『葉』とは?
『葉』は太宰治の初期作品で、『晩年』という短編集に収められています。
作品はあまり知られていませんが、その冒頭は有名です。
「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」
実はこの作品、エッセイや短編小説のようなものの断片を、ただつなぎ合わせたもので、一つの物語ではありません。
ですので、読んでみて、「なんだこれ?」と思った方も多いかもしれませんね。
ここでは、この断片集の注目ポイントや読み方、作中の小篇『哀蚊(あわれが)』などに着目して、作品の解説をしていきます。それでは見ていきましょう。
-解説(考察)-
・断片はいくつあるの?一つの物語じゃないってどういうこと?
『葉』は全部で35の断片からなっています。それらの断片はおおまかに、短編・アフォリズム・詩・俳句・小篇・覚え書きなどのジャンルに分けることができます。
冒頭でもすでに述べましたが、作品に物語はほとんどないので、『葉』は小説と言うよりも、メモ帳や断片集といった方がふさわしいかもしれません。
ジャンルごとの断片の数は以下の通りです。
ジャンル | 数 |
短編 | 2 |
アフォリズム | 2 |
詩・俳句 | 2 |
小篇 | 15 |
覚え書き | 14 |
こうしてみると、小篇や覚え書きが多いことが分かります。
ここでいう小篇とは、物語調のエッセイみたいなものです。小さな出来事が綴られています。
覚え書きは、「私がわるいことをしないで帰ったら、妻は笑顔をもって迎えた」のようなものから、「水到りて渠成る」のようなつぶやきまでをカウント。
また、俳句は「病む妻や とどこおる雲 鬼すすき」のひとつ、最後の断片は詩としました。
これらのごくごく短い文章や言葉の中に、太宰の思いや感情がにじみ出ています。
太宰治という作家は、こうした感情を源に作品を仕上げる人物です。ですので、この『葉』に収められた35の断片は、太宰治の感情の原石だという事ができるでしょう。
『葉』は様々な形式の言葉から、独特なニュアンスを読み取ることで、太宰治らしさを感じ取ることのできる作品です。
・『葉』の短編の『哀蚊』を解説
この作品には二つの短編があります。
そのひとつが『哀蚊』という話で、主人公とお婆さんの話です。
幼い主人公はお婆さんを慕っており、お婆さんはよく寝物語を聞かせていました。
ある日、主人公は夜中にトイレへいこうとしますが、一緒に寝ていたお婆さんはなぜかいません。
廊下に出ると、姉夫婦の寝室を覗いている幽霊が見えたのです。
話はこれだけなのですが、よく読むとこれは幽霊ではないことが分かります。
主人公がトイレに行った夜、お婆さんに聞いた寝物語は、「秋まで生き残っている蚊は哀れだ」という話です。
そして、お婆さん自身も「自分は哀蚊だ」と言っています。これは、自分が無駄に生きながらえて、なおかつ欲望が絶えていないことを表しています。
したがって、主人公がみた寝室を覗いている幽霊は、お婆さんの姿でしょう。
しかし、「姉夫婦の寝室を覗く」という行為が意味することを、幼い主人公ははっきりと理解していないはずです。ただ、見てはいけないものを見てしまった感覚になったのでしょう。
それが「おそろしい」という感情に繋がり、あれは幽霊だ!という理解に行き着いたのだと思います。
こうしてみると、『哀蚊』という物語は、幼い主人公の性との邂逅の話であることが分かります。
太宰は大きくなって当時の出来事を思い出し、その全てを理解したのでしょう。そうしてその話に『哀蚊』というタイトルを付けました。
それは、お婆さんの寝物語が「哀蚊」だったというだけではなく、お婆さん自身が「哀蚊」だったということが、本当の意味で分かったからだったのだと思います。
『葉』にはこのようなしっかりとした短編も入っているので、この「哀蚊」の話だけを読んでみても面白いかと思います。
-感想-
・『葉』で僕が好きな断片
僕が好きなのは、二つある短編のうち、もう一方の「外国の少女が花を売る話」です。
素直な清らかさと愛が退廃的な雰囲気で描かれていて、太宰らしさの出ている佳作だと思います。
ほかにも、「一緒に心中した女性が海の中で叫んだ名前が、自分の名ではなかった」という小篇や、最後の断片の「詩」なども好きです。
『葉』というタイトルからも分かるように、これらの断片は、枝に着いている様々な形の葉です。
一つの物語にこそなっていませんが、それぞれの葉を見て楽しむことができる作品だと思います。
以上、太宰治『葉』のあらすじと考察と感想でした。
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