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太宰治『お伽草紙』あらすじ&感想&解説!浦島さんの解説から幻の猿蟹合戦まで!

2019年8月31日

『お伽草紙』とは?

『お伽草紙』は、太宰治が戦時中に執筆した短編小説です。

作者である太宰が、防空壕の中で娘に読み聞かせていた昔話をもとに、想像を膨らませて書いた昔話オマージュになっています。

ここでは『お伽草紙』に収録されている全4作品のあらすじ・解説・感想をまとめました。それでは見ていきましょう。

-あらすじ-

敵機を迎撃する大砲の音が鳴り出すと、主人公は五才の娘を連れて防空壕へ避難します。

壕の中で、早く出たがる娘をあやすために、昔話を聞かせます。

ムカシ ムカシノ オハナシヨ

そう話している内に、主人公の胸中ではまた別の物語が生み出されていくのです。

主人公の想像した「こぶとりじいさん」から「舌切雀」までの全4篇のおとぎ話をはなし終えて、物語は幕を閉じます。

-解説(考察)-

・本当は6篇だった!収録作品と戦時中の『お伽草紙』について

『お伽草紙』に収録されている昔話は、

  • 瘤取り
  • 浦島さん
  • カチカチ山
  • 舌切雀

の4作品です。

それぞれ、物語の枠組みは昔話を踏襲しつつ、登場人物の内面に一歩踏み込むことで、昔話に新たな解釈を与えています。

執筆当初の構想では、以上の4篇に「桃太郎」と「猿蟹合戦」を加えていましたが、結局書かれることはありませんでした。

当時、死んだ芥川龍之介がすでに完成度の高い「桃太郎」と「猿蟹合戦」を執筆していました。

おそらくですが、芥川に憧れていた太宰は比較されるのも面白くないと考え、その二篇を書かなかったのではないかと思います。

さて、この物語の冒頭からも分かるとおり、当時の日本は戦争が身近にありました。

戦火の合間に執筆をしていた太宰は、作中で次のように言っています。

 私はこの「お伽草紙」という本を、日本の国難打開のために敢闘している人々の寸暇に於ける慰労のささやかな玩具として恰好のものたらしむべく、(中略)少しづつ書きすすめて来たのである。

つまり、戦時下における日本人の娯楽に、この小説を役立てたいという思いがあったことが分かります。

こうした太宰の考えをもとに、子どもから大人までが楽しめる『お伽草子』という作品がつくられました。

未来の見えにくい戦時中に、誰でも知っている過去の物語を題材したという点で、民衆に届きやすい作品づくりに成功しているといえるでしょう。

・太宰のオマージュと芥川のオマージュの違い

すでにある物語を、違う物語に書き改める文学は多くあります。

太宰が執筆を断念した「桃太郎」は、芥川龍之介のほかに、尾崎紅葉、菊池寛、北原白秋なども物語の再構築に挑んでいます。

なかでも芥川龍之介は、今昔物語集を題材にした作品が多いことでも有名です。

そうした彼らの多くは、すでにある作品を構成から変えることで、新たな作品の独自性を表しています。

しかし、太宰治の場合はそうではありません。

太宰は、構成はそのままに、登場人物の内面を掘り下げることで、作品の独自性を出しています。

これは、事実自体を変えて創作する芥川などとは、大きく異なる点だと言えるでしょう。

浦島「仰せに随って、お前の甲羅に腰かけてみるか。」(中略)
亀「腰かけてみるか、とは何事です。腰かけてみるのも、腰かけるのも、結果に於いては同じじゃないか。疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちゃんときめられてしまうのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。

これは「浦島さん」の一文ですが、事実と経緯についての面白い場面です。

亀の言うとおり、「腰かけた」という事実経緯は関係ありません。

しかし、太宰はこの「腰かけてみる」ことにした浦島さんの感情を細かに描いています。

こうした構成からは、太宰が結果(事実)よりも過程(経緯)に重きを置いていたことが分かります。

さらにこのことは、物語の事実を変えずに、その事実に至る理由や感情を描くことで、もとの事実の意味を変えている太宰のオマージュ形式にも表れています。

このように見てみると、同じオマージュという形式でも、太宰や芥川という作家によって、それぞれの独自性が表れることが分かります。

-感想-

・竜宮城の描写、浦島さんが好き

この作品で僕が好きなのは、「浦島さん」の花びらのお酒の描写です。

少し長いですが、とても甘美な表現なので引用します。

「桜桃の酒でも飲むさ。桜桃の花びらだけでは、はじめての人には少し匂いが強すぎるかも知れないから、桜桃五、六粒と一緒に舌の上に載せると、しゅっと溶けて適当に爽涼のお酒になります。まぜ合せの仕方一つで、いろんな味に変化しますからまあ、ご自分で工夫して、お好きなようなお酒を作ってお飲みなさい。」
浦島はいま、ちょっと強いお酒を飲みたかった。花びら三枚に、桜桃二粒を添へて舌端に載せるとたちまち口の中一ぱいの美酒、含んでいるだけでも、うっとりする。軽快に喉をくすぐりながら通過して、体内にぽっと灯あかりがともったような嬉しい気持になる。

この「しゅっと溶けて爽涼のお酒」になる美しい粒と花びら。たまりませんね。

この「浦島さん」では、竜宮城がとても質素に描かれています。

僕らが知る「浦島太郎」の竜宮城は、目にも華やかで大宴会の様子ではないでしょうか。

しかし太宰は、精神的な幸福を重点的に表現しています。

もてなそうとして奏でられるわけではない上品な琴の音。

淡い緑色の幽玄的な空間。美味しいお酒と千の味に変わる粒。

これが本当の上品なもてなしだという亀の主張には、うなずけるものがあります。

しかし面白いのは、この夢のような竜宮城にも飽きてしまう浦島太郎の理由です。

陸上の貧しい生活が恋しくなった。お互い他人の批評を気にして、泣いたり怒ったり、ケチにこそこそ暮している陸上の人たちが、たまらなく可憐で、そうして、何だか美しいもののようにさえ思われて来た。

広く知られている「浦島太郎」の帰る理由は、家族や故郷が恋しくなったというのが一般的です。

ですが、太宰版「浦島さん」では、人間同士の間におこる様々な感情が恋しくなったというのが帰る理由になっています。

じつに太宰らしさの出ている表現のような気がします。

ほかにも、「舌切雀」から感じる浮気というテーマや、「カチカチ山」では狸の食事で人物像の汚さを表現しているうまさなど、『お伽草子』の注目ポイントは多くあります。

「瘤取り」のテーマである「性格の悲喜劇」真を突いていて面白いですね。

『お伽草紙』はこれらの昔話を、物語の構成を変えずに内容の理解を変えたところに、作品の独自性があります。

ちなみにですが、この太宰流のオマージュ形式は、同じく太宰の『駆込み訴え』にも見ることができます。

『お伽草紙』が面白かったという方におすすめですので、ぜひ読んでみてください。

以上、『お伽草紙』のあらすじと考察と感想でした。

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