『海城発電』とは?
『海城発電』は、日清戦争で一度捕虜となった赤十字社の看護員・神崎を通して、彼の志が描かれる物語です。
泉鏡花の初期に分類される短編小説で、鏡花らしい人道観が前面に出ている内容になっています。
ここではそんな『海城発電』のあらすじ・解説・感想をまとめました。
『海城発電』のあらすじ
清国の富豪の家で、主人公である赤十字社の神崎という男が、日本軍の兵隊たちに取り囲まれていた。その中には背が高く黒い人物もいた。
彼は一度清国に捕らわれていたために、尋問を受けているのだ。
兵隊長は海野という人物で、神崎を売国奴だと言って責め立てる
なぜなら、神崎が清の兵隊に捕らわれた際に、捕虜として清側の負傷者の看護に尽力したからだ。
しかし、神崎の言い分では、「自分は赤十字社の一員であるから、依頼を受けて看護をしたにすぎない。また、負傷者には日本人や中国人など関係ない」ということだった。
海野はそれを聞いて、「日本人の魂を持っていれば、看護の間に偵察でもするのがお国のためというものだろう」という。
神崎はそれに答えて、「多忙を極めた現場だったので、そんな暇はないし、なにより自分は職務以外のことはできない」と言った。
「では本当に職務以外のことはしないのだな」と海野が言うと同時に、李花という女性が連れてこられた。
彼女は神崎を慕っていた病弱な清国の女性で、今にも倒れそうな様子だった。
「国賊め、これでも職務以外のことはしないのか」と海野は言いながら、彼女を辱めた。
神崎は胸中の絶痛を表には隠しながら、立ち上がってその部屋を離れた。
あとには李花の死体が残ったが、背の高い黒い人物だけはそこを離れなかった。
彼は電信用紙にサラサラと次のように書いた。
・『海城発電』の概要
主人公 | 神崎愛三郎 |
物語の 仕掛け人 |
海野(うんの) |
主な舞台 | 中国・海城市 |
時代背景 | 明治中期・日清戦争あたり |
作者 | 泉鏡花 |
-解説(考察)-
・『海城発電』の構成
『海城発電』は、
- 赤十字社の神崎
- 日本軍百人長の海野
- 英国記者のジョンベルトン
という三人の男が物語を進めていきます。
神崎は赤十字社の看護員として博愛の精神を持ち、国境を越えて人を救うことを職務としています。
自分の職務上病傷兵を救護するには、敵だの、味方だの、日本だの、清国だのといふ、左様な名称も区別もないです。唯病傷兵のあるばかりで、その他には何にもないです。(神埼)
泉鏡花『海城発電』
対して、日本軍夫の海野は愛国心を持ち、日本国を守ることを職務としています。
われわれ父母妻子をうつちやつて、御国のために尽さうといふ愛国の志士が承知せん。(海野)
泉鏡花『海城発電』
博愛の神崎と愛国の海野、そんな彼らをひとつ上の視点から眺めるのが、英国記者のジョンベルトンです。
彼は神崎と海野のやりとりの一部始終を目撃しており、この出来事を世界へ伝えようとイギリスに電報を打ちます。
こうした三人の人物が『海城発電』の物語構成の主軸となっています。
電報は彼らのいた「海城市」から打たれたので、海城市発の電報という意味で『海城発電』というタイトルになっています。
海城市は、現・中国の遼寧省(りょうねいしょう)にある市です。
こうしたことから、『海城発電』は日清戦争を背景に、清国の土地で繰り広げられる物語であることが分かります。
このような『海城発電』の枠組みをおさえられたら、次は『海城発電』で描かれていることを見ていきます。
・戦争小説としての『海城発電』
『海城発電』は、戦争小説という視点で読むことができる作品です。
神埼は赤十字の看護員として、日本や清国といった差は関係なく、世界的に平等な視点で人類をみています。
一方の海野は日本国の軍夫として、日本人は日本人、支那人は支那人という国家主義的な視点で人類をみています。
この二人の対立は、
- 神崎=グローバリズム
- 海野=ナショナリズム
という構成で捉えることができます。
グローバリズムとは、「グローバル=世界的」という意味から、国を超えて地球全体をひとつの共同体としてみる考え方です。
一方のナショナリズムとは、「ナショナル=国家」という意味から、ひとつの国家や民族の発展や独立を推し進める考え方になります。
つまり、神埼は世界的な視点で意見を主張し、海野は国家的な視点で意見を主張しているので、二人の意見はいつまでも噛み合わないのです。
英国記者のジョンベルトンは、神埼と海野のやりとりを公表することで、どちらが正しいかを「世界」に決めてもらおうと、イギリスに電報を打ちます。
予は目撃せり。
日本軍の中には赤十字の義務を完して、敵より感謝状を送られたる国賊あり。しかれどもまた敵愾心のために清国の病婦を捉へて、犯し辱めたる愛国の軍夫あり。委細はあとより。じよん、べるとん泉鏡花『海城発電』
ジョンベルトンが知らせた電報は、小説という形式で我々読者に届きます。
ここで、ジョンベルトンが知らせようと思った「世界」は「読者」に代わり、読者は自然とこの問題を考えさせられることになります。
このような構成を使って、読者に戦争問題を考えさせているという点で、『海城発電』は戦争小説として成立している作品になっています。
・観念小説としての『海城発電』
『海城発電』は戦争小説的なテーマを見いだせるのと同時に、観念小説的なテーマを見出すこともできます。
観念小説とは作者の主義・主張を全面に押し出した小説です。
初期の泉鏡花がよく書いたジャンルでもあり、『外科室』や『夜行巡査』といった代表作はいずれも観念小説と呼ばれています。
▽解説はこちら▽
-
小説『外科室』あらすじから結末まで解説!「忘れません」の意味と手術台の象徴とは?
続きを見る
-
『夜行巡査』のあらすじと感想&考察!観念小説や「仁」の意味まで徹底解説!
続きを見る
『海城発電』では、『夜行巡査』と同じテーマでもある「職務第一」という作者の観念が描かれていきます。
主人公の神崎は、赤十字社の「職務」として、国を超えて人々を助けます。
彼の「職務」に対する態度は、海野に対する発言や、李花という清の女性を通して描かれます。
物語のラスト、軍夫の海野が李花を辱める場面で、神埼は「職務以外のことはしない」という理由から、彼女を助けようとはしません。
「しつかり聞かう、職務外のことは、何にもせんか!」
「出来ないです。余裕があれば綿繖糸を造るです。」
応答はこれにて決せり。泉鏡花『海城発電』
一支那人を陵辱する軍人を咎めるのは、彼の仕事ではないからです。
神崎がこう答えた後、海野は李花を連れてきて、彼女を陵辱して殺してしまいます。
つまり、彼は李花ではなく「職務」を取ったということです。
ここでの彼の行動は非人情的にも思えますが、この行き過ぎた論理が、主人公の「職務」への態度をよく表しています。
ちなみにこの場面は、『夜行巡査』の主人公が「職務」を優先して恋人を捨て、自らの命を落としたのと全く同じ構図です。
『海城発電』の神崎も『夜行巡査』の八田も、人情や感情といったものよりも、ただ「職務」という一字のために生きています。
それゆえにどこか人間味を損なっている彼らを描くことで、作者の観念がはっきりと浮かび上げられています。
-感想-
・次世代の人類
『海城発電』で面白いのは、神埼の複雑な人物造形でしょう。
彼は、彼の中の論理を信奉していて、その論理に盲目的に従っているために、一見人間味に欠けているとも思えるような行動や発言が、いとも簡単にできてしまいます。
とはいえ、彼はプログラミングされたロボットではありません。
李花が陵辱される場面では「胸中無量の絶痛」を感じている様子が描かれます。
ここが初期の鏡花作品の魅力的なところでもあるのですが、主人公の中にヒューマニズムが全くないというわけではないのです。
神埼もそのような感情を抱えながら、あくまで論理に従って行動します。
つまり、彼の中に「人間味」と呼ばれるものは存在しているのですが、彼の中の「論理」を優先していることで、結果的に人間味が薄いように見えているのです。
人は論理的にものを考えることができても、感情を優先してしまうことが少なくありません。
そうした意味では、どこまでも論理に徹している神埼や『夜行巡査』の八田は、これまでのヒューマニズムを超えたところにいる存在です。
江戸や明治に比べると、現代の人々は人情味が薄くなり、人間関係もあっさりし、理性的に物事を処理する傾向が強まっているのは間違いありません。
ですが、人々は完全に理性的になりきってはおらず、まだまだヒューマニズムの残滓があります。
それは、現代が完全に理性的・合理的な社会へと移り変わる過渡期だからなのでしょうか。
それともヒューマニズムは人間の悟性であり、完全に失われることがないものだからなのでしょうか。
個人的には、今後100年、200年と時が進む中で、人々が理性的・合理的な判断を下す傾向はさらに強まっていくと思います。
そうした観点に立つと、海野のような考え方はかなり旧時代的なものであり、神埼のような考え方は新時代的です。
こうしたことから、『海城発電』で描かれる神埼を見ると、旧時代の人情的・非合理的な人類を超えた、次世代の理性的・合理的な人類をみているような気になります。
以上、『海城発電』のあらすじと考察と感想でした。
この記事で紹介した本