『富嶽百景』とは?
『富嶽百景』は、富士を通して主人公の精神的な成長を描いた太宰治の作品です。
主人公が富士の見える御坂峠で過ごす数ヶ月間を切り取った物語となっています。
この作品の執筆時期に、太宰は二度目の結婚を控えています。
そのためか、作品にも前向きな明るさがにじみ出ていて、同時期には『女性徒』や『走れメロス』などの秀作も次々に生み出されていきます。
-あらすじ-
主人公は、富士山をたいした山ではないと考えています。
ただし、十国峠(静岡)から見た富士はたのもしいと言い、反対に、東京のアパートから見る富士は「苦しい」と言います。
そんな彼が、富士の見える御坂峠(山梨県)の茶屋の一室を借りて、小説を書くために一時期過ごすことになります。
毎日、富士を目の前に見ながら生活を続ける中で、そこにいる人々と、富士山の色々な表情に出会います。
また、少し山を下った甲府(山梨県)には、主人公の結婚の見合い相手がいて、二人はすこしづつ距離を詰めていきます。
物語が進むにつれてその結婚相手との縁談もまとまり、しばらくいた茶屋を引き払います
主人公が富士山も案外悪くないなと思い直して、物語は終わります。
・-概要-
主人公 | 私 |
主な舞台 | 御坂峠(山梨県) |
時代背景 | 1938年頃 |
文体 | 男性一人称 |
作者 | 太宰治 |
-解説(考察)-
・登場人物の「富士」
『富嶽百景』ではささやかな登場人物が多く出てきます。
ほとんどが女性ですが、登場人物を知ることで、作品をより理解することができます。
簡単にですがまとめてみたので、参考にしてみてください。
- 井伏鱒二――主人公の師匠。実際に太宰治の師匠でもある。見合いの仲介や結婚式の準備も彼が行った。
- 茶屋のおかみさん――主人公が生活していた宿の主人。
- 茶屋の娘――十五才の少女。おかみさんが用事でいないときには、一人で店を切り盛りしている。
- 甲府の娘さん――主人公の見合い相手。実際の名前は石原美智子
- 礼装した花嫁――嫁入りの途中に茶屋に立ち寄った女性。富士を見ながらあくびをした。
- 若いふたりの娘――おそらく東京から来た女性。写真を撮ってくれと主人公に頼むも、主人公は撮れましたと言って富士山を撮った。
短い小説ですが、ほかにも何人かの登場人物が出てきます。
面白いのは、彼らは必ず富士山と絡めて描かれていることです。
たとえば、茶屋のおかみさんと娘は、御坂峠から見える富士に誇りを持っています。
また、東京から来た若い2人組は富士を見て気分が高揚し、反対に、通りがかりの花嫁は富士を見て退屈そうにあくびをします。
主人公の視点からだけでなく、登場人物の視点からも富士が描かれており、それぞれの「富士」を見ることができます。
登場人物は、それぞれが富士に対する各自の思いを抱えているため、この作品は「富士」を通して人間を描いている物語だといえます。
・主人公の「富士」
『富嶽百景』では、主人公の見る「富士」も読解のポイントです。
第一段落では、「富士など、先入観がなければたいした山ではない」という主人公の見解が表明されています。
しかし、続く第二段落では、「十国峠から見た富士だけはよかった」と富士を肯定します。
ところが、第三段落では「東京のアパートから見た富士は、苦しい」と言います。
これはつまり、富士山を見る主体の感情や状況によって、富士山の見え方は変わってくるということを表しています。
ちなみに、この作品で主人公が富士を見る描写は15回あります。以下がその一覧です。
- 十国峠からみた富士 (よかった)
- 東京のアパートから見た富士 (くるしい)
- 御坂峠から見た富士 (軽蔑)
- 霧がかかる三ッ峠で茶店の老夫婦が見せてくれた写真の中の富士 (よかった)
- 甲府の娘さんの家で見た額縁に入った富士火口の鳥瞰写真 (まっしろい水蓮の花のよう。ありがたい)
- 友達と御坂峠で見た富士(二度目) (俗っぽい)
- ファンと御坂峠で見た富士(三度目) (富士は偉い、かなわない)
- 三度目に見た日の夜に吉田で見た富士 (青くきれい)
- 御坂峠からみた雪をかぶる富士(四度目) (御坂の富士も馬鹿にはできない)
- 寝る前に見る富士 (「単一表現」の美しさなのかもしれない)
- 遊女の客が来たときに御坂峠から見た富士(五度目) (大親分のよう
- 甲府から見た富士 (富士への感想はないが、甲府の娘さんとの会話に花を添えた)
- 花嫁が御坂峠に来たときに見た富士(六度目) (花嫁が富士を見ながらあくびをしたことに反感をおぼえる)
- 若いふたりの女性が来たときに見た十一月の富士(七度目) (お世話になりました)
- 甲府の安宿から見た富士 (酸漿[ほおずき]に似ていた。)
御坂峠に来る前までは富士を「通俗」だと否定的に見ていた主人公の気持ちは、次第に肯定的なものに移り変わっています。
こうしてみると、『富岳百景』は、富士という大きな存在を通して、主人公が精神的に成長する話であることが分かります。
・太宰治の二度目の結婚
太宰は『富嶽百景』の執筆時期に、石原美智子という女性と二度目の結婚をしています。
一度目の結婚は小山初代という芸者ですが、不貞をはたらかれて離縁します。
意気消沈していた太宰をみて、師である井伏鱒二が動き、見合いがセッティングされたようです。
その後の結婚式なども、井伏鱒二を中心として執り行われました。太宰がたいそう感謝している様子は『富嶽百景』にも表れています。
→井伏鱒二の記事一覧はこちら
つまり、『富嶽百景』は、太宰が一度目の離縁から立ち直り、第二の結婚へと心機一転しようとしていた時期が描かれているということです。
『富嶽百景』が、太宰の作品の中では比較的明るい雰囲気をもっているのは、そのような背景が一つの理由にはあるでしょう。
その証拠に、太宰は同時期に『女生徒』や『走れメロス』などの明るい作品を次々に発表しています。
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なかでも『富嶽百景』は、石原美智子とその家族との出会い、また同士たちの温情に接して、太宰が少なからず救われていた時期の代表作と言えるでしょう。
-感想-
・太宰の作家と生活人の両面が見える作品
太宰治は、生涯をかけて、「人間とは何か」を問い続けた作家でもあります。
あらゆる作品で、あらゆる角度から「人間」を写すその態度は、『富嶽百景』で「富士」をあらゆる角度から表現する態度と同じです。
実際、作中に「単一表現の美しさ」という言葉が出てきますが、ひとつのテーマを追い続けた太宰の作家人生をそのまま表していると言ってもよいでしょう。
結婚という転機と、職業への態度が表れている、作家・太宰治の決意と指針がみられる作品だと思います。
以上、『富嶽百景』のあらすじと考察と感想でした。
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