芥川賞受賞作

『コシャマイン記』をあらすじから解説!!芥川賞受賞のアイヌ物語!

2019年11月3日

『コシャマイン記』とは?

『コシャマイン記』は第三回芥川賞を受賞した鶴田知也の作品です。

日本が侵略するアイヌを背景に、気高い酋長の血を継いだコシャマインの人生が描かれます。

ここではそんな『コシャマイン記』のあらすじ・解説・感想をまとめました。

『コシャマイン記』のあらすじ

この物語は巫女カピナトリが語る神謡である。

アイヌの酋長ヘナウケが日本の大群と交戦するとなったとき、妻のシラリカに息子コシャマインを託し、護衛に戦士キロロアンを付けてこれを逃した。

ヘナウケは松前藩の大将トシヒロに討たれたが、コシャマインたちは生き延びることが出来た。

その後、コシャマイン一行は安寧の地を求めて、アイヌを転々とすることになる。

・『コシャマイン記』の概要

主人公 コシャマイン
物語の
仕掛け人
巫女カピナトリ
主な舞台 蝦夷
時代背景 江戸時代
作者 鶴田知也

-解説(考察)-

・アイヌと和人の戦の歴史 ~アイヌの血と和人の血~

『コシャマインの戦い』は、アイヌと和人の歴史を知るとより分かりやすい小説だと思う。

ここでは物語で取り上げられている、

  • 和人のアイヌ侵略の歴史

をかんたんに解説していく。

アイヌは昔から、和人の侵略を度々受けてきた。

14世紀頃から和人のアイヌ進出は徐々に始まり、1450年頃には「道南十二館」と呼ばれる和人の館が道南に建ち、アイヌとの交易や領地支配などの拠点となった。

当然、アイヌと和人の摩擦は起こってくる。

1457年の「コシャマインの戦い」では、和人がアイヌの子どもを殺したことをきっかけに、アイヌの大首長コシャマインが武装蜂起し、道南十二館のうち十館を落とした。

しかし、その中の蠣崎季繁(かきざきすえしげ)によって、アイヌの英雄コシャマインは討たれてしまう。(このコシャマインは物語の主人公ではない)

以降、道南では蠣崎氏の勢力が優勢となり、アイヌと和人の戦いは、

  • アイヌVS蠣崎氏族

という形になっていく。

1529年、アイヌの大酋長タケナシ(タナサカシ)がアイヌの大軍をもって武装蜂起するも、当主・蠣崎義広が偽りの降伏状でタケナシを誘い出し、これを殺した。

7年後の1536年、アイヌの勇猛な酋長タリコナが蜂起するが、再び義広の虚偽の和睦によって欺かれ、タケナシと同様の運命をたどった。こうして西蝦夷はしばらくの間、和人によって踏みにじられることになる。

江戸時代に入ると、蠣崎は松前と姓を改名し、松前藩主となる。

1643年、タケナシの血を継ぐ若い酋長ヘナウケが、松前藩を相手に武装蜂起する。しかし最後には蠣崎利広に討たれてしまう。

物語ではこのヘナウケが、『コシャマイン記』の主人公・コシャマインの父だとされる。

以上、アイヌと和人との間に起こった大きな戦の歴史をざっと見てきた。

略年表
1450年頃 和人が道南十二館建設
1457年 コシャマインの戦い
1529年 アイヌ酋長タケナシが武装蜂起
1536年 アイヌ酋長タリコナが武装蜂起
1643年 ヘナウケの戦い

この歴史を見て分かるのは、アイヌでは、

  • タケナシ→タリコナ→ヘナウケ→コシャマイン

というが続いているのと同様、和人では、

  • 蠣崎季繁→蠣崎義広→蠣崎利広

という一族が、時代を経てずっとアイヌと戦をしている。

こうしてみると、『コシャマイン記』ではそんな「血の繋がり」が、構成的に描かれていることが分かる。

このような歴史を背景に、『コシャマイン記』の物語りは紡がれていく。

・「巫女の語り」という構成

『コシャマイン記』は、

  • 巫女カピナトリの神謡

という形で物語が進められる。

これは祖母が神威様から授かって私に伝えた神謡だ。祖母は大変よい声だった。私はだめだ。それにたくさん忘れたところがある。そんなところは私が思うとおりに唱ってしまう。

鶴田知也『コシャマイン記』文藝春秋,p61

「私が思うとおりに唱ってしまう」という前置きによって、史実との相違問題は無くなり、物語はフィクションとして動き出す。

アイヌ人の巫女の語りであることから、アイヌの言葉がところどころに見られ、日本人の名前は全てカタカナで書かれている。

つまりこの物語は、アイヌの視点からアイヌに伝わる物語をアイヌの人間が語っており、それを日本人が日本語で書きしたためたというような構成になっている。

したがって、アイヌ人の語りの文体などは、故意に翻訳調めいた文章で書かれている。

「今この可愛らしいヘカチ(少年)がいった言葉が本当だとは、どうして信じられましょう?あの雄々しい最期を遂げたヘナウケが、その血統を絶たぬために、妻と一人子とを隠したということは知っておりますが、今その妻とその一人子とをこんなところに見るなどとは不思議でなりません。」

鶴田知也『コシャマイン記』文藝春秋,p70

このような文体を用いることによって、あたかもアイヌ文学を翻訳したというような形を、物語の中でつくりあげている。

作者はこうしたアイヌ人の視点を借りて、侵略する和人を否定的に描いていく

・作者の文明批判

アイヌ人は、自然や生き物の命に敬意を持って、神に定められた戒律を大事にする。

しかし和人は魚を乱獲し、神の地の木を伐採して、アイヌの土地を侵す。

『コシャマイン記』では、こうした

  • アイヌと和人の対比

を巧みに浮かび上がらせ、アイヌ側の視点から文明批判を試みている。

特に、もともとプロレタリア文学の畠にいた作者であるから、労働に対する描写には熱がこもっている。

以下は、コシャマインと死にかけた和人の労働者の会話である。

「なぜお前をニシパ(親方)は虐めるのか」「私が働けないからだ」「お前は病人ではないのか」「それでも働かなければならぬ」「なぜニシパはお前をそんなに働かせるのか」「私は傭われているからだ」「お前は死んでしまうではないか?」「死ぬまで働かされる」「それはイレンカ(戒律)に逆いている!」「それがニシパ(親方)のイレンカ(戒律)だ」その夜、哀れな日本人は口と鼻からたくさんの血を吐いて死んだ。

こうした日本の労働者の悲痛さは、作中で描かれるアイヌの暮らしからは想像が出来ない。正確に言えば、想像が出来ないように描かれている。

このような、アイヌ文明と和人文明の対比による文明批判が、『コシャマイン記』からは読み取れる。

では、そんな『コシャマイン記』を時代の文士たちはどのように捉えたのだろうか。

次には『コシャマイン記』が芥川賞を獲ったときの選評者の評価を見ていく。

・第三回芥川賞『コシャマイン記』の選評者の言葉

ここでは三名の選評をピックアップした。

選評者の言葉は全て文藝春秋『芥川賞全集一』から引用する。

・菊池寛

古いとか新しいとか云う事を離れて、立派な文学的作品であると思った。同人雑誌の項に埋もれさすべきものではないと思った。

・佐藤春夫

古朴な筆致の取材の悲痛なのと相俟って異彩のある文学をなしているのを喜ばしく思う。

・室生犀星

今どきに珍しい自然描写などもあり、何か、むくつけき抵抗しがたきものに抵抗しているあたり、文明と野蛮とのいみじい辛辣な批判がある。

このほかにも堂々たる選評者が並ぶなか、『コシャマイン記』の評価はいずれも高い。

菊池寛によると、この作品はほとんど満場一致で入賞したという。

作者の鶴田知也氏は、受賞者の言葉の締めで「これからも従来通り、ゆっくり書いて行き度いと思っている」とマイペースな姿勢を見せた。

受賞後は十年間ほど小説を書き続けたが、その後小説から離れ、亡くなる前の30年間は筆を執ることがなかった。

そういうわけで、『コシャマイン記』はそんな鶴田知也氏の代表作として知られる作品でもある。

-感想-

・純朴なもの

アイヌの言葉を聞くと、なにか不思議な気持ちにさせられる。

僕の生まれは大阪で、父方の祖は島根、母方の祖は鳥取だから、アイヌの血を引いているはずはない。

けれども、アイヌ民謡を聞いたりアイヌ儀式などを資料で見たりすると、胸が締め付けられる思いがするから不思議だ。

滅びゆくものへ向けられた、浅はかな同情の念なのだろうか。少し違う気がする。

『コシャマイン記』を読み、北国の冷厳な風景とそこに住むアイヌの人々に思いを馳せると、同じく胸が締め付けられるような心持ちになる。

この物語に出てくるアイヌ人は気高い精神を持っている者ほど純朴で、そうでない者ほど狡猾だ。

それゆえ同じアイヌ人でも、気高い精神を持つ純朴な者が和人の騙し討ちに遭って死んでいき、戒律などを軽んじる狡猾な者ほど世の中を上手く渡って生き残る。

純朴な者ほど報われないという構図が、物語から浮かび上がってくるのだ。

僕は何も、自分が純朴だと言うんじゃない。むしろどちらかと言えば卑怯な方だと思う。

けれどもそうした純朴なもの――純朴な音楽や純朴な活動、純朴な精神――に、心が動かされているのかもしれない。

『コシャマイン記』ではそうした純朴さが、アイヌと和人の侵略を通して描かれている。

アイヌ人の雰囲気やアイヌを舞台にした作品に触れたいという人に、強くおすすめする。

この記事で紹介した本