太宰治

『走れメロス』作者が伝えたかったことは何か?あらすじから解説まで!

2019年2月17日

『走れメロス』とは?

太宰治の小説『走れメロス』は、主人公メロスとセリヌンティウスの友情を通して人間の感情を描いた人気のある作品です。

ドイツの詩人であるシラー(1759-1805)の『人質』という詩を元につくられました。

ここではそんな『走れメロス』のあらすじ・解説・感想をまとめました。それではみていきましょう。

-あらすじ-

人を信じることのできない王がいました。

主人公メロスはこの世に信心のあるところを見せるため、三日後に命を差し出しにくるという申し出をします。

王は申し出を受け、ひとまずメロスを返します。メロスは感謝し、妹の結婚式を上げるため一度村に帰ります。

結婚式を済ませた翌日、メロスは市へ向かって走り出す。数々の障害が彼の足を阻みますが、希望を持って力の限り走ってゆきます。

メロスは間一髪間に合います。それを見た王は改心し、この世に真実のあることを知ったのです。

・概要

主人公 メロス
物語の仕掛け人 ディオニス(王)、セリヌンティウス(友)
舞台 村〜シラクス(シラクサ)の市
時代背景 古代ギリシャ(古典期、前400年頃)
作者 太宰治

シラクス(シラクサ)はイタリアのシチリア島にある町で現在もイタリアに存在します。

解説(考察)

・作者が伝えたかったことは「友情」と「希望」

「走れメロス!」という思いは、言い換えればみんなの希望であり、メロスはみんなの希望です。

だから、メロスは走って走って走り抜きます。

その先に待っていたのは友との再会、王の改心、民(読者)の歓声という物語の結末です。

みんなの思いは成就し、希望は満たされます。そしてメロスは勇者となるのです。

友・敵・民というキャラクターを的確に配置して「友情」や「信心」といった感情で物語を補強しつつも、それぞれの希望としてのメロスという一本の芯を収束の一点に向かわせるように物語は構成されています。

だからこそ、『走れメロス』の主となるテーマは友情や信心のほかにも、「希望」があるのではないかと思うのです。

したがって、『走れメロス』で作者が伝えたかったことは

・友情の尊さ

・信じる希望

だと考えられます。

・物語中に見られる言葉のテンポ

「呆れた王だ。生かして置けぬ。」

作者が伝えたかったことが分かったところで、もうひとつ見ていきたいのは、物語中の言葉選びについてです。

冒頭の「メロスは激怒した。」もそうですし、うえにある「呆れた王だ。生かして置けぬ。」もそうですね。

太宰治は『走れメロス』において、物語に勢いを付けるための言葉選びをかなりこだわっているように感じます。

それはやはりメロスが走り出す場面に顕著です。

私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。

太宰治(1988)『太宰治全集3』 筑摩書房.

走り出す感じが言葉のテンポと相まってより一層強調されていますね。

こうした言葉選びがもたらす効果を感じることも、この小説を読む際のポイントではないでしょうか。

他にも、太宰の作品でテンポの良い文体で書かれた小説には、『駆込み訴え』『女生徒』などがあります。

気になった方はぜひ解説をチェックしてみて下さい↓

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・物語の構成と、勇者が赤面した理由

『走れメロス』の大きな流れをまとめると、一村人だったメロスが市を救う勇者になるまでの成長譚であるということができます。

物語最後の一文である、

勇者は、ひどく赤面した。

太宰治(1988)『太宰治全集3』 筑摩書房.

という文は、冒頭の一文である「メロスは激怒した」ときれいな対比になっています。

一村人だったメロスが「走る」ことで勇者になるという物語の構成がよく分かります。

村人  → 走る  →  勇者

ただし、勇者がなぜ赤面したのかについては、議論が分かれているところです。

主な意見は、

  • 自分が裸だったことを恥ずかしがったから
  • 自分が約束を守れた高揚感を感じたから

などがあります。

個人的には素直に羞恥の赤面だと読みたいですが、高揚感によって赤面したというのも魅力的な読解です。

こうした物語の構成や、読みの可能性も『走れメロス』のみどころのひとつでしょう。

-感想-

メロスは一度諦めた?

僕が一つ気になるのが、この「メロスを救った泉」です。

物語中盤でメロスは一度走るのを諦めます。しかしそのとき「ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞え」て、不思議と泉が現れるのです。

メロスはその泉の水を飲み、肉体の回復とともにまた走る希望が生まれます。そしてご存じの通り、メロスは見事シラクスの市にたどり着くのです。

ここで僕は思います。この泉がなかったらメロスは諦めていたんじゃないだろうか?

おそらくそうでしょう。この泉がなければ体力を回復することはできませんし、それに伴った精神的な回復も果たすことができませ

そう考えると、メロスは自力で走り抜けたのではなく、思わぬ助けがあったからこそ走り抜くことができたということになります。

やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい!

太宰治(1988)『太宰治全集3』 筑摩書房.

メロスは天の加護を受けたことに自覚的です。自分一人で解決するのではなく、助けてもらうことも勇者の素質の一部だというわけですね。

冒頭から結末までのメロスの感情の変化

『走れメロス』は「怒り」から始まり「羞恥」で終わります。

羞恥で終わるというのはいかにも太宰治らしい可笑しみがありますね。

物語の間には、

  • 王の「不信
  • 妹と婿の「幸福
  • 山賊の「殺意
  • メロス「感謝

など、人間の様々な感情が描かれています。

それらの感情は極めて単純化されているので、原色のみでキャンバスに色を付けるように物語も分かりやすい色彩で彩られています。

それらは重なり合うことで、無骨でありながらも鑑賞に堪える鮮やかな絵になっているように感じます。。

感情のほとばしるすばらしい作品だと思います。

以上、『走れメロス』のあらすじと考察と感想でした。

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