『人間失格』とは?
『人間失格』は、太宰治が完成させた最後の長編小説です。
『斜陽』で人気作家となっていた太宰の自殺はセンセーショナルなニュースとなり、当時刊行されていた『人間失格』は注目の的になりました。
そうした背景もあり、発表当時から人気のあった本作は、今では夏目漱石の『こころ』と並ぶほどの発行部数を誇ります¹。
ここでは、そんな太宰文学の金字塔とも言える『人間失格』を、あらすじ・解説・感想の三項目からみていきます。
-あらすじ-
『人間失格』は、
- はしがき
- 第一の手記
- 第二の手記
- 第三の手記
- あとがき
という五つの章で構成されています。
一章の「はしがき」は、"ある男"の三枚の写真を見たという、私の語りから始まります。
- 一枚目は子どもの頃
- 二枚目は青年の頃
- 三枚目は大人の頃
の写真で、そのどれもが不気味な顔をしています。
つづく章の、第一から第三の手記は、その写真の「ある男」による独白文で、名前は大庭葉蔵であることが分かります。
「第一の手記」は子どもの頃、「第二の手記」は青年の頃というように、はじめの写真と対応しながら、大庭葉蔵の「恥の多い生涯」が告白されてゆきます。
最後の章の「あとがき」は、「私」がその手記と写真を手に入れた経緯が描かれています。
そうして物語のさいごは、手記と写真を「私」に渡したバーのママの台詞で終わります。
・-概要-
主人公 | 大庭葉蔵(手記の主人公) |
物語の 仕掛け人 |
堀木正雄 |
主な舞台 | 東北の田舎→東京 |
時代背景 | 大正末期~昭和初期 |
作者 | 太宰治 |
-解説(考察)-
・主人公はなぜ「道化」を演じるのか?
『人間失格』の読み取りポイントは、主人公の「道化」にあります。
自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
そこで考え出したのは、道化でした。
作中で、主人公は自分の気持ちをひた隠しにして、周りのものを楽しませることだけに力を注ぎます。
なぜなら、主人公にとって、周りの「理解出来ない人間」と自分との間をどうにかつなぎ止めるものが「道化」という方法だったからです。
このように主人公は、周りの人間との関係を「道化」という仮面を被ることでしか築けません。
そうした主人公の悲しさが、『人間失格』では描かれています。
しかし、いつまでも人を欺けるものではありません。
主人公の「道化」は、物語の中で三人の人間によって見破られます。
『人間失格』は、主人公がその道化を見破られてゆく物語だと言えます。
次の見出しでは、道化を見破った三人の男について見ていきましょう。
・主人公の「道化」は誰に見破られたか?
主人公の「道化」を見破った人物は、
- 中学同級生の竹一
- 40代の刑事
- 友人の堀木正雄
の三人です。彼らに自分の道化が見破られるたびに、主人公は打ちのめされてゆきます。
ここではその三人が「道化」見破った場面をそれぞれ見ていきます。
・竹一
竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁ささやきました。
「ワザ。ワザ」
竹一は主人公と同じ中学の同級生で、勉強は少しも出来ず、体育などはいつも見学という生徒です。
主人公の「道化」を初めて見破ったのが、この竹一です。
見くびっていた竹一に見破られたことで、主人公は不安と恐怖にさいなまれる日々を過ごします。
ちなみに竹一は、主人公に向かって「お前は女に惚れられるよ」という予言をのこし、主人公は実際に女の影が絶えない人生を送ることになります。
・刑事
ゴホン、ゴホンと二つばかり、おまけの贋の咳を大袈裟に附け加えて、ハンケチで口を覆ったまま検事の顔をちらと見た、間一髪、
「ほんとうかい?」
ものしずかな微笑でした。冷汗三斗、いいえ、いま思い出しても、きりきり舞いをしたくなります。
刑事は主人公が自殺幇助罪で捕まったときに登場する、美しく聡明そうな人物です。
主人公は、自分を病人だと思ってくれると得をすることがあるかもしれないと考え咳をしますが、この刑事には咳が嘘だと見破られてしまいます。
主人公はこのときの気持ちを「竹一に見抜かれたとき以上の苦しみ」だと言っています。
この場面を機に、主人公の人生はだんだんと弱っていくようになります。
・堀木正雄
「お前は、喀血したんだってな」
堀木は、自分の前にあぐらをかいてそう言い、いままで見た事も無いくらいに優しく微笑ました。その優しい微笑が、ありがたくて、うれしくて、自分はつい顔をそむけて涙を流しました。そうして彼のその優しい微笑一つで、自分は完全に打ち破られ、葬り去られてしまったのです。
堀木は主人公が東京に出てから知り合った友人です。
正確に言えば、彼は主人公の道化を見破ってはいません。
しかし、堀木の「優しい微笑み」によって、主人公は初めて他人に自分の弱みを見せます。
これは、今まで演じてきた道化の仮面の下を、初めて人にさらけ出したということです。
言いかえれば、堀木が主人公の道化の仮面を剥がしたともいえます。
「道化」として生きてきた主人公の敗北が決定的になる場面です。
以上、主人公の「道化」に関連した三人の男をみてきました。
このようにみると、『人間失格』という物語は、やはり主人公の道化が見破られていく物語だと言えます。
では、「道化」を見破られた主人公はどうなったのか。つぎの項目ではそれを見ていきましょう。
・主人公はなぜ「人間失格」なのか?
主人公は「第一の手記」で、こんなことを言っています。
少し長いですが、引用します。
人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。
主人公は、幼い頃から「人間としての自分の言動に、みじんも自信を持て」ませんでした。
それは、「自分は人間として大丈夫なのか?」という疑問が生まれてからずっとあったことを表しています。
主人公は「道化」という仮面を被ることで、その疑問を回避し、どうにか「人間」としての自我を保ちます。
しかし、そんな彼の道化は、人生で三人の男に見破られ、最後には打ち砕かれてしまいます。
つまり、主人公は、自分と他者という「人間」の関係を保つ唯一の方法だった「道化」を失い、ついには「人間」を演じきることができなかった。
そうした過程を、この作品は「人間失格」という言葉で表しているのではないでしょうか。
ですが、もう一歩進んでみると、主人公の「人間として失格」しているという自己は、あくまでも主人公自身の視点です。
大庭葉蔵は「道化」を失い、たしかに人間を失格しました。しかしそれは同時に、誰にも偽る必要のない、むき出しの自己が誕生したともいえます。
なので、僕は主人公の「人間失格」を、主人公の新たな誕生だと解釈しています。
物語の最後で、バーのマダムもこう言っています。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
暗く思い作品だと捉えられがちの『人間失格』ですが、こうしてみるとこの作品は、ハッピーエンドだと考えることもできるのではないでしょうか。
-感想-
・三人の女性と主人公の孤独
「解説(考察)」では三人の男をメインにみてきましたが、『人間失格』では女性も重要な登場人物です。
女性は何人も出てきますが、特に重要なのは、
- 一緒に心中をしたツネ子
- 更生を助けてくれた出版社のシズ子
- 純真な妻のヨシ子
の三人です。彼女たちは、最後にはなんらかの理由で必ず主人公と離れてしまいます。
ですので、この作品における女性は、主人公の孤独を表現する役割を担っているのだと考えられます。
また、
主人公がほとんど名前で呼ばれない
という設定も、孤独を強調させる手法として使われています。
主人公の名前は大庭葉蔵ですが、作中で「大庭」と呼ばれたのは1回のみで、それも学校の先生の独り言のようなセリフです。
また、「葉蔵」が作中で使われるのも4回のみで、うち3回が父親のセリフです。残りの1回は主人公が自分で使います。
『人間失格』はこのような手法で、主人公の孤独感を一層強め、作品の雰囲気を高めることに成功しているように思います。
ちなみにですが、『人間失格』は中学生だった僕に第一次文学ブームを巻き起こした作品で、思い入れの深い小説でもあります。
本から感情が湧き出ているのが見えるような感覚で、主人公に共感しつつ興奮しながら一気に読んだことを覚えています。
今考えると、中学生の僕は全然読めてはなかったんじゃないかと思います(左翼思想とか男女の関係とか「罪」の考察とか)。
それでもあんなに熱くなれたのは、やはりこの作品の魔力というか、一定の人間を引きつける引力があるのでしょう。
面白いという言葉では足りない、魅力的な小説です。
以上、『人間失格』のあらすじと考察と感想でした。
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