしょう。

小助
学歴というシステムは西洋のもので、かつてのナイジェリア(ひいてはアフリカ全土)には無かったものです。

そうした文化が侵入してきて、止めようがないところまで食い込んでいる。

チノンソとンダリの恋愛は、その被害を受ける形で描かれていきます。

時間(時・分・秒)という概念

作中では、

「時間」という概念も我々の生活を変えた

ということが強調されています。

かつてのイボの集会では、

「太陽が真上に昇ったら集まろう」

という感じで、その頃になるとちらほら人が集まってきて、皆がそろったところで会合が始まる。

そのような暮らしを何百年と続けてきました。

しかし、西洋文化が「時計」をもたらしたことによって、彼らもきちっとした時間で行動するように求められていきます。

小助
おおまかな時間をはかるもの(日時計など)は太古の昔からありましたが、分や秒が使われ出したのは近代になってからですよね。

ンダリはチノンソに、

「絶対に遅れないでね。父は時間にうるさいの」

と言っています。

つまり、ンダリの父親は「一分一秒」を気にする近代的(西洋的)な人だ、ということが分かります。

一方のチノンソは、ンダリの家族との初めての夕食に15分遅れて行きます。

彼は真面目な性格ですが、悪びれている様子はありません。

「時間を守る」という概念を理解はしていますが、15分など許容範囲なのでしょう。しかし、ンダリはすごく怒ります(「15分も遅刻よ!」)。

『小さきものたちのオーケストラ』では、この「時間」という概念も、物語のキーになっていきます。

「時間」に引き裂かれる二人

『オデュッセイア』では、妻が夫を20年間待ち続けたことで、二人は真実の愛を確認し合いました。

『小さきものたちのオーケストラ』でも、ンダリがチノンソを待つことになるのですが、オデュッセイアのようにはいきません。

なぜなら、現代には時計があり、時間という概念が浸透していて、ひとときでも無駄にできないと誰もが思っているからです。

たとえばどうでしょうか。

愛し合っていて結婚を約束した相手が遠い国へ行くとしましょう。連絡はほとんど取れません。あなたは何年相手のことを待てますか?

オデュッセイアのペネロペは、夫を20年間待ちました。それは彼女の貞淑さが成せるわざでもあるでしょう。

しかし『小さきものたちのオーケストラ』を読むと、

当時(紀元前800年とか)は、時間という概念が今ほど強くなかったから待てたのではないか?

と考えずにはいられません。

西洋文化が浸透していなかった時代のイボ族であれば、ンダリはペネロペのように、夫を待つことが出来たかもしれません。

しかし、秒刻みの時間という概念が浸透した「時間を大切にする」現代で、相手を20年間も待つことは不可能に近いでしょう。

つまり、チノンソとンダリは、ここでも西洋がもたらした文化によって引き裂かれている、という構図が見て取れるのです。

アフリカ文学史に残る作品

チノンソの素朴な人柄が織りなす人間関係や、ジャミケという友人との間に起こった事件。

ンダリの家族がチノンソにした行為も印象的ですし、キプロスでの生活でも様々なことがあります。

ラストシーンでは、ンダリがかつて、

「あなたは愛するものためなら、なんだってする人ね」

と言ったセリフを回収するような出来事が起こります。

長い物語なので、ここではまとめきれないくらい話したいことがたくさんあります。

守り神の語りや、イボの宇宙観という壮大な構成に合わせて、欲を言えば、もう少し壮大なプロットでも耐えうる作品だったかもしれません。

しかし、イボの宇宙観(ひいてはアフリカの精霊思想や土着信仰の精神世界)を文学的に示したという点において、僕のアフリカ文学史に残したい小説となりました。

『小さきものたちのオーケストラ』を読んで分かること

  • イボの宇宙観

・物語のキーワード

愛・恋・裏切り・憎しみ・資本主義・西洋文明・偏見・イボ族・守り神・精霊・牢獄・贖罪・赦し・再会・悲劇

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